なぜ書くのだろう?

なぜSNSに投稿するんだろう?
なぜ書いているんだろう?

書いていてそんなことを
たまに思うことがある

書いたものを
ネットにあげずに保留したものが
どんどん溜まっていく

読んだ人が
嫌な気持ちになるのは
本意じゃない

出来れば万人に
不快な想いをさせたくはない

ただ時々
猛烈に
これを誰かに伝えたい
という
気持ちになってしまう

この猛烈も
僕の場合、決して
身体の芯から出るものでなく
咄嗟に反応したもので

だからなのか

書いてしばらくして読み返してみると

なんでこれを書いたのか
自分でも分からなくなってしまう


他人を傷つけない思想や言葉なんてものは
あるんだろうか?

美味しいラーメンの写真を載せても

食テロだの
食べれない人の気持ちも考えてあげてだの
そのラーメンが美味しいと思うセンスが
いけてない云々だの

思う人はいるし
それをまた
誰かに伝えないと
気が済まない人たちもいる

25年ほど前だったかな
友人が
「インターネットというものがあるから
使ってみたら?」と勧めてくれた    

音楽活動をしていた僕に
簡単なホームページを作ってくれて
そこで日記を書くように言われた

どうしていいか
よく分からなかったけれど
中島らもさんや
椎名誠さん
さくらももこさんのエッセイを
少しは読んでいたので

あったことを
面白おかしく書いたらいいのかな?
と見様見真似でやってみた

文系の友人、知人からは
文章になっていないよ
と、よく揶揄われたけれど
書いていた時も
読み返した時も
僕には面白いものだった

あれがなぜ
あれほど自分で自賛するほど
面白くかけていたのか?

考えてみたら

理由は簡単で

誰も読んでいなかった

からだと分かった

厳密に言うと
2〜3人は読んでいた
同じ人であったり
時より
全く知らない人であったり

それに簡単な感想を添えてもらえるだけで
僕には充分だった

あの時のそんな気持ちを
TwitterやFacebookやInstagramで
感じた事がない

きっと
人が読んでくれて
いろいろな反応を返してくれるから
いつからかそれを何処かで気にして
書いたいことではなく
書いても良さそうなことを
書くようになったんだと思う

SNSは宣伝ツールだよ

と、周りの人は
活用することを強く勧めてくれるけれど
皆んな、本当にそれが
それぞれの宣伝になっているのだろうか?

出先で
何か食べたくなった時
携帯を取り出して検索してみる
そこで出たお店に行くことがたまにある

でも
またその店に行くことは
僕はあまりない

いつも同じ店に行って
大体、同じところに座って
同じ物を頼んで食べる

僕は宣伝することも
宣伝されることにも
きっと奥手で保守的な人だと思う

SNSとかじゃなく
自分のホームページを作って
そこにだけ
写真を残したり
何か書きためたりしようかな

でも、いつか
また変な承認欲求が湧いてきて
そのホームページを
何かのSNSで宣伝したりしてしまうだろうなぁ

ここまで書いてみて
これもなんで書いているのか
はっきりとは自分で分かっていない

noteは
僕には
自分の集客に繋がっていないと
感じるツールなので
なんか気楽に書いてる

こんな感じで
なんか物作りできたらいいなぁ

壁新聞とか
勝手に回覧板とか作ってみようかな

自分の周りにある
世界を変えなさそうなニュースとか
挿絵とか添えてみて

で、2〜3人だけに読んでもらう

いいなぁ
なんかいい感じがする

2〜3人が僕には合ってる気がする

ここまで読んでくださった方
ありがとうございます

どうか広めずに
静かに楽しんでもらえたら幸いです

ではでは

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?