GW ヒッチハイク帰省①

大学2年のGW、自分にしては珍しく、突発的に思い立ったヒッチハイクの計画を実際に行動に移してみた。そのときに起こった一連の出来事を書き留めておく。


どうしてヒッチハイクをしようと思ったのか?

これにはいくつかの理由がある。

まず、GWが暇で何かネタになるようなことをやりたいと思ったからだ。
もともと4月頃には仙台東京間を自転車で走ることを考えていた。しかし、調べてみると片道3,4日はかかるからGWに実行するのはさすがに厳しい。何か他に大学生のうちにしかできないことはないかとググってみると、読書や英語やプログラミングに加えて一人旅が出てきた。そして、一人旅というワードに惹かれてネットサーフィンをしていたら、偶然ヒッチハイクのブログが出てきたのだ。少し敷居は高いものの行動次第ですぐに実行に移すこともできるヒッチハイクにワクワクした。

しかし普段の自分なら憧れるだけで結局やらずじまいで終わってしまう。それを今回は実行に移せたのは、死生観をテーマにした小説を1週間ほど前に読んでいたためだろう。この小説はお医者さんが主人公で、突然死病が見つかり数か月の闘病の末亡くなっていく何人かの患者さんと対峙する話だ。詳しい内容を書くのは避けるが、その患者さんの中には大学生もいて、年齢関係なく誰にでも突然死が訪れる可能性があることを突き付けられた。そして、小説の中の「本当にやりたいことは健康はなうちにしかできない」という言葉が妙に心に引っかかった。調子のいい奴かもしれないが、いつ死ぬかわからないのだから、少しでも興味をもったことは健康で時間のある今のうちにやっておきたいと本気で思えたのだ。

また、ティッシュ配り、ネットカフェ、夜行バスなど精神的・体力的にきついと言われているものにある種の憧れがあった。特にティッシュ配りは多くの人から無視されるため精神的に応えると聞く。自分はその辛さを感じられるのだろうかという純粋な興味があった。しかし、単発バイトのアプリを入れたもののなかなかティッシュ配りの募集は回ってこない。ならばいっそ自分から無視されるような環境に飛び込めばいいと思い、不特定多数の人に晒されるという点でティッシュ配りに似たヒッチハイクを実行することを決めた。

そして、自分勝手な理由ではあるが、会話力を磨きたかったという理由もある。自分は1年生の時は引きこもっていた。サークルに入らず友達も作らず一匹狼でいることに優越感さえ持っていた。しかし、春休み中に参加したFWをきっかけに話し下手だし気遣いができない奴だと気付くようになった。自分の弱点を見せたくない失敗したくないという気持ちもあって、他人と話すことを怖がっていたが、それでは何も変わらないし社会に出てからやっていけないだろう。だから今年はいろんな方と話す機会をたくさん作りたい。そのため、乗せてくださる方との会話が必須であるヒッチハイクを考えた。

ヒッチハイク開始まで

ヒッチハイクを決行することは2日前に決めた。まずはヒッチハイクの経験談が書かれているブログをいくつか読み漁り、ヒッチハイクをすることが十分現実的であることを確認した。そして、車を捕まえる上での注意点や乗車中にするべき話のネタなどを予習する。1日目はとりあえずヒッチハイクの下見のつもりで、もし気が向いたらそのままヒッチハイクをして東京まで行ければいいなとぼんやりイメージしていた。そして、仙台では一番のヒッチハイクスポットと言っても過言ではない仙台南IC手前のミニストップに向かった。

仙台南IC

ヒッチハイクは怖い。特に車の中で会話ができるかが一番の心配事だった。しかし、家から仙台南ICまで400円ほどかかっており、出直すとなるとその2倍のお金が追加でかかる。今日何にもやらないと、翌日も勇気が出ず結局何もやらずに終わりそうで怖かった。そのため、3時間うろついた末意を決してミニストップ前の道端で行き先を書いた紙を掲げ始めた。

道で立っているときは、いっそ一台も止まらなければ良いのにとも思っていた。無視されることよりも圧倒的に、乗せてもらっているときの会話の方が心配だったのだ。

実際に掲げてみると、自意識過剰かもしれないが、結構無視せずに見てくれることが分かった。指を指したり笑ったりしてくださる。会釈をしてくださる方も一定数いる。たった数秒でもそのようにコミュニケーションを取れるのは嬉しい。自分自身が皆さんのGWのネタの一つになればいいなという思いで立っていた。

開始時刻は午後2時。その時はまだ1日で東京に到着できるかもしれないという甘い考えを持っていたため、ギリギリ東京に到着できる午後3時までに車が捕まらなかったら引き上げて翌日出直そうと思っていた。

結局1時間掲げても止まる車は1台も現れず、帰り支度を始める。とりあえずヒッチハイカーのように行先のボードを掲げる経験はできて多少緊張感も薄れたから、翌日もまた同じことが出来る自信はついた。翌日の朝、早朝に家を出てまたトライしてみようと心に決めて、帰路につく。

2分ほど道沿いに歩いていたとき、1台の車が自分の横で止まる。「さっき国見って掲げていた人だよね?」と聞かれ、あれよあれよという間にそのまま車に乗せていただけた。どうやらコンビニに入るときに僕を見かけて、出たときにはもう姿が見えず、心配して声を掛けてくださったらしい。本当にありがたい。乗せてくださったのはご夫婦と大学生のお嬢さんの3人。ご夫婦は仙台に住んでいて、お嬢さんが一人暮らしをする郡山まで行く途中だったようだ。

仙台~国見

車中では主にお父さんの学生時代のお話をお聞きした。お父さんは生まれも育ちも仙台で、東北大生や学院大生と一緒にビアガーデンやパン工場などのアルバイトとして働いたこともあるらしい。また、学生時代はよく18切符を使って一人旅をしたと仰っていた。詳しくは聞けなかったが、東北6県を回ったり中部・関西方面をお一人で回ったりしたとのことだ。旅先での出会いもたくさんあり、かなり良い経験になったと仰っていた。
そんな話を40分ほどしているうちに国見SAに到着し、お礼を言ってお別れした。

国見にて

仙台にいたときには全く知らなかったが、この日は福島西ICから本宮ICまでが事故で通行止めになっていた。国見SAで乗せてもらっても結局下道に降りることになるだろうし、最初から下道を通っている人も一定数いるだろうと考え、国見SAのウォークインゲートから下道に降りて、国道4号線沿いでヒッチハイクを再開した。時刻は16:20。駅も近くにあるため最悪家に戻ることもできる。そうして30分掲げてみたが車は捕まらない。電車の時刻を調べ、17:30頃まで粘ることを決める。
その後1台の車が止まり、福島まで乗せて行ってくださることになった。

国見~南福島

乗せてくださったのは福島在住のご夫婦。お二人で蔵王にお出かけに行った帰りに僕を見つけて乗せてくださったようだ。
車中ではご家族のお話や学生時代にやって良かったことについてお聞きした。学生時代の部活はやはり今の生活でも役に立っていると仰っていた。昔の部活は今とは違い上下関係が厳しく、特に中学では先輩たちに散々扱かれたという。しかしそのお陰もあってか挨拶や敬語など礼儀が自然に身に着いたとのことだった。

また、お父さんのご趣味の一つは車いじりだそうだ。市販の車を法律の範囲内で改造もしており、乗っている車にも油圧、水圧、タイヤの空気圧などのメーター類がびっしりと並んでいる。自分はド素人なためそれぞれの数値の意味などは分からなかったが、ものすごくかっこ良かった。
もともとご親戚が車好きでレースなども良く見に行っていたが、それに影響されてご自分でもだんだん車が好きになったという。また、高校生の甥っ子さんもその影響で車が好きで、親戚が集まると車の話で盛り上がるとも仰っていた。

途中、自分がヒッチハイクをしている経緯なども詳しくお話したが、福島から先のヒッチハイクのことを心配してくださり、降ろしていただく場所も土地勘のない自分のためにかなり考えてくださった。お疲れのはずなのに偶然会った赤の他人をここまで気にかけてくださって、本当に感謝しかない。

そのようにして1時間10分ほど話しているうちに南福島の快活クラブ付近に到着し、一緒に記念写真を撮っていただいてお別れをした。


~続く~


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