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パノプティコン 歌詞考察

r-906様の「パノプティコン」という曲の歌詞を考察。
こちら、r-906様のYouTubeアカウントになります。
🔗https://youtube.com/@r-906?feature=shared

※こちら、ご本人様の意思とは全く関係のない個人的な解釈となっておりますので、このことをふまえたうえでの閲覧よろしくお願いいたします。

こちらもまた独り言のようなものだと思って見ていただければ…🙏🏻

S M T W T F S Back to the beginning.
S M T W T F S Back to the beginning.

ずっと 見ています
アナタを 見ています
アナタのすべてが きっと 終わるまで

→SMTWTFSはSunday Monday…と曜日を英語表記したものの頭文字のみを取っていると思われる。
Back to the beginningの意味は"振り出しに戻る、最初に戻る" となるため…
この歌詞からは、ただただ何の変哲もない一週間という時の流れが惰性で過ぎていくことの味気なさを表しているふうに感じた。

ここで出てくる二人称"アナタ"について誰なのか考えてみる。
まず、現時点で分かることとしては"アナタ"はずっと誰かに見られている。繰り返される一週間、いや、一日中ずっと誰かに見られている。そして、この 監視 は"アナタ"が死ぬその時まで延々と行われる。ということだろう。
(この"アナタ"が誰であり、"アナタ"を監視するものは誰なのかについては後ほど出てくる歌詞で判明するためここでは割愛。)

期待なんてされてない できない いらない
見ないフリしてそんじゃバイバイ
『そんなことは思ってもないクセに!』
“キライ”なんて限りない 言えない in the night
キライ過ぎて頭が痛い
『そんなことは思ってもないクセに!』

→"アナタ"は、他人から期待されていない、自分から期待も出来ない、期待は不要なものだと思っているのだろう。期待してくれる人、期待できる人は居るかもしれないのに、はなから決めつけて見ないフリをする。
他人と関係を断ち、ひとり殻に篭らせてくれと思っているのだろうか。だけど、"フリ"をしているあたり、まだ少し期待も捨てきれないような、そんな面倒くささも感じる。
「そんなこと思ってもないクセに!」と叫ぶのは監視をしている側の言葉。この一言が事実なのであれば、これが"アナタ"の本心といったところだろうか。いわゆる、捻くれ者なのかもしれない。

キライなものは沢山あるのに、キライを口に出してしまったら限りなくキライが溢れてしまう気がして言えない。眠りにつく前のあの憂鬱な時間にそんなことを悶々と考えているのかも。
(in the nightが言わないにも聞こえるので、キライを助長してはならないものを嫌っているのかもしれない)
しかしまた、このキライも「そんなことは思ってもないクセに!」と反論されているので、本心ではないのかもしれない。スキでいたいのかもしれない。

無限に繰り返す 7days
そう 誰よりも近くにいるから

ずっと 見ています
ワタシを見ています ワタシが

→ここの「無限に繰り返す7days」の歌詞が、はじめに出てきたアルファベット(SMTWTFS)が曜日の英語表記の頭文字を取ったものであるという考察の大きな理由にもなる。
誰よりも"アナタ"の近くにいる"ワタシ"がずっとずっと"アナタ"を見ている。そう、誰よりも。
ここで勘付く方は多いだろう。
実は、歌詞にも書かれている通り、"アナタ"を監視しているものは"アナタ"自身であり、自分が自分自身を監視しているという意味だった。自分自身をただ毎日ひたすらに見つめている。
そして、"アナタ"は自分の捻くれた部分を表し、"ワタシ"は本心を表しているのではないかと思った。
ずっとずっと、自分の本心と実際に振る舞う自分の言動との間で葛藤が起き、苦しんでいる様子を表現しているのかなと思ったり…。

期待なんてされてない できない いらない
見ないフリして損じゃないかい?
『そんなことは思ってもないクセに!』
“キライ”なんて限りない 言えない in the night
痛い痛いが飛んでいかない
もう許してよ

→ただひたすら、葛藤に苦しむ自分。
生きたいように生きられない、ありのままにふるまえない。そのせいで心が痛んでいるし、その痛みはずっと癒えない。本心が存在し続ける限り、苦しみからは逃れられない。
このことに対しての「もう許してよ」かなと思う。

Please don't tell me a lie! お嫌い? 知らない! So I deny. いないいないばあっ!
キライな色の服で着飾って
泥みたいな頭で笑っては泣いて 姿見の前で中指立てる
愛おしくてたまらないアナタへ

→自分自身に嘘をつくなと本心は言う。
本当にキライなの?と問いかけても返ってくる返事ははぐらかしているようで。目を背けているようで。
だから"アナタ"は本当のことを言ってはいないと否定する"ワタシ"。
どれだけ"ワタシ"から目を背けて存在を隠しても、必ずそこに"ワタシ"はいる。(いないないばぁ)
すなわち、どれだけ自分の本心から目を背け、本心を隠そうとしても消えることはない=葛藤の苦しみは消えないということなのかなと考えてみる。

なりたくもない自分になって、偽って振る舞う。
"アナタ"が嫌っていたのは、鏡にうつる"ワタシ"であり"アナタ"という存在。

以上のことから、この曲は、他人に自分のありのままの姿を受けて入れてほしいし、自分でも受け入れたいと思っているのに、怖くて曝け出せないし自分のキライな部分が醜くてしかたがない。そんなふうに、自己嫌悪や自己否定をやめたいと思っているが、自分を嫌わずにはいられないという葛藤を表した曲なのではないかと思った。

パノプティコンを簡単に言うと
「監視者」と「監視される者」によって構成されるフーコーの監視概念。「監視される者」は常に見られる。それに対して、「監視者」は、相手からは見えない。
そのため、「監視される者」は監視の目を常に意識し、生活することになる。このことで、「監視される者」は自分勝手に振る舞えなくなり、秩序が保たれるというもの。

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