2021_0113
最近の自分はいったいどこに向かっているのだろうか。
分からない。
どこかに向かっていることはわかるし、今の状況が永久的に続くのかどうかも分からない。
今の状況が続くことが自分にとって好ましいことなのかも分からない。
とすれば、何をやっても正解とできるのではないか、という仮説を立てることができると気がついた。
なぜなら、「失敗」の定義がないからである。
過去の人生を振り返る。
失敗をした、と思うことは数えきれない。
が、それは、何かしらの目標が存在していたり、それに対して努力をしたが、結果が出なかったということだったように記憶している。
であれば、目標を立てなければ、どんな方法であっても失敗することはないんじゃないか。(某映画の父親がこんなコメントを残していたような気がする)
目標を立てないことのデメリットは、成長しないことだと思う。
それは大いにデメリットだ。
なぜだか知らないが、この世界では「成長」することが正義だとされている。
そのままの能力で全く進歩がない様子を人は称賛しない。
なんとなくではあるが、自分の中でもしっくりくる内容である。
また、人間は人情というものを持ち合わせている生き物である。
合理的だとか、理性によってコントロールされているだとか、そういう観点で物事を判断すること以外の情報選択の余地が存在している。
マクロ視点で考えて、生物学的な成功を治めることを願うのであれば、子孫を残せば、それで成功となろう。
資本主義的な発想で考えれば、資産を多く増やすことができれば、それが成功になろう。
他人に救いを求めてはいけない。
自分の生殺与奪を、他人に与えてはいけない。
守りたければ、自分が強くなるしかない。
他人に、守ってもらうだなんて考えを持ってしまっては、いつか、見放されてしまった時に、その命が絶えてしまう。
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