人生の時間が限られているため、全ての物事を成功するまで継続する時間が人間には残されていない

2021_0116

2021年の最初の一ヶ月も、気がつけば半分が終わってしまいました。

なんとなく、一年前の今を振り返ってみました。


就活と並行しながら部活をしていました。

この時はまだ就活を頑張ろうとしていた気がします。

ただ、図書館で面接を受けたりと、結構やばい思考で行動をしていたことを思い出します。
(そりゃ落ちるわ笑、別に行きたいとこじゃなかったけれど)

それと、その時と今とで、価値観は変わったけれど、軸というか、ぶれていない部分はあるなあと感じました。

それは、自分にとっての最善を探そうとしているという姿勢です。

常に現状に満足することなく、高みを目指そうとする視点を持てることは僕の強みなのかもしれないということに気が付きました。

そういえば、noteを書き出したのも、一年前のもうちょっと先ですね。

その時は、ブラインドタッチの練習も兼ねて文章を書いていたような気がします。

それが、今や文章を書いてお金をもらうようになっていようとは。。。


確実に変化を生んでいることに気が付きました。

先ほど、無い物ねだりができることが僕の強みだということを書きました。

ただ、それだけでは前に進むことはできません。



なぜなら「できない」というか、「人生の時間が限られているため、全ての物事を成功するまで継続する時間が人間には残されていない」のです。

だから、自分の時間をどこに使うのか、ということを選択する必要があります。

そして、人は「自分が知っているもの」にしかなれません。


アフリカの辺境の地で育った少年がいきなり、日本の学校の先生になることはあり得ません。

その過程のどこかで「先生」や「日本」と出会うきっかけがあって初めて、そうした可能性が増えるのです。


であれば、自分にとって最良の選択肢をこの世の中から見つけ出すためには、より多くの物事に触れる必要があるのです。(論理的には)

これが、多くの人がよくいう「挑戦しろ」という表現に近いものになってくるのでしょう。

また、その人にとっての最善が何であるかを知るためにも、自分以外の知識を持っている人に出会い、自分にとってどんなことが最善かを尋ねるということも良いとされています。

これは、非常に論理的な話で、感情論とはまた違った部分の話だと思います。

この考えと、人間の感情論を組み合わせた結論が出ればいいなーと思いました。


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