価値を感じるということ

昔から何事かにつけてものの価値についてよく考えている。もはや癖みたいなものだと思う。みんなそうかもしれないけれど自分が価値を感じるものに対してはすごくこだわる一方で、みんなが価値を感じても自分が価値を感じないものは全くと言っていいほどこだわれなかった。

そのうち価値がどのように決まるのかを考えるようになった。かなり長い時間をかけて得た結論は、価値とは必要性と希少性の積であるということだ。

いろんなものに対して当てはめたがかなりうまく適用できた。自分なりに導いた結論が原理に近いものではないか、と、嬉しくなった。

そのあと、高校の授業で、価格は需要と供給の関係で決まることを知った。

需要量と供給量に依存して価格が決定する。

積とは言ってないが根底とした考え方は同じだった。自分が見つけた法則は世間では当たり前とされることだったらしく、少しがっかりした。

とはいえ、価値の感じ方の違いというのは、希少性と必要性の感じ方の違いによって生じるということが分かって色々と役に立ったのではないかと思う。
あと、物事を質と量の側面で切り分けるフレームワークを就活で知ったけれど、この必要性(質)と希少性(量)の考え方もまさにこの分け方だから、質量フレームワーク、というよりフレームワークの汎用性の高さに感心した。

僕は人と話すとき、その人の価値観を知っていく過程に楽しさを感じる。長く価値について考えてきたから、どのように価値を感じるのかを知ることは、自分にとっては深い意味がある。それを通じてその人の内側や生い立ちを共有し、繋がりを感じるようになるからだと思う。

この前、

価値判断が諸悪の根源である

というのがなんとなくわかってショックを受けたけど。

noteは、価値を感じるものについて、どんな風にそう感じたのかをメモするために使う。価値の感じ方を整理することが何かしらのヒントになる気がするし、ときどき自分が考えていたことを読み返したり、(そんな奇特な方がいればだが)どんな反応をされるのかを知ることで考え方を深めたいからだ。

それ以外にもTwitterに書くには長すぎるし、facebookに書けないような、読み返したいようなことを思いついたら書くことにする。

3日坊主なので、数ヶ月に1回くらい書けたらいいが。

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