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うつが教えてくれたこと2

返事が及ぼす影響

皆さんは,話したい相手に呼び掛けた時,どんな状況を想像しますか?
「はい」「どうしましたか?」「ん~?」「あいよー」など,返事をされてからその先のやり取りが始まるのではないでしょうか。勿論標準語だけでなく,ここに方言なども加わればそのバリエーションは相当数に上るものと思われます。

ここで,もう一つ状況を想像してみてください。
話したい相手に呼び掛けた時,全く返事が無かったらどう感じますか?

あなた『~さん,今お時間よろしいですか?』
相手「………」
あなた『よ,よろしいですか?』
相手「………」

私はこれを,実際に5か月間に渡り体験しました。

これまでの人生を振り返った時,相手の名前を呼んで返事をされないという状況に,私は遭遇した事がありませんでした。
いじめを受けていた中学生時代でさえ,友人の名前を呼べば返事はされました。(加害者とは関わりを持ちたくなかったので名前さえ呼びませんでしたが)
まさか35歳を迎えて,呼ばれて返事をしない大人と一緒に仕事をするなんて,想像すら出来ませんでした。

出勤しても誰にも自分から挨拶をするでもない。
伝えるべき用件があるから呼んでいるのに,全く返事をしない。
それでいて自分のやりたいようにしなければ不機嫌になり,こちらの提案はことごとく覆そうとする。(実際覆る)

これを続けられた結果何が起きたか。
自分は必要無い存在なのだと思うようになり,心を病んでしまったのです。

職場で同僚に会ったら挨拶する。
名前を呼ばれたら返事をする。
自分の要望を通したい時は,感情ではなく理論を伝える。
これは誰もがやっている事だと信じていました。
しかし実際にはそうでは無いという事,そして,返事には自分(相手)の存在を認めるという大切な役割があるのだという事を実感しました。

返事の無い相手に話し掛けるのは,幼子が自分の持っているオモチャや人形に独り言で話し掛けているのと一緒です。
自分の意志で空想の世界を作り出し,楽しむためにそうしているならば全く問題はありませんが,きちんと発言できる人間相手にこれをやっていると,自分の頭がおかしくなってしまったのではないかと錯覚します。

自分は本当に今この人に話し掛けているのだろうか。
もしかしてこの人は自分にしか見えていないのだろうか。
この人の名前って本当に「~さん」だったかな。
あっ,喋った…けどまた否定された。
私の存在って何なんだ。
私は本当にここにいて良い存在なのだろうか…

5か月も返事をされないまま過ごしていると,およそ3か月目くらいからこの思考が現れ始めます。
自分の思いはかき消され,生徒の為ではなく,目の前にいる自分の存在をどうでも良いと思っている人の機嫌を損ねない為に仕事をしなければと思い込んでしまうのです。
勿論生徒と接する際には全力を尽くし,信頼を寄せてくれていると実感出来る生徒もいましたが,全体への連絡をする際,どうしても件の職員の事が頭をよぎり,モヤモヤした気持ちが無くならないまま出退勤する毎日になってしまいました。
そして迎えたその日,私は教頭の目の前で号泣したまま立ち上がる事が出来なくなってしまったのです。

この記事をお読みくださった皆さんに心からのお願いがあります。
呼ばれたら返事をする。これを当たり前の事だと認識してください。お子様がいらっしゃる方は,是非お子様へこの事をお伝えください。
更に申し上げると,相手に身体を向けて対話する意識を持ち,お子様にも持たせてください。
話し掛けている側は,こちらを向いてもらえず,返事すらされないと,「自分の事などどうでも良いのかな…?」と考えます。

返事は他者の人生を左右する可能性があるのです。

お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。