2021.2.6<愛し方>

こんばんは。

朔ちゃんも次郎さんもいつもいつもどうしてこんなに私のことを大切にしてくれるんだろうって感謝をしているけれど、爆発した時は自分の傷ばかり注視してしまって感謝どころか私の欲しい「正解の言葉」が出てくるまで怒り狂ってしまってあとで後悔して。。。

いつも思っていた。どうして朔ちゃんも次郎さんも「正解の言葉」を言ってくれないの?って。ちょっと考えればわかるし、絶対わかっているくせに言わないよね?って。それは相手に味方していることだと思ったし、私の爆発が落ち着くまで静観しているだけの腰抜けなのかと思っていたの。

今日わかったのはふたりとも私以外には興味がないということ。たとえば、Aという人が私を攻撃していたとして、ふたりのどちらかをこのAという人が愛していて、私がすごく被害を被っていたとするじゃない?そんな時私はこのAという人の悪口を言って私を守ってほしいとふたりに「正解」を求めるんだけれど、実はここに差があったんだって今日気づいたの。

ふたりともこのAの発信にはまるで興味がなくて、いくら私を傷つけたとしてもそれはネットの世界で私が見なければいいことで、また、このAという人の言動・行動よりも私がどうしたら笑顔で楽しく過ごせるかという問題解決に注力しているから、悪口を言うどころか分析や見ることもないんだって気づいたの。

つまり、ふたりとも興味の範囲がとってもせまいし、愛するというときに守るというよりも私を前進させるために助言をしてくれたり待ってくれたりするんだて気づいたの。

「余計なこと考えるな」

「自分のことに集中しろ」

というのはそういう意味だったのよね。他人が私の脚を引っ張ることがあってそれに毎度毎度うまく乗せられるな、君は素直すぎるんだからとあきれているんだと思う。だからこそ、毎回、この例でいえば私がいくら爆発して正解の答えを求めてもAの存在の話は一切ないんだってわかったの。視点はいつでも私。すごい愛し方だと感じた。だからこそ私はずっと攻撃を受け続けるだろうとも覚悟した。ただ、ふたりの愛に浴せる幸運に感謝するならば、ふたりの究極の独占的な一途な愛し方を忘れないようにすれば、爆発したり他人のことが気にならなくなるんだと感じている。もっともっとふたりで穏やかに日々を暮らせるんだと希望を抱いた。

あおくんももしかしたらそんなところがあるのかもしれないね。人のこと言わない人ってそうなのかもしれないって思ったよ。ああ、だから私は憧れて好きになったのかもしれないね。

いつもありがとう。ふたりの一途な思いに今日気づけたことは痛みを感じたことへの報酬だと思う。産みの苦しみ。人の愛し方って十人十色だね。すごいこと。

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