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15年、ずっと会いたかった父と会って



約15年間、止まっていた記憶と時間の間で

父にも父の人生があって

悩んだこと、苦しかったこと、

それ以上に幸せだったこと、愛しかったこと

沢山あったんだなと思った




とても長い間、ずっと会いたかった父は
昔憧れた"かっこいいお父さん"の面影を残したまま

不器用で、優しくて、どこか頼りなさげな
かわいいお爺ちゃんみたいになっていた。

目が合えば、子どもたちを愛していると
心から溢れて伝わってくるほど
とても優しい目をしていた。

私がまだ小さい頃、
ダメージジーンズを履きこなして
キッチンの換気扇を回しながらタバコを吸っていた父も、
バスケが好きだったかっこいい父も、

髪が白くなって、少し丸くなって
前よりももっと目が優しくなって
変わらず穏やかな話し方をする人だった。

小学生の頃、なんとなく
お父さんも再婚したのかなと思うことがあった。
隣で寝ているはずの母が泣いていたから。

翌朝話したら泣いてないよと言われて
夢だったんだと思っていた。

母は父が再婚したことを言わなかった。

私たち子どもの前で
父のことを悪く言うこともしなかった。

父を責めたまま育てることも出来たはずなのに

母がどんな思いで私たちを育ててくれたのか
その気持ちや背景は測り知れないけれど

子どもたちを想ってしてくれていたことがあると、

ほんの一部でも、ほんの少しでも多く
理解してあげられていたらと思う。



父が、母と私たちと別れてから
どんな思いで生きていたか

想像したことがなかったことに
父と会ってはじめて気づいた。

小さい頃から、今の今まで、
会いたい、会いたいと思うばかりで
大好きだよ、ずっと大切だよ、と
目を見て伝えたいと思うばかりで、

父が母と私たちに思っていたこと、願っていたこと

再婚したとしても、新しい家族がいたとしても
変わらずに抱いてくれている気持ちが
どんなに暖かいものだったのかも、
ずっと知らなかった。

大きくなった私と兄を見た時、
声を聴いた時、話した時。
どんな思いだっだだろうか。
どんな思いで会いに来てくれただろうか。

私の中で父はずっと優しいままで、
母のことも兄たちのことも大切に想っていた時間の
美しいままの記憶で、

宝箱にしまうように
大事に抱えてきた想いだった。

宝物だった。大好きだった。

父が全てを失ったと思い
死んでしまいたいと思ったことが何度あっただろうか。

母が子どもたちから父を奪ったと
自分を責め続けたことが何度あっただろうか。

兄達が、父に会うことを望まないでいると
自分を受け入れて過ごしていたことも。

私はまだ幼かったから、
離れても父を好きでいられたのかもしれない。

何も解っていなかったから、
会いたいと口に出せたのかもしれない。

父のことも、母のことも、兄のことも
ずっと大好きだった。

学校や部活で、同級生との会話の中で
父がいないという事実を思い知る度に
辛く感じていたあの時も、

惨めで申し訳なくて、
抱えきれなくて泣き崩れたあの時も、

またみんなで会いたい、一緒に過ごしたいと
何度も何度も願い続けた。






去年の冬、母が父の電話番号を教えてくれた。


バスケをしている幼馴染の
大学最後の試合を観に行った日。

帰り道、スラムダンクを映画館で観たあの日。

父の電話番号を知っている、それだけで
お守りのような安心感を与えてくれた。

何て送ればいいのかわからなくて
連絡してもいいのか不安になって
すぐには連絡出来なかった。

悩んで、迷って、自信を無くして、
メッセージの一言すら送れないまま
半年が経った。

結婚報告のための連絡でも
出産報告のための連絡でもなく

何でもない連絡だったから、
余計に不安でしょうがなかった。

今度こそ送ろうと思っても
怖くて送信ボタンが押せなかった。

「 父  15年ぶり  連絡 」と検索して
ベストアンサーになっていた優しい回答に
息が出来ないくらい泣いた。






明日の朝、兄が隣の部屋で死んでいるかもしれない。

夜中外に出たきり、二度と帰って来ないかもしれない。
沢山の雑誌が積まれて開かなくなった扉の向こうで、
首を吊っているかもしれない。
泣き叫んでいる声を沢山聞いた。
兄達が、大切な人達が大声で言い争う声を沢山聞いた。
泣きながら耳を塞いだ。

母も家を出てしまった。
私のせいだと思っていた。
自分の無力さに涙が枯れるまで泣いていた。
もっと力になってあげたかった。
もっと寄り添ってあげたかった。
もっと愛を伝えてあげたかった。
そばにいてほしかった。

失うのが怖くて、母に会いに行った。
兄とゲームをするようになった。
アニメを観て映画を観た。
自転車でTSUTAYAに行った。
二人乗りをして警察の人に叱られた。
一緒にご飯を作って夜中になったらお茶会をした。
大学に通っていた兄を車で迎えに行った。
帰り道に3人でラーメンを食べた。

みんなでご飯を食べたかった。
お爺ちゃんとお婆ちゃんとも
もっと会話をしてあげたかった。
沢山心配していてくれたから。


そんな日々を過ごしていた。

そんな日々があったから、

兄が携わるイベントが開催されたこと
少し緊張しながら、人を癒すためにと
丁寧にお茶と珈琲を淹れる姿を見ていたこと

そこへ父が会いに来てくれたこと。

そのどれもが、かけがえのない時間に感じられた。

父に愛されていたこと
見守られていること
周りの人に愛されていること

それを兄が感じてくれていたことが
何よりも嬉しかった。

死なないでいてくれて
生きていてくれて
また二人が会えて良かったと心から思えた。


私はただ父ともう一度話したかったから、
ただ会いたかったから、
本当にずっと願っていたのはそれだけだった。

だから父に会えたことが、とても
とても嬉しかった。





一つ、父と会って気づいたことがある。


長い間コンプレックスに思っていた

伸び続けた高い身長も、人より小さい口も
拙いままの喋り方も、不器用でヘタレな性格も

15年振りに会った父にとてもそっくりだったこと。

どうしてあんなにも自信がなかったのか
どうしてあんなにも否定しようとしていたのか

それが父に似ていたからだった。


父を思い出してしまうから。


おまえは愛されなかったと
自分自身に突きつけられるから

それが苦しくて、自信が持てなくて
愛せなかったんだと知った。


父の顔を見ていたら
そんな全てのことも愛おしく思えるくらい
穏やかで優しい気持ちになれた

父のことを、やっと、本当の意味で
目を見て愛することが出来た気がした。

父が父で、母が母で、兄達が兄で良かったと思う。

私が私として生まれてきて、
生まれて来れて良かったと思う。

何度も消えたいと思った
何度も死にたいと思った
自分のせいだとずっと思っていた
これ以上迷惑をかけたくなかった
家族の錘にもなりたくなかった
生きている意味もわからなくて
消えてしまいたくてしょうがなかった

そんな風に生きていた時間と傷が
少しずつ解けて癒されて
また新しく再生されていくように感じた。


真実だと思い込んでいた
過去の出来事や感情には
全く別の真実がいくつも存在していて

そのどれもが
自分では想像できないようなことであること

想像できていたとしても
到底信じられないようなものであること

色んな角度から物事を見るということは

人の数だけ視点があり
思考や感情があるということで

考えていくと、いつの日か思った
世界は幻想で出来ているということも
本当のことのように感じられた。

全てにおいて絶対ということはないように

色んな可能性を想像したまま
それらを受け止められる余白を残しておきたい

それが出来る人で在りたいと思う経験だった。



今まで出逢った人たちが
これから出逢う人たちが

家族のように大切な人として
繋がっていってほしい。

いつも誰かに助けられていたように
いつも誰かに救われていたように

これから先、
何かもっと人の力になれたらいいなと思う
沢山の人を笑顔にできたらいいなと思う

いつも周りの人を
心から愛していられるように

いつでも優しく手を取り合えるように

.


父の周りにいてくれた大切な家族の皆さまにも
愛と感謝の気持ちを込めて。





2023.09.09









🎼  TRAD - baobab, haruka nakamura





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