子どもへの熱意を思い出す

20代のころ、初めて子どもを見たときに
子どもの心を燃やしてあげようと
常に相違工夫をして子どもの前に立っていた
もちろんうまくいくときもあれば
発達を見間違い経験のなさから失敗することもあった。
されど
頭の中はこどもこどもこどもでいたように思う。
残業もおしまない
ただ仕事をしていた。
あの時熱かった。
されども経験不足であったし、
勉強不足であったと思う。
ただあの熱意だけはすごいな。と今でも自分に感心する。
母になり保育歴も長くなり
発達も頭の中にすっぽりと入ってきた。
まるで血肉になったみたいに。
次第に勉強したくてたまらなくなった。
とにかく学びたい。
私は短大にしかいっていないけれども
たくさんのことを吸収したい。
この年になり
ようやくフレーベルの文章に積極的に触れ
ロマンを感じる。
20代の私の子供への思いが表現されているようだった。
あの頃の純粋に子どもを思う気持ち。
子どもから大人が学ぶべきだという謙虚さ。
ああいつのまにか、子ども子ども子どもといいう熱さから遠のき
少しえらそうに
子どもをとらえていたのではないかと反省する。

  • 最近の子供の環境

子どもの環境も以前と変わり
保育園で過ごす子供も増えてきた。
私が20代のころは幼稚園での幼児教育を求めて
能力を上げてほしいというニーズが高く
働いている親は少なかった。
子どもといる時間が長い親も多く、暖かな家庭で過ごしていたのではないだろうか。
運動会や発表会への期待も高く
先生たちもそれは真剣だった。
されど今の保育現場にいると
子どもを預けたいというニーズを強く感じてしまう。
親もいそがしいのだから仕方ない、生活もあり、とがめているわけではない。
親がリラックスをする。
自分を大切にする。
そんなことも少しずつ認められてきた。
されども小さな子供たちは
どうなっているのだろうか。
親が仕事だからとか。敏感に世話をするのが面倒だとか大変だから預けられているそんなことも
感じとっているのだろうか。
もちろん社会にでてたくさんの刺激があり恩恵もある。
預けている時間が長い子供も多くなった。
今の子供は習い事もありいそがしい。
また貧困だったり、寂しい子供も増えてきたように思う。

子どもにとって有益な社会になんとかしたい。


保育園、幼稚園、こども園も素晴らしいが
長時間保育で子どもが疲れているように感じることもある。
具体的な方法がすぐにでてくるわけではないが
もっと子供が幸せを感じてほしいと思うばかりである。
私の子供時代はなんにもなくゆったりと
家庭で過ごした時間をもらえて私は幸せだった。
無言なのにここに存在していいんだよと言われているような。
ああいう幸せをもっと子供たちになにかしら
与えられたらなと思う。
子どものいる仕事人は黙っていても月プラス10万とかもらえて
全員パートとかで働くくらいになればよいのに。
なんて思うのは私くらいなのか。
という私も子供を長時間預けている。
されども休みの日は
なるべくゆったりと過ごしているが今度は大人が自由時間がないとイライラし外食も増えてきた。
健康のために良いとは言えないこともある。
お金がすべてではないけれども、
お金の自由さが心のゆとりになることも十分に感じている。
しかしもう一つ時間も欲しい。
この世の楽しさを十分に味わいたいのだ。

お金と時間

保育には関係ないように思うが
保護者の経済力、時間、こころのゆとり。
それらが子供に与える影響は大きい
そしていろいろあるが
子どもたちは未来を背負いこれからの私たち以上に未来を生きていく。
これからどのように働きかけていくのがよいのか。
こどもたちよ。
ゆったりと自然に触れていますか。
自分の気持ちを大切にしていますか。
友達や周りの大人と楽しくすごしていますか。
未来に希望をかんじていますか。
どうか幸せにいきていってほしいな。

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