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Attitude 歌詞考察


Mrs.GREEN APPLE の「Attitude」という曲の歌詞を考察。
こちら、Mrs.GREEN APPLEのYouTubeアカウントになります。
🔗https://youtube.com/@MrsGREENAPPLE_Official?feature=shared

こちら、ご本人様の意思とは全く関係のない個人的な解釈となっておりますので、このことをふまえたうえでの閲覧よろしくお願いいたします。



この曲は、大森さんが私たち聴き手に向き合う姿や態度がどんなものであるかを歌詞として綴った曲なのかなと個人的には解釈してる。
(まさに姿勢や態度をアティチュードというらしい。
目に見える立ち振る舞いよりも、目に見えない気持ちや感情・意見といった意味でも使われるとか。)

⬇️以下、歌詞

あぁ どうか いつか
僕の我儘が終わるまで

→僕(大森さん)のわがまま=音楽で少しでも多くの人の心を救いたい、寄り添いたい…といった類の欲求?
それが終わるまでというのは、ミュージシャンとしての活動を終えるまで、もしくは死ぬまで。
という意味の"終わり"かなと思う。

どうにか届くように 届くようにと綴る
でもやっぱり100は無理
ちょっと「あむり」で終わり

→何を綴っているかというのは、単純に考えて歌詞を綴っているということだと思う。
つまり、大森さんの想いが届いてほしい人の元へ届くために歌詞を綴る=曲を生み出す。
でも、届いてほしい全員に届けることは難しくて、とても無理で、「あ、無理だな」って言って諦めている節もあるんだよーって感じかな。
スーパーヒーローが救いを求める全ての人を救えないのと同じで。

「弱い人ばっか居ます」
この世は弱い人ばっか居ます
そんなとこだけでも
何処かに響けば良いなと思っています

→だからせめて、大森さんから見た世の中の人たちのなかでも"弱い人"(早急に救うべき人という認識なのかもしれない)の心にだけでも響けばいいなと思ってるのかな。

まずメロディーに乗せる愛を探しながら
阿呆みたいに今日もね 何かを信じて心躍らすのが
A.t.Ti.Tude 私のA.t.Ti.Tude
キャッチーなメロディーに隠れるはそう 偶像

→メロディーに乗せる愛とは、もう本当にそのままの意味で"想う気持ち"のことだろうと思う。気持ちを言葉にして綴る歌詞こそ、彼の愛。
そんな愛で救われる人はきっといるはず、とか、いつかもっと多くの人が救われるとか、そんなことを信じていつも曲を作ってる。
それが大森さんのアティチュードなのかなあ。
隠れる偶像っていうのは、メロディーとしては万人ウケするような、誰が聴いても気持ち良いと思えるようなメロディーだけど、そんなメロディーの奥(歌詞に込められた想いとか)には"大森元貴"がいるってことかな。

どうにか眠れる様に 眠れる様に目を瞑る
ただ白馬に跨る僕 似合わぬ僕 でも満悦

→彼なりに、毎日誰かのために何かのために、もしくは自分のために悩んでいる感じはする。あたりまえではあるけど。
そんな大森さんは、私たち聴き手にとって素敵な存在(まさに英雄のような?)で、そんなふうに慕われ尊敬される自分自信の姿はどこか不自然な気もするけど、嬉しいことには変わりないと思ってくれているのかも。

「腐ってなんかは居ない」
この世は腐ってなんかは居ない
そんなことだけでも
何処かで報われた気がして過ごせています

→この世は腐ってる云々の意見を見聞きすることって確かにある。
けど、大森さんからみたこの世界っていうのは腐ってなくて、、なぜかって言ったらそう思わせてくれる人が少なからず彼の周りには居るからとか、そう信じられる要因があるんだろう。
それで報われているような気持ちになれるのかな。
(大森さんにとってもこの世界、社会はそれなりに嫌なところもあると思うけど、腐ってはいないと言い切るところに優しさとまっすぐな気持ちを感じる。)

益々生きにくい日々慣れれず削りながら
真面目にも今日もね 明日を信じて歯を食いしばるのが
A.t.Ti.Tude あなたはアーティスト中毒
産み落とした子達は 私のそう 心臓

→大森さんからしてもこの世界はずっと生きにくいのは百も承知。それでも、明日にはいいことあるよ〜くらいの気持ちで毎日生きてるのかもしれない。今日悪くても、明日、明後日、これからいいことがあると信じてるから頑張れるのかな。
大森さんのなかで、大きな信念があるんだろう。
毎日毎日、ミセスの曲でもその他の曲でも聴いてアーティスト中毒にでもなってしまおう。
もしくは、もうすでになってるね〜って感じかな。
音楽っていうのは、大袈裟かもしれないけど、心を癒してくれるものだと常々思う。
それに、自分と同じような気持ちを抱えて生きてる人がいるんだって気付くきっかけにもなると思ってる。
産み落とした子達=大森さんの作った曲
私の心臓=大森さんの核となるほど重要な想いが込められている。

夢から覚めて魔法はね いつか解けるの
しがみ付く事なく 誰かとね 愛し愛されて死にたいの

→どれだけ自分が信じていることでも、あまりにも理想的で現実的には不可能な願いなら叶うことはほぼ100%ない。理想→現実に目を向けることを魔法が解けたと比喩しているのかも。
大森さんとしては、魔法が解けたらその時はその時で、その願いに執着することなく自分が実現できる範囲の願いを叶えて死ねたら満足だなーって感じなのかな。その実現出来る範囲の願いが、誰かと愛し合うことなのかも。(誰かっていうのは特定の誰かを指すのかもしれないし、ファンを指すのかもしれない)

エゴイズム 軽快なリズム
エゴイズム ご機嫌取らずに済む
パシフィズム リベラリズム
ペシミズム ヒューマニズム
太陽が不意に亡くなって
独りぼっちになったなら貴方を追う

→エゴイズム=利己主義(自己中心的)
 パシフィズム=平和主義
 リベラリズム=自由主義
 ペシミズム=悲観主義(厭世主義ともいう)
 ヒューマニズム=人文主義(簡単に言えば人間至上主義的な感じ…?)

世の中には色々な考え方を軸に生きている人がいる。
思想とかそういう曖昧なものは
この考え方は正しくて、この考え方は間違っている。
この考え方は善くて、この考え方は悪い。
といったように、簡単に優劣はつけられないと思う。
誰がどんな思想を抱いていてもいい。どう生きようがその人の勝手。
大森さんから見てもそうなんだろうし、きっと誰から見ても、そういう認識だと思う。おそらく。

まあそんなふうにどんな生き方をしてもいいし、みんな好きに生きているんだろうなあって気持ちで眺めているけど、いつか自分のなかで"こう生きたい"っていうものがなくなったときは、これ以上暗い方へ進まないように声をかけて引き止めるよってことを歌っているのかも。(太陽が亡くなる=信じていたものが消える)

「弱い人ばっか居ます」
この世は弱い人ばっか居ます
平気なふりをして隠れてるわ きっと
「腐ってなんかは居ない」
この世は腐ってなんかは居ない
どうかそんな歌を歌わせてよ ずっと

→疲れたとか、もう嫌だとか、死にたいとか、口に出さないけど心ではいっぱい思っている人ってやっぱり結構いると思う。
口に出す人もいるけど、出さない人もいて、そう考えると早急に救うべき人っていうのは想像する以上に大勢いるのかもしれない。

誰かにとってはめちゃくちゃ嫌でたまらない世の中であるのは絶対なのに、大森さんが「腐ってなんかは居ない」と言い切るのは、私たちにそう信じて生きてほしいと願っているからかなあと勝手に思ってる。
ずっと、ずっと、彼がアーティストとしての活動を終えるまでは、もしくは死ぬまでは、せめて歌い続けることでより多くの人に生きていてほしいのかなあ。

生きるのが嫌だと思う人に生きていてほしいというのは、自分勝手ではあると思う。
でもそんなこと、大森さん自身もよくわかっているから冒頭で"僕の我儘"と綴っているのかもしれない。

書き綴られた歌は 私のそう 遺言

→今まで生み出されたミセスの曲も、これから生み出される曲も、すべて大森さんがアーティストとしての活動を終えるとき、もしくは死ぬときに遺るもの。
そこに込められた想いっていうのは、確かに遺言とも言える。

人生をかけてより多くの人を救えるようにって、
まさにスーパーヒーローなんだよね、、、、

彼にとって、それはとてもしたいことなんだろうし、無理してるってことでもないんだろうとは思うけど、自分の人生を他人に捧げてるようなもん。

大森さんの音楽に救われている身としては、本当に本当に感謝したい。

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