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そうさくダンス

私は子どもの頃からダンスと呼ばれているものが好きになれませんでした。私が育った町には小さなダンススタジオが1つあり、私の姉はそこでジャズダンスを習ってました。当時5歳くらいだった私はスタジオの床で滑ってあそびながら、「なんで皆揃ってピチピチの服を着て、右向け右で同じことさせられてるんだろう。僕みたいに床を滑ればいいのに。だいたい全然楽しそうな顔じゃないな。」
なんて思ってました。
高校に入ってから授業で習ったフォークダンスも全然やりたくありませんでした。
ただ、それは数あるダンスの1面でしかなかったんです。
20代になり、ヨーロッパを放浪していた私は再びダンスに出会います。舞踏と呼ばれるそのダンスは全身を真っ白に塗る所から始まります。
ほら、もう面白そうでしょう、気になるでしょう。体中を真っ白に塗る意味はよくわかりません、諸説あるらしいです。まぁ、どうでもいいです。白く塗ると、なんとなく自分自身じゃないみたいな気がしていて気持ちいいです。
今度は練習です。先生が言います。「体の上を1万匹のアリが這っています。感じてください。」
「考えるな、感じるんだ」ですね。ブルース・リーですね。
フランスにいながら、ジャパンとチャイナが混沌と混ざり合います。
続けます
「次にアリを感じたまま海の中泳いでいます。はい、コレがクラゲのダンスです。」
衝撃でした。今度は海です。アリを感じたまま海を泳ぎ、フランスもジャパンもチャイナもすべて繋がったと思いました。いや、感じました。
私はそこで私のダンスとは自分以外の存在にトランスフォームすることだと学びました。
その次に学んだのはコンタクト・インプロヴィゼーション、はい、絶対名前忘れるやつですね、いいんです、名前なんてどうでも、忘れてください。本質だけが入っていけばいいですから。
これは体を触れ合わせて、即興で踊ります。
振付が覚えられない私は「これぞダンスだ!」と感じ夢中で踊りました。

はい、何が言いたいかというと

ダンスは自由なんです。
なんでもいいんです。ジャズでもフォークでも舞踏でも。歯磨きでも畑仕事でも。
あなたがダンスだと思えばそれがダンスなんです。
私のダンスクラスのゴールは自分のダンスを見つけることです。
創作ダンスで、捜索ダンスなんです。
私たちのダンスを探しに行きましょう。
大丈夫、きっと見つかるよ。

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