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夏の思い出

夜のピクニック(恩田陸)という本が僕はとても好きだ。

とある高校の、夜通し歩く行事を通じて、人間関係が変化し、思いが交錯するという青春の1ページが描かれた物語。

去年の夏、この本をひさびさに思い出して読み返してみた。夜通しクタクタになるまで語り合いながら歩き続ける。
想像するだけでわくわくしてきて、友達を誘ってみた。トントン拍子で話が進んでいくのがとても心地よかった。
いろいろあって甲乙つけがたいけれど、このことが多分、学生時代いちばんの思い出だと思う。

9月も中旬を超えたあたり、横浜市の和田町駅から三浦海岸まで歩いた。40kmほどだった。マホロバマインズ三浦というところに泊まったんだけど、ここもすごくよかった。

3人で歩いたんだけど、不思議なことに何を話したのか、今となってはあまり覚えていない。ただ、すごく楽しかったし、文字通り、ありとあらゆることを話したことだけは覚えている。

4kmを休憩こみで1時間ちょっとのペースで歩いた。ありがたいことに、日本はそのくらい歩けばコンビニが必ずあるのだ。
休憩地点では、靴下を履き替えたり、スマホでその時の気持ちとか様子を動画で撮ったりした。
(マメができると大変だから、履き替えるまでなくとも、こまめに靴下を脱いでいた。湿気が取れて気持ちよかった。)

語彙力なくて申し訳ないけど、めちゃくちゃエモい、って感じだった。

10km超えて、なんだ、こんなものか、と余裕をかましていたのだけど、20km超えたあたりから絶望感が凄まじかった。こんなに疲れているのに、まだ半分も残しているのか、という。
今となってはいい笑い話だ。

次にやるとしたら、25kmくらいに収めた方がいい気がする。でも、なんだろう、クタクタになりたいし、達成感的には40kmでちょうど良かったのかもしれない。

今から思い返すと、男2・女1の、3人、というのが絶妙な数字だった。
2人だと、どっちかが絶対に話さなきゃいけない義務感が出てくるし、4人だと2人・2人で分かれちゃうから。

歩いているうちに、広い歩道を見つけると、喜ぶという変な習性が身についた。安全で歩きやすいし、3人並んで歩けるから。
歩道を見かけて喜ぶなんて、人間の可能性を感じる。

深夜で、明かりはあるのに金沢八景の踏切がずっと開いていた。時間が止まったみたいで、すごく綺麗で、夢中になって写真を撮っていた。嬉しい誤算だった。

そうした寄り道をしたり、死ぬほど疲れてたりで、休憩時間はどんどん伸びた。眠気が時間を加速させた。
20時にスタートして、朝の8時に向こうに着く予定だったのに、気づけば12時くらいになっていた。
間をおかずにアーリーチェックインできたから、結果オーライだったけれど。

温泉に入ってごろんとして、その日の夜はホテルでコンビニで買ったつまみとともに、お酒を飲んだ。豪華さは全然ないけど、めちゃくちゃ幸せを感じた。

話しまくったせいか、ホテルでは全然、会話はないけど、それが苦痛じゃなくて、むしろ心地よかった。

翌日も寝込んでごろごろ。
帰りの電車が1時間。行きの努力はなんだったんだ、って、3人で笑いあった。

いまでも、たまに集まってやりたいと思う。でも、同じメンバーでは、もう実現しない気もする。
どうしてかは、うまく説明できない。
でも、寂しい感じはしなくて、まあいいかというか。

でも、またやりたいなあ。同じメンバーでもいいし、いろんな人とも。
最近一眼カメラにはまっているし、前よりもずっとずっと楽しみ方を心得ていると思うし。

きょう思ったのはそんなところです。
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