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紬言葉4.東京心覚とはなんなのか

 ※ネタバレを含みます。
今回は、今日観に行った『ミュージカル刀剣乱舞 東京心覚』についての考察をしたいと思います。
 あたしは実は刀剣乱舞というコンテンツ自体5年程ファンでして。今までとうらぶの様々な公式イベントなどにも積極的に参加してきました。特にミュージカル刀剣乱舞(刀ミュ)が好きで、4年程前の『幕末天狼傅』からほぼ毎回参戦しています。今年も運良く当たり、参戦しました。
 
今回の作品は、今までの刀ミュとは少し違い、全体的に新たな取り組みや内容が多かったと感じました。従来の刀ミュの内容は、第1部では、審神者から一つの命令を下された刀剣男士達が、己の使命に悩み、葛藤しながら、現地での歴史上の人物と交流することで成長していくミュージカルです。しかし、今回はそこから違いました。
 今までは1つの時代や1人の歴史上の人物に密着しながら任務を進めるという形でしたが、今回は複数の時代や複数の歴史上の人物を交互に追っていったのです。しかも、年代も全くバラバラ。それもあり、初めはこのミュージカルが何を伝えたかったのかが分からず、困惑ばかりしていました。
 それからストーリーが進んでいくと、少しずつ『東京心覚』とはなんなのかがあたしなりに見えてきました。

 東京心覚(こころおぼえ)とは、「東京(江戸)という1つの歴史という名の大河を通して、当時の人達が伝えそびれた、後世に託した独り言=こころおぼえ」だと思います。
 あたしは大学で日本法制史というゼミを取っています。日本史に関わる勉強なので、史料などを調べることも多いんですね。確かに、水心子君が言うように、教授からも「史料など、証拠が残っているエピソードを優先的に使用しなさい」とよく言われます。過去の史料に書かれていることが歴史としては「正しい」、「存在する歴史」なのかもしれません。しかし、実際史料が残っていたとしても、その史料に書かれていることが本当に正しいことなのかなんて、それを書いた本人や、当時を経験した本人にしか分かりません。現代を生きるあたし達には「存在した歴史」なんて誰にも分からないのです。だから、彼らが言うように、この世に「存在しない歴史」など無いのです。
 「歴史とは、大きな河のようなものだ」と、三日月宗近が言っていました。この公演を通して、あたしもその通りだと思いました。様々な時代の登場人物を通して、彼らの一つ一つの物語を繋ぎ合わせると、不思議と『東京』というひとつの歴史、大きな河になります。歴史とは、本来ゆっくりと漂いながら進んでいくものなのです。
 
 さらに、物語の初めからずっと出ていた、能面を付けた女の子の正体を、水心子君が『ここに来たくても来られなかった子なのかもしれない』『でもその選択肢に正解は無い』『頑張っている子なんだ』という発言で、あぁ、これは新型コロナウィルスの影響で、本当は今日ここに来ることを諦めた審神者達のことなんだ、と気づきました。今回刀ミュに参戦するという選択肢を取ったあたしも正解だし、感染を恐れて自粛するという選択肢を取った審神者も正解。それぞれの考えに正解は無いのです。
 刀剣乱舞の1つのコンセプトとして、「どんな時も主に寄り添う」があります。このシーンはまさに、そのコンセプトそのものだと思いました。そして、その直後に全員で、「だから、今自分が出来ることをする」という発言に繋がるのです。今、刀剣男士達が出来ることは、歴史を守ること。主を支えること。今出来ることを全力で行う。これは刀剣男士達だけではなく、あたし達にも通じることだと感じました。
 
 今回の刀ミュの内容に関しては、はずかしながら、登場人物に対する知識が皆無に近いせいで完全に理解することが出来ませんでした。なので、これから彼らに関する資料を集めていき、少し理解を深めてから再び考察したいと思います。
 ありがとうございました!

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