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THE FIVE SENSES【感想】④

夜月雨
Touch
散花
全体を読んで私なりの解釈で感想を述べたい。
まず一首づつの感想では作品全体のバランスが崩れてしまうので少し対比させてもらった。
そのため作品の並びが前後しているので全体を楽しみたい方は迷わず夜月雨さんにDMを。
紙媒体でぜひ手に取って味わって欲しい。

これはひとつの芝居のようだ。たとえば殺すA、殺されるBとする。このAとBのふたり芝居。そして短歌と俳句の融合。相聞歌。
倫理的には結ばれないふたりの愛憎劇。こういう風に書いてしまうとつまらないのでもう少し掘り下げていきたい。

B 残暑まだ消えないうちに 殺して
A 餞暑ああ消えてしまった 赦して

暑さの残る残暑と暑さの去る餞暑の対比
殺すAと殺されるBの熱量の違いが次の歌で表現される痛みとして。

B 首筋に触れるあなたの指先はためらい傷のような鈍痛
A 抱き上げた君のうなじが冷えていて低温火傷の様な疼痛
じわじわと鈍い痛みとジンジンとあとから深く疼く痛み。

B ぬくい涙がわたくしに ぽとり、落ちる ばかな人だね
A 柔い身体が脱け殻に なって、しまう ひどい人だね
殺すAのぬくい涙、殺されてしまう柔い身体のB。ばかな人、ひどい人との感情の違い。涙の温度冷たくなってゆく身体の温度との対比。

B 実は結ばない
A 身を焦がせない
結ばれない現実と身を焦がせない現実‥この世では。

B その指がいつか全てを壊すこと知りつつ選んだ わたくしの罪
A その肌がわたしの全てを壊すって知らなかったよ きみこそが罰
知らなかったAの罰、知っていたBの罪
殺すAの熱量が次第に壊れてゆく様と殺されるBの触れることで壊されることを悟っている罪と罰の対比。全て生命ごとなくなるBに対してAひとりをなくすことで自分がなくなってしまうことに気付かされるB

B 精霊花 ただ散るだけの生命なら
触れて散る華 あるいは、
A 揚花火 あざやかに散る生命なら
ここで俳句を用いて季語を扱うのが上手い。精霊花に対する揚花火。供える花と一瞬で燃え尽くす打ち上げ花火という華
ここでもAとBの描き方を変えている。どこか冷めたBと燃え盛る感情のやり場をなくすAとの対比が哀しい。因みに精霊花ミソハギの花言葉は愛の哀しみ、純真な愛、悲哀とある。

B あなたが 触れて わたくしが 汚れたことはすべて許すよ
A 触れれば きみは 汚れると 知っていたからこそ触れたのに
AにとってBを汚すことは自分という存在をBに焼きつけたい衝動。それが愛というのならそうだろう。汚して愛す。触れるtouchは愛なのか。ただどこか一歩的な熱に触れている気がしてならない。このふたりの温度差がなんだかBという人物のほうが私個人としては罪深いと感じてしまう。殺されているのだが。Bも触れられて汚れることを知った上で触れられることを望んだはず。

反応 吉田岬さん

赦し方覚えて頭を落とす花 わたし 何度でも間違うよ

赦し方とは命を奪うこと。何度でも間違うよというほど何度でも触れたい。何度でも繰り返す。たとえこの世が終わっても。頭を落とす花で椿を思い浮かべた。椿の花がぽとりと落ちるさまを。

散花は讃歌なのだろう。
ずっしりと思い感情に触れてしまった。
脳が重たい。

次はラストsmell臭覚
ちょっと切り替えるの大変。
続きは後日。


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