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普段は当たり前に動いているのものに、文句じゃなくてお礼を言う機会をもつ

面倒なことや見えない作業を担っている人たちがいる

電車やエレベーターが急に止まって、困り文句を言う人は少なくないだろう。
特に朝や約束の時間に重なったときは最悪である。
「動いていて当たり前」と思われているものが対象になりやすい。

つい先日、バックオフィスの手違いで現場の仕事が増えたことがあった。
年末の慌ただしい時期もあり、かさばる仕事についに苛立ちを隠し切れなかった。
瞬間の手の止まり、ピリッとした雰囲気、後悔するには遅かった。

あれから反省の念、忙しいのが自分だけだと勘違いも甚だしい。
器の小ささ、細かな作業に救われている恩を仇で返した自分を許せなかった。

目に見えないところで汗を流している人たちを想うこと

Googleのメールが届くことにいちいち感謝する人はいるだろうか。
最寄駅の花壇を今日もきれいに整えてくれている人に頭を下げるだろうか。
お肉や野菜の生鮮品を日々棚に揃えるスーパーに礼を言ったことはあるのか。

面倒な手続きを見えないところで、誰かがやっていることは大変喜ばしい。
それこそ社会である。
いちいち自分に関わることを自分でやっていたらすぐに日が暮れてしまう。

日常を支えていることが自動的に担保されている錯覚に慣らされていないか。
用意準備できなかった時にしか声をあげず、文句しか口から出ない人間になりたくない。

自分のために働いている人たちのおかげで、気持ち良く過ごせていることにお礼を言うマインドセット。
感謝を述べた方が自分の心も豊かになるし、周囲の笑顔も育まれる。
機嫌良くお互いが助け合えると、雰囲気だって自然と柔らかくなる。

行動ではなく、存在そのものに対する言葉です。この言葉によって、子どもは「ママパパの役に立ってるんだ」「必要とされているんだ!」といった気持ち、すなわち「自己有用感」が満たされるんです。誰かの役に立ったといううれしさから、「もっとがんばろう!」といういいサイクルにつながります。
ダイアモンド社・てぃ先生

「失って初めて気づく尊さ」になる前に、恵まれている環境に改めて目を向けていきたい。

「きちんとやって当たり前」ということもあるけれど、そういう仕事だからこそ、精神的な報酬が必要なのかなと思う。

そんな好循環を回せるよう、両手に余裕と謝辞を携えることを忘れないように。
自己への戒めも込めて。

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