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【ハイヤーセルフと私】"自己犠牲が大好き"のウソとワナ


『世の中には、自分のことだけ考えることを悪のように語る人がいるけど、他人のことしか考えないって言うのも、実は、同じくらい"悪魔的"なんだよね。』

(前回まではこちらから⇧)

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「久々のnoteですよ、ハイヤーさん。
最近ネガティヴで自分とも天とのつながりも良くない気がするんで、何かアドバイスくださーい!」


『ふむ。どうして最近ネガティヴになってしまったの?』


「私医療勤めなんですが、フリーランスみたいな勤め方をしてるから色んな仕事かけもちして、やりくりしてるんです。ただ、最近はかけもち多すぎて、あらゆる時間を勤務に費やすような状態なんですよね。


『忙しいって感じかな。』


「忙しいというか、本当に費やしたいことに時間を費やせていない感じがして。お金的にはまあいいんですけど、スキルアップの勉強をしたり、プライベートの時間も欲しかったり。最近落ち着いてきたから、仕事を減らしたくなったわけですよ。




『うんうん。たしか、勤務日が決まってない、請負の仕事もあるから、本当は断ることもできるんだよね。



「本当は。いや。だけど、きた仕事には全部やります!
って答えてしまうんですよね。
やっぱり、"あなただから"って言われたり、相手と関係がいいと、断りたくないなって気持ちも生まれるんですよね。」



『うんうん。』 



「恩もありますからね。反面、自己犠牲してる感もあって…どっちつかずですよ。」



『断ったら何が問題だと思っているの?』



「それは、、、相手が他に頼みたい人がいなくて困るんじゃ、とか。他の人も困るんじゃとか。」



『うんうん。』



「一応、指名ですからね。おごりかもしれせんが
自分がやらなきゃ、みたいな気持ちに駆られるわけですよ。」



『うんうん。それってもしかして
相手や周りの人たちのことを"可哀想"って思ってるってこと??』



「え!!いや、そんなことは言ってませんけど。。」



『うん。冗談だよ。少し意地悪だったね。
だけどさ、それって、本当に相手が困るか?苦しいか?って言ったら別問題だってわかるよね。』



「ま、まあ。」



『あなたがダメなら他の人に頼む。頼まざるを得ないならそうするでしょう??それに、あなたと仲が良いって話だけど、あなたがいなくなってしまったら、それでウサギみたいに寂しくて悲しくて裏切られたみたいにずっと泣いて、あなたを責めて過ごしてるの?相手。』



「う、うん。」



『それこそ、"おごり"じゃないかな?
自分がいなかったらまるで相手が全部成りたたなくなるような考え方だよね。



「ま、まあたしかに。」



 『はあ。なんだかね。自己犠牲が最善の行動、美徳みたいな考え方をたまに聞くんだけどさ。』



「うん。日本人…とは言いたくないですが、若干多い気がしますね。」



『その自己犠牲には実は欺瞞が含まれていることも多いんだよ。』



「ぎ、ぎまん?」



『あなたの言う自己犠牲もそうで、相手のことを思っているようだけど、背後には"可哀想意識"があるじゃない?』



「うん。」



『私がいないと相手がダメになっちゃう。みたいな。
これっていわば、超見下してるわけだけど。』



「ま、まあ。相手をね。」



『相手のことを考えている、の背景には
実は、エゴが動いていることがけっこうあるわけよね。』



「エゴ?」



『人の幸せを願う自分が好き、とか、
罪悪感を抱きたくないとか、』



「う!」



『ほら。自分の欲望…自己犠牲って他人のためのはずなのに、"自分の感情"も介在しているわけじゃない??』



「まあ。そう言われるとそうかな。」



「自己犠牲だけど、それを自分のためにやっている場合もけっこうある。見返り…つまり、感謝を求めていたり、自己犠牲してる自分が好き、優しい人間だと他者から思われたい、承認欲求が満たされる、みたいな
エゴ出発の自己犠牲の場合はけっこうある。



「まあ。自己犠牲って美化しやすいところがありますからね。」



『まあ、自己犠牲にも種類があるかもしれないけど…
本当に相手のことを考えて行動したのか?
そこに自分の欲は一切含まれてないと言えるのか?
と言ったら、究極的には答えはないよね。



「……。」



『自分の幸せを1mmも考えずに他人の幸せのためだけに行動できるなら、"自分の時間・お金・労力"すべて他人のために使いますってことだからね。』



「極端な話ですが、自分の好きな物買いたい物も我慢するし、食べたいものも我慢するし、好きなテレビもマンガもyoutube  も見ないし、お金は他人の幸せのために使うし、寝る間も惜しんで他人のために行動します!!自分の名誉?評価?承認?そんなもの必要ありません!収入は他人のために使う分だけで充分!あなたが幸せなら私は何もいりません!って感じですからね。



『ふつうに考えて渇望しないの?』



「そりゃあ……渇望するでしょうよ。」




『養う家族や大切な子供がいてもムリじゃない?』



「どこかで爆発しそうな勢いではありますね。」




『だよね?自分の幸せ、楽しみ欲しくない?』




「ほしいですね。」



『つまりさ、"他人の幸せだけ"を考えて生きるって
極端な話"なのよ。
自分のことを考えずに生きている人はいない。
むしろ、真っ先に、あるいは、人生の大部分を
自分のために使うって、むしろ、当たり前なんだよね。



「たしかにそうですね。
もし、自分の幸せを考えていなかったら、私は今日
お気に入りのカフェには行ってませんから。」



『そうだよね。
だから、自分のことを考えるって全然悪じゃない。
むしろ、自然でふつう。』



「…自分のことを考えるから私たちは頑張れるときもありますね。
好きなものを買うために仕事がんばったり、もっと地位や年収が欲しくて勉強したり、素敵な恋人や将来安泰の結婚相手を望んだり、モテたくてダイエット頑張ったり、何かしら自分の欲を満たすための行動はとっている。



『うんうん。美味しい料理を作ったり、トイレ行ったり、温かい布団を用意したり、そういう自分へのケアも
自分を思い遣っている証拠でもあるんだよね。』



「どんなに自分をイヤになっても
自分のために何かしらの行動ってしちゃうもんなんですよね。」



『そうだね。いつか話をするけど自分嫌いにもウソがあるから。あなたたちは自分に生まれた以上。
自分を幸せにするのは"使命"みたいなものなんだよね。』



「そうなんだ。
使命なら、してもいいのかな。」


『それでさ、大切なことを教えるけど。
この世界、自分とは他人のことだ。』




「え?」



『つまりさ、あなたが幸せであることと
他者が幸せであることは紙一重なんだ。』



「どういうことですか?」




『例えばさ、ある人が貴方のこと好きだから付き合いたいって言ったじゃない?』



「ええ。」


『で、あなたはあまり相手に関心はないけど
付き合うことにした。相手の幸せのために。』



「うん。自己犠牲?になるのかな。」



『だけどさ、あなたは付き合ってみても
相手に興味がないし、話していても興味が湧かない。
デートしても、家に行っても、何にも幸せを感じない
とする。』



「うん。」



『それって、相手は幸せなのかな?
って思わない?』



「え?」



『あなたは興味がない。だけど、"相手のことを考えて"付き合うことにした。自分の気持ちは捨てて。
だけど、あなたは相手が好きなわけでもなんでもない。
そういう気持ちで毎日一緒にいられて
相手は本当に付き合えたことに喜びを感じるのか?ってこと。』



「うん。なんか、お人形みたいですね。
気持ちが一切ないのに恋人みたいな振る舞いをする。
相手が付き合いたいって言ったから付き合うとか、
受け身だし、たぶん、この人の方から相手を愛するための行動を取ることは難しいでしょうね。
最初から愛していないから。」



『そう。気持ちがない。
実はこれって、"他者にすべて伝わる"ものなんだ。』



「他者に……伝わる??」



『そう。伝わる。
"自己犠牲"や"他者のためだけに"というのを僕らが推奨しないのは、そもそも、他者にとっても喜ばしいことではないから。あなたがウソつきなのがバレバレで、あなたの中に気持ちがない。
その行動を"幸せ"だと感じる心があなたの中にないからなのよ。



「ウソつき…。」



『自分の気持ちにウソをついて
人と付き合う、人のために何かをするって誠実ではないんだよね。』



「誠実ではない?」



『そう。気持ちがないのにあるフリをする。
真心からの思い遣りではない。
だから見返りが欲しくなるんだよ。』



「見返り?」



『やりたくないことやって、相手のために何かしてたら、
そりゃあ何かしら自分にもお返しして欲しいと思うものさ。』



「たしかにね。イヤイヤ仕事やった結果、お給料にこだわる感じかな。」



『仕事が楽しい人ってお金もらわなくても趣味でもやるからね。自分がやってて楽しい。幸せ。ってそういうことなんだよ。』



「そっか。"やりたいことをやっている"なら、それ自体が幸せ。例えば、家事が好きなら家事が幸せ。だから、なんで私だけ!みたいな気持ちにも、私に感謝して!みたいな気持ちにもならない。」



『うん。人にプレゼントをあげることが幸せなら、相手のプレゼントを選んでいるだけで幸せ。相手からお返しが欲しいとか思わない。』




「…うん。見返りが欲しい時って、"ガマンが入っているからこそ"のときも意外とあるんですね。」



『そういうことになるかな。
たしかにさ、いるんだよ。
他人の幸せが自分の幸せ。
時間もお金もエネルギーも、自分のもってるもの全てを他人のために使える人ってね。』




「"他人のため"にウソ偽りがない人ですね。」




『それってね、"ムリがないから"できるんだよね。
本気でそれが幸せだから。』



「他人の幸せが本気で自分の幸せになる人。」

 


『他人が幸せになったり、そういう笑顔を見せてくれたり、他人の人生が良くなったり、
それが楽しくて楽しくて幸せで仕方ない。
そういう心もちが自然とある。』



「へー。」




『他人の幸せ=自分の幸せな人は、
自己犠牲って言葉は出てこない。
だって、それをした結果、自分が幸せなんだから。
別に犠牲になってないよねってことよね。  』



「たしかに。最も満足がいっているのは自分でもあるから。。"犠牲"というネガティヴな言葉は出てこないわけですよね。」



『そうなのよ。だから、他人の幸せだけを考えることが素晴らしいことだ。とは僕らは言わない。
それは心の内側に"ほんもの"があるかどうかによるからね。



「うんうん。」



『かといって、僕らは
自分の幸せだけ考えていい、とも言わないよ。
何回も言うけど、他人の幸せと自分の幸せって、基本的には=(イコール)になるんだよ。



「イコール??」



『そう。さっきの話だけど、自己犠牲と感じずに
自分の全てを真っ先に他人のために使える人の話だけど、実はこれが本来のの喜ぶ姿なんだよね。』




「へー。」



『魂の本来の姿。つまりさ、
自分を犠牲にして利他的に生きることは不自然であると同時に、自分の幸せだけを追い求めて他人を犠牲にするのも不自然なのよ。


「そうなんですか。どちらも対等にあると。」



『自分の幸せだけを考えたり
他人に不利益を与えたり、人に悪意から何かをしたり、それも、自分にウソをついているってことでもある。』



「うん。幸せには感じないと。」



『利己的か、利他的か?は別々のものではないの。
自分の幸せは他人の幸せ。
他人の幸せは自分の幸せ。
だから、他人が幸せを感じるのはあなたが幸せを感じたとき。
他人と自分はつながっているから。



「そうなんだ。ってことは、自分に嘘偽りがない状態でいるとき、他人にも誠実であり、他人の幸せを考えられるってことになるのかな。」



『だからさ、
自分にウソをつかない。
実はこれが、この世界や社会、他人に対する
最大の貢献になったりするんだよね。』



「最大の貢献?」



『うん。あなたが"あなたそのまんま"の自分らしさを発揮してるとき、あなたは世界から喜ばれるし他者の笑顔に貢献できる。



「え??自分が自分のままに楽しく生きてるだけで
他人まで幸せにまで貢献できるんですか?
どんなすごい世界なんですか。それって。」



『というか、それが普通なんだよね。
"そのまんまで生きれるようになる"って言うのが、魂のステージを上げるための1つの課題だからさ。』



「課題?」



『あなたの本来の姿に立ち返ること。
自分純度"を上げるってことなんだけど、
それができれば出来るほど、
自然と、他者のためであり、自分のためになる。
魂の喜びやワクワクを追求するにつれて
どんどん、他者貢献・世界貢献にもなっていくってことなのよね。




「そうなんだ。自分って奥深いものなんですね。」




『そのための第一歩が
自分にウソをつかない。』




「うん。」



本当にやりたいのか?見返りやメリットを期待していないか?相手からの信頼や評価を失う不安に駆られていないか?その行動に"まごころ"はあるのか?



「うん。」



『その問いを自分に問い続けること。
ウソはどのみち他者にはバレバレだから。
何のためにそれをしているのか。自分の気持ちに素直になることが大切だよね。



「うんうん。自己犠牲もそうで、やりたくないなら
やらない自由だってある。"他人のため"と理由をつけても、やりたくてやってるのは自分なんですよね。」



『そうだよ。だから、あなたも自分に素直になりなさい。』




「うん。そうします。恐れは幻想。
相手が困るかも…なんて、自己犠牲をやめてみるまではわかりませんからね。」



『そして大切なことは
他人の自由や選択を奪わなくていい。』



「どういうことですか?」    




『他者には他者の感じる自由考える自由があるの。あなたが仕事を断った先に、
相手にもまた他の道筋が見えてくるかもしれないでしょ?』



「え?他の道筋?」



『あなたに仕事を断られた結果、
あなた以外の人に仕事を頼んでみて、思いの外それがうまくいったとか、あなた以外の人との関わりが増えて、意外にその人たちと意気投合して仲良くなったとか。仕事の幅が広がったとかね。



「あ!」



『あなたはあなたが仕事を断ったら"相手が困る"ことばかり考えているけれど、その結果物事がいい方向に進む可能性がある。困ったり悩んだり苦しんだりした結果、何か新しい選択を相手もまた選ぼうとするんだ。
そういう機会をあなたが奪わなくていいってこと。』



「そっか。教育でもよくありますよね。 
子供に手を出すのをやめたら、サクサク主体的に行動し始めたり、部下に口出すのをやめたら、サクサク仕事が伸びたり、
こちらの行動によって"相手のまだ見えていない可能性"を覆ってしまうこともあるわけですよね。



『そうだね。
恋愛もそうで、相手の告白を断った結果、相手は自分をめちゃめちゃ磨いて超イイ女イイ男になってモテモテハッピーライフな人生を送る未来があるかもしれないのよね。』



「たしかに…。振られるって一時的なことでしかないんですよね。」



『そういうこと。
その先にはまだ見えぬ可能性がある。
だから、あなたはあなたに正直になってごらん。
この世界、物事はうまく回るように出来ている。

自分にウソをつかなくても他者の幸せは必ず生まれるのだからね。』



つづく。



ありがとうございます! あなたにも2倍3倍に運が巡りますように。 (お問い合わせ機能からメッセージいただくこと増え、大変ありがたいのですがこちらからは直接ご返信ができないため、お問い合わせは、公式LINE:924gfadaまでお願いします。)