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【前編】変態的なカバへの愛が人生を狂わせた話。

「どうか、私とワルツを。」

初夏の日差しが降り注ぐはずの午後1時。それも大学の授業があるはずの平日の午後。私は神戸市北区のアパートで、カーテンとダンボールで全ての光を遮られた真っ暗な部屋の中で一人毛布にくるまり、鬼束ちひろのスロー・バラードが流れる部屋にいた。

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夢は甲子園出場!球児の夏に人生を捧げる!

私には夢があった。
それは地元の高校の野球部の監督として甲子園に出場するという夢だ。
そのためには、高校卒業後は岡山大学教育学部に入らなくてはならなかった。
大学リーグのベストナインを獲得した後、高校の体育教師にならなくてはならなかった。
大学では4年間ひたすら野球に打ち込まなくてはならなかった。
全ては高校野球の監督として甲子園に出場するためだ。
私の将来設計、ビジョンは明確で完璧なものだった。

2013年4月。私は全く志望していなかった大学に入学し、野球を辞めることになる。

野球を人質に、背水の陣で受験に挑む!


高校3年生の冬。2年半勉強してこなかった焦りから、受験に失敗したら野球を辞めると周囲に言いふらすことで自分にプレッシャーをかけ、全力で半年間勉強した。その結果、過去最高難度と言われたセンター試験で私はまさかの自己最高得点を叩き出した。

部活を引退するまでの2年半、机に向かうべき時間にも私はグラウンドにいた。頑なに勉強を避け続けた私にしては出来過ぎた結果だった。第一志望だった岡山大学教育学部への判定はA。後期試験をそつなくこなせば受かるらしい。夢への第一歩を掴みかけたはずだった。

合格発表の日、そこに自分の番号はなかった。どうやらセンター試験の平均点が下がりすぎた結果、普段成績の良い人たちがこぞって志望校を下げてきたのだ。半年のやっつけ勉強で挑んだ私には彼らに勝つほどの自力がなかった。

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だが、浪人するほどの気力は起きなかった。いや、正直に言うと、めちゃくちゃ怖かったのだ。ものすごい苦しみとプレッシャーの中で勉強をしてきた。しかしそれは半年しかできないと思った。部活を辞めて大学入試までの半年だったからこそ、エネルギーを注ぐことができただけの話だ。そこからのもう1年は私には無理だと思った。

私はダメ元で後期センター試験利用で関西学院大学に応募した。全く志望していない大学だった。そして、合格したのは総合政策学部だけだった。ホッとした。だが、私の夢はあえなくついえた。もちろん、高校教師を目指すことはできたはずだ。しかし、受験に失敗したら野球を辞めるという自分との約束に嘘はつけなかった。というよりも意地になっていたのだと思う。

不眠でうつ状態。どこにも居場所はなかった。


志望校に入れなくても、大学生活はそれなりに楽しめた。という合格体験記に書いてあったストーリーのようにはならない。高校卒業間近、当時大好きだった彼女にもフラれ、私は完全に自信を喪失していた。生まれて初めて地元を離れ、支えだったはずの野球からも遠ざかり、その他色々な不幸にも見舞われた。永遠の自由を手に入れたかのような同級生たちとは馴染めずにいた。それまでの人生では、野球が全ての中心にあった。熱中できるものがなくなった瞬間に心にポッカリ穴が空き、自尊心を保つ事ができなくなった。そんな自分の弱さにも嫌気がさして、人と会う事すら怖くなった。自分に自信を与えてくれる、支えとなるものがなくなってしまったのだ。

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私には夢があった。しかし、それはもう叶わない。追いかけるほどの気力も湧いてこない。周囲に溶け込めず、自分が日に日に卑屈になっていくのがわかった。昼夜が逆転した生活を送り、しまいには昼も夜も眠れなくなった。目をつぶった瞬間に爆発音がするくらい自分で自分を追い込んでいた。光さえも浴びたくなくなり、遮光カーテンを目一杯閉めた。こぼれる光にはダンボールを貼って光を遮断した。死ぬ勇気はなかった。だからもういっその事、消えれたらいいのにな(元々存在すらしなかった状態)、、と何度も想像した。

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高校の時の自分が今の生活を知ったらどう思うだろうか。そう自分を責めては、真っ暗なワンルームで布団にくるまりながら携帯をいじる生活を送っていた。しかし、ひょんなことから私の真っ暗な生活に一筋の光が差し込むようになったのだ。

カバ、百獣の王をひとひねり。


いつものように、無気力ながら諦めきれない野球の動画をYouTubeで見ていた。関連動画に出てきた動画のタイトルに目が止まった。

「最強動物カバ。百獣の王の猛攻を受け流す」
というような動画だったと思う。何の意識もなくタップし、動画を見てみた。

全身に電気が走ったような衝撃を受けた。そこには、十数頭ものライオンに襲われる一頭のカバが、ライオンのリーダーの頭蓋骨を嚙み砕き無傷で颯爽と逃げ帰って行った姿があった。

なんだこれは。もしかしたらこれかもしれない。人生の生きる意味を見失っていた私に突如として活力が湧いてきたのだ。他にカバの動画はないのかと動画を漁った。

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次に見たのは、一頭のワニがカバの縄張りに間違えて入ってしまった動画だった。縄張りに入られ激昂したカバはワニの胴体を一噛み。するとワニの体は一瞬で真っ二つに折りたたまれてしまったのだ。その様子はまるでガラケーそのものだった。その迫力に二度心を奪われた。

カバの魅力は決して強いだけではなかった。カバが最強動物であることを知ったバカな私は、バカバカしい大学生活がカバによって変わるかもしれないと思い始めた。そして、次に見た動画が決定打となった。

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川辺を散策しているカバ。縄張り意識の強いカバは近くに敵でもいようものなら、容赦なく襲う。警戒をしながらあちこちを見回していたところ、カバはふと身の危険を感じてダッシュで安全な水の中へ体を沈めた。

百獣の王を嚙み砕き、デスロールでおなじみのワニを折りたたんだあの最強生物であるカバを驚かせた動物とは何か。それは、空を自由に美しく飛び回るチョウチョウだった。ヒラヒラヒラっとカバの目に突然入ったことで、カバは思わず全速力で逃げたようだった。

たまらん。これはたまらん。

見事な三段落ちをYouTubeのアルゴリズムにキメきられた私は、その日からカバにのめり込んでいった。

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近くの図書館でカバの生態について調べる日々が続いた。hippoと検索してみて、英語がわからずとも、カバの動画を日英問わず漁った。不眠症で赤く血走った目で原付に乗っては関西圏の動物園を巡った。そして、国際政治学専攻のゼミであったが、「カバの生態」という異様な熱量のこもった論文を提出して特Aの評価をもらった。

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熱中できるものが見つかった私の生活は、真っ暗ではなくなった。どうしても現地で野生のカバを見たい。日に日にその想いだけが強くなっていく。その想いが最高潮になった私の頭の中には、一つの選択肢しかなかった。

2014年7月18日。私は岡山空港の出発ロビーで、仁川経由ジョモ・ケニヤッタ空港(ケニア)行きのチケットを握りしめていた。

続く。

Text by 祇園 涼介 (Rockwell Japan 代表)
Edit by ジュンヤスイ(Rockwell Japan ストーリーテラー)

最後までお読みいただきありがとうございます。今後ともジーンズブランドRockwell Japanをよろしくお願い致します。