見出し画像

題目『むしん』

 昨夜のTwilloの冒険の題目は『むしん』。

 "おねだり" する、の「無心」ではない。
昨夜の「無心」は。。
 "すべてから離れた心の状態" という意味でした。

こっちの「無心」の意味も、結構いろいろありまして。
 思慮分別がない、とか。。
風流を理解しない、とか。
 そういったマイナスの意味でも使うんだよね。。

考えていたのは。
 "邪念がない" という時の「無心」。。
  でも、またまた。
 これも幅広くてですね。

"他のコトに気をとらわれず、夢中に何かに打ち込む" という状態も。
 「無心」と言うし。。
  もっともっと深い意味での。
 仏教の教えなんかに出てくる「無心」もある。。


だいぶ以前のコトだけど。
 "座禅" を組んだ経験が何度かありまして。。
そこで必ず出てくるのが。
 「無心」でした。。

 教えて頂いた通りに、足を組むと。
呼吸を整えて。。
 眼は "半眼" にしておけ、と言われる。
  完全に閉じちゃダメなんだって。。
 眠ってはいけない、と言うコトなんだろうな。
まあ、眠っている時も "何も考えない" 状態はあるんだろうけど。。
 それではないコトを求められる。

で。

ボンヤリと薄眼を開けて、何かを見るとも見ないともなく。
 「無心」になれ、と。。

 これがですね。
 
なかなか、に難しい。


次から次へと。
 いろんなコトを考えてしまいます。。
消そうとしても、消そうとしても。
 次から次へと。。

結局、浮かんでくる諸々の雑念と。
 それを消そうとする努力だけの時間となってしまいましたね。。


「無心」には、なろうとしてなれるものではない。
 でも。。
  たまたま、その境地に至ってしまう、というコトはあるのです。
 己の意思とは関係なく、ね。。


"頭が真っ白になる" って言いますが。
 極端なショックを与えられると。。
  何か、心の "自動制御装置" みたいなモノが発動して。
 一瞬、まさに「無心」の境地に至る。。

ワタクシも脳の異常放電で、ぶっ倒れたコトがあります。
 数日間は「無心」の境地を彷徨ってましたよ。。
眼は見えていたし、身体も普通に動いていたのにね。
 何にもない状態でした。。
何にもないけど。
 やけに冴え渡っていたような。。
不思議な経験。


『むしん』には、なろうとしてなれるものではない。

 仏教などでは、その境地に至ると。。
  "悟り" が開けるのだと言う。



美しいモノを感じて。
 悲しい想いに触れ。。
雄大なモノに抱かれて。
 さみしさの中を転げ回る。。

すべての限界を知り尽くした先に。

 心の "リミッター" によって、完全に静止した。
完全に安らかな。。

    『むしん』の境地が待っているに違いないですぞ(ニヤリ)。。。
 



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。 


いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。