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おすすめの美術図書「未完の青春―横手貞美」図録

私が参加していたメンバーシップ「オトナの美術研究会」(現在は閉鎖)で行われていた執筆企画「月イチお題note」。
毎日出されるお題の中で、唯一エントリーを見送った(書けなかった)のがこの「おすすめの美術図書」でした。
最近このことをふと思いだし、今さらですがこのお題について書いてみたいと思います。


はじめに

私の「おすすめの美術図書」は、2013年に長崎県美術館で開催された展覧会「長崎の美術5 未完の青春―横手貞美」図録です。

展覧会のチラシ

横手貞美とは

横手貞美を知っている人はあまりいないと思いますが、佐伯祐三が亡くなる数ヶ月前にモランへ写生旅行に行った際に、同行した仲間のひとりと言えば思い出す人がいるかもしれません。

横手貞美は少年時代を長崎で過ごし、その後上京して岡田三郎助が主宰する本郷絵画研究所で学びますが、1927年に荻須高徳、山口長男、大橋了介の三人と佐伯祐三を頼ってフランスに渡ります。

パリでは佐伯と製作を共にし、佐伯の影響を強く受けていた横手は、1928年に佐伯が亡くなると独自の表現を追及するようになりますが、その横手も1931年に31才の若さで客死してしまいます。

長崎県美術館の活動

横手の本格的な画業はフランス滞在時の約3年間に集中しているため、日本では忘れ去られた存在になっていましたが、長崎県は「長崎ゆかりの画家」として前身の長崎県立美術博物館の時代から毎年のように作品の収集を続けてきました。

2005年に明治以降のコレクションを引き継ぐ形で長崎県美術館が開館すると、長崎ゆかりの美術を検証(かつ顕彰)する目的で「長崎の美術」と題するシリーズ展示が開催されるようになりますが、そこに横手を取り上げることになり本格的な調査が始まります。

その調査を担当したのが、長崎県美術館で学芸専門監を務める福満葉子氏です。
しかし、忘れ去られた画家の調査は容易にはいかず、その苦労を地元の文化振興サイトに寄稿しています。

歿後80年以上、1990年代の「佐伯の周辺画家」としての再評価からも20年が経過し、これまで横手単独の展覧会図録も刊行されたことがない中で、作業はほとんどフィールドワークのようなものになりました。
長崎県美術館以外の作品の所蔵者を捜索し、国内各地に点在する個人、企業、美術館など、確認し得た所蔵先の全てに赴いて作品を実見し、合計90点以上の作品を調査しました。
さらにフランスでの調査も行い、横手がサロン・ドートンヌやアンデパンダン展といったパリの展覧会に出品した際の新聞等に載った展覧会評や、横手が描いた場所の確認を行って、いくつかの収穫を得ることができました。

「ながさき歴史・文化ネット」より

そうして出来上がった展覧会の図録は270ページにも及ぶもので、本展出品作の図版や解説とは別に、これまで確認し得た横手の全ての作品をまとめた「作品総目録」、通称レゾネをこの図録の中に収録しているのが大きな特徴です。

図録の表紙

また、これまで様々な媒体に掲載されてきた横手の日記や手紙などを可能な限りこの図録にまとめて再録したほか、横手の交遊関係やフランスでの生活をイメージ豊かに伝えるべく数多くの写真を掲載するなど、福満氏が今後の研究の礎となるものにと想いを込めた渾身の作品になっています。

図録との出合い

私がこの図録と出会ったのは、ちょうど1年前に長崎へ遊びに行った時でした。
何気なく立ち寄った長崎県立美術館のミュージアムショップで、佐伯の図録かと思い手に取ったのが始まりでした。
その時はまだ横手の名前すら知らなかったのですが、中を見て佐伯とモランへ行った仲間のひとりと分かると俄然興味が湧き、帰りの荷物のことなど気にもせずにこの図録を購入してしまいました。

帰宅後にこの図録をじっくり見てみると、横手が渡仏後に描いた風景画には、タッチや色彩、構図などに佐伯の影響を色濃く感じますが、横手が実兄に宛てた手紙の中で「あまりに佐伯君の作に近いとの評をよく耳にしますので日本に帰って非常に此の点損だと思います」と書いているように、本人は佐伯から学んだ多くのことを、ただひたすらに描き続けていただけなのかもしれません。

その後、横手はこのままでは日本に帰れないと、これまでの評を払拭すべく人物画に活路を見出しますが、この手紙から1年も経たないうちに体調を崩し、再び日本の土を踏むこともなく志半ばでこの世を去ってしまいました。

あとがき

横手の全作品のうち所在の確認が取れている油彩画は90数点しかなく、長崎県美術館が約50点を所蔵、残りは企業または個人蔵のため滅多にお目にかかる機会がありません。

7年後の2031年には歿後100年を迎えるため、それまでにひとりでも多くの人に横手のことを知ってもらい、当年には大規模な回顧展が開催されることを願ってやみません。

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