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ラファエル前派のモデル エレン・テリー


Ellen Terry (1847-1928)

G.F.ウォッツ《エレン・テリー》1864年頃、国立肖像画美術館

俳優一家の次女として生まれる。8歳で舞台にデビューし、16歳の時、30歳上のジョージ・フレデリック・ウォッツと結婚した。しかし、1年経たないうちに建築家のゴドウィンと駆落ちし、舞台女優として復帰した。ヘンリー・アーヴィングの相手役として、シェイクスピアのヒロインを演じ、その演技には定評があった。ルイス・キャロルやジョージ・バーナード・ショーらの文化人と交流があった。

ウォッツによるスケッチ

モデルを務めた作品

姉妹

G.F.ウォッツ《姉妹》1864年頃

G.F.ウォッツはピアノ職人の子として誕生し、王立美術院に学びました。「三美神」の一人、アグライア・コローニオの父、A.C.アイオニデスの庇護を受けました。肖像画家として活躍し、ヴィクトリア朝の著名人や、上流階級の人々を描きました。

ラファエル前派の一員ではありませんでしたが、エレンと結婚した1860年代には、豊かな色彩や官能性の強調など、ロセッティの影響を受けた作品を描きました。左はエレンの姉のケイトです。この肖像画を描くうちにウォッツはエレンに恋をし、結婚しました。エレンはウォッツの芸術と、優雅な生活スタイルに感銘を受け、既に画家として成功していた彼と結婚することで、両親を喜ばせようと考えたようです。

花選び

G.F.ウォッツ《花選び》1864年、イギリス国立肖像画美術館

本作は、特にロセッティの影響が強いといわれています。エレンは、ホルマン・ハントがデザインしたウェディングドレスを着ています。香りを嗅いでいるのは、見た目は華やかな、香りのない椿です。心臓の近くに、花は小さく地味であるものの、香り高いスミレの花を持っています。これは、エレンが舞台女優という、華やかな虚飾の世界を捨て、地味であっても芸術家の夫人として尊敬される生活を選択することを意味しています。

写真

ジュリア・マーガレット・キャメロン《16歳のエレン・テリー》1864年

エレンとウォッツは芸術家たちのパトロンであったプリンセプ夫妻のもとに滞在しました。写真は、プリンセプ夫人の姉であったジュリア・マーガレット・キャメロンが撮影しました。

ルイス・キャロルによる写真、1864年頃

数学者・作家であったルイス・キャロルが少女との交流を好む一方、成人女性は苦手としていたことは有名ですが、エレン・テリーとは彼女が大人になってからも親しく交際していました。エレンの2人の妹を撮影した写真は、ウォッツが描いた姉二人の肖像画を模倣しています。

ウォッツとの短い結婚生活の間に、エレンはグラッドストーンやディズレーリら政治家のほか、テニスン、ブラウニングらと知り合いました。ウォッツの作品により、エレンは後期PRBの画家や、オスカー・ワイルドらの唯美主義者にとって憧れの的となりました。

マクベス夫人

ジョン・シンガー・サージェント《マクベス夫人を演じるエレン・テリー》1889年、テイト美術館

マクベス夫人のドレスのデザイナーは、「鎖帷子やヘビの鱗のように見せたかった」と記しています。製作者は、ボヘミア製の、緑色の絹と青い金属箔が織り込まれた糸を使用して生地を作り、緑色に光るカブトムシの羽が縫い付けられました。エレンが羽織るマントには真っ赤なグリフィンが刺繍されていました(出典)。

絵に描かれたポーズは実際の舞台では行われませんでしたが、サージェントの作品からは衣装の輝きが分かります。ポーズ、衣装ともにマクベス夫人の性格を伝えるものだと思います。キラキラ光るドレスは観客に強いインパクトを与えたことでしょう。エレンは絵や写真で一枚一枚異なる表情を見せていますが、「画家(写真家)のモデル」としてではなく、「偉大なる舞台女優エレン・テリー」本人として描かれて(撮影されて)います。

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