Q,死にたいなら一人で死ぬべきなのか

A,一人で死ぬべき

この問に関して言えばなんの関わりもない人間が無闇に殺害されるのを肯定出来るはずがない

まず何故他人を殺して自分も死ぬという行動に移るのかを調べてみる。するとその行動の取る殆どの容疑者には社会への不満や怨みの感情があるという。
そんな人間が「死ぬなら一人で死ね」なんて言葉を受け取るとどんなことを思うのだろう。恐らくは、やはり社会は何もしてくれないと思うのだろう。

もちろん私は出来れば誰にも死んで欲しくないし、それは皆さんも同じだろう。なら「一人で死ぬべき」という残酷な言葉よりも伝えなければならない大事なメッセージがあるだろう。

社会のレールに外れた人をサポートする様なシステムをどうやって作り上げるのか、何故そんな感情を持つようになったのか、どうすればいいのかを考え話し合い一人でも犠牲者を減らそう。
というのが藤田孝典さんの「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」の真意だと思う。


あとがき
今回の問題の本質は 〜という非難を控えるべきというものであり決して他人を巻き添えにして死ぬことを肯定しているものではありません。しかし、大勢の方がそれを勘違いして物事の本質を理解していませんでした。その為に不本意なタイトルにしましたが一人でも多くの方に届き理解していただけると幸いです。

※一部引用有

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