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利他的かつ自己中のハイブリッドな生き方が、持続可能性のコツかも知れない

人に役立つこと、勇気づけたりすることをする

日々、仕事で精神的な病や社会的な不利で苦しんでいる人の話を聴いている。
相手の時間にお邪魔して、少しでも気持ちが楽になったり、前向きにな気分になってくれることをいつも望んで取り組んでいる。

医療福祉の職を目指す人の出発点は大体は「人助けをしたい」「苦しみや痛みを和らげるお手伝いをしたい」で大枠間違っていないだろう。

仕事という決して少なくない時間で自分がどう生きたいか。
人のため、社会のために尽力し、お金をいただくのはビジネスの基本でもある。

劣等感のかたまり、だから褒められたくて役に立ちたかった

自分の幼少時代はいつも誰かと比較し、比較されながら、優位に立ったり自信を持って語れるものはなかった。
上手くやっているやっている人たちを真似したり、くっついたり…

自分がいることで周囲に嫌な顔されないように、機嫌を伺いながら振る舞っていたことを記憶している。
だからその反動で今は誰かの役に立つことを渇望しているのかもしれない。
しかも自分と似たような苦しみを抱いている人のそばにいて、少しでも力になりたいと精神科を選んだのだろう。

燃え尽きて、自分を見失うと結局は誰も助けられない

利他的に生きすぎると自分を見失う恐れがある。
医療職の人の中には燃え尽き症候群になり、心身の不調をきたす人も少くない。

他人の生命や人生に直結仕事だからこそ、情念や感情が入りやすく、疲労も蓄積していく。人材不足や職場環境の未整備なども少なくない業界でもある。
だからこそ良い意味での割り切りや、余力を残しながらのアプローチを意識したい。

自身のケアをおろそかにすると、失敗や挫折の場面を迎えたときの自己リカバリー(回復)に時間を要したり、現場復帰が困難になるケースも散見される。

自己犠牲が美徳にされている職業でもあるが、超少子高齢社会で貴重な労働力やマンパワーが減ることの方が社会にとってもマイナスである。

他人の困難に寄り添うにはエネルギーが必要

自分が困ったときは仲間に頼ったり、他人に助けを求めることへのハードルを下げる。しかも意識的にやるようになった。

怪獣や凶悪犯にさらわれそうになったら大声を出すように。
生命の危機を感じたときのよう、大袈裟にヘルプを示している。

感情労働に携わるには冷静な判断や、余裕を持って話を聴く姿勢が欠かせない。
疲労やストレスが極度に積み重なると他者への介入がおろそかになり、結果十分なサービスを展開できなくなる。

自分を助けられない人は他人を助けられるわけがない。

その考えが自己中な言動の免罪符となっており、刹那的な楽しみや場当たり的な言動を許している。何ごとも棍詰めてやる性分でもないので。

自分が使い物にならなくなる前に、周囲への貢献ができるには、
常に自己メンテナンスは怠らず、ときには率先して仲間を助ける余裕を見せながら(自分がピンチになったときのために恩を売っておく)仕事していきたいと思う。

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