【詩の森】529 奪われた『なぜ』
奪われた『なぜ』
赤ん坊は
母親の口元を見ながら
ことばを覚えるという
真似る以外に方法がないからだ
僕らは言われたことばを
そのまま信じて大きくなる
人は時々嘘を吐くものだ
と気づくのは
ずっと後になってからだ
まずことばを信じること
それは人間のもつ
麗しい資質の一つかもしれない
映像とて同様だろう
僕らは見たままを信じる
それが恐怖を引き起こすものなら
尚更だろう
もし信じなければ
自分の身が危ないからだ
もし僕らが
戦闘で破壊された建物や
感染症で人が斃れる場面を幾度となく
見せつけられたら
一も二もなく信じてしまうだろう
予めフィクションだといわれなければ
僕らに映像の真偽を確かめる術はない
僕らはことばをテロップを信じる
危ういことである
教わったことを
ただ覚えるだけの詰込み教育が
僕らの『なぜ』を奪い続けている
マスコミを疑わないのは
奪われた『なぜ』のせいかもしれない
学校の先生がテレビでは
評論家や有識者に変わっただけなのだ
僕らはそれを洗脳と呼んでも
いいのではないだろうか
僕も長い間
仕事にかまけてマスコミの言う事を
真に受けていた
しかし定年後あちこちの学習会に参加して
初めて洗脳されていたことに気づいた
例えば僕はそれまで
アメリカの核実験で被曝したのは
第五福竜丸たった一艘だと
馬鹿みたいに信じていたのだった
洗脳から逃れる唯一の道は
すこしでも腑に落ちなかったら
『なぜ』の楔を打ち続けることだろう
CO2温暖化説が真実かといえば
実はよくわからない
だれも証明していないからだ
それでも真実のように振る舞えるのは
すでにそれが
『多数派の声』だからだ
その『多数派の声』をマスコミという
巨大な拡声器がつくっている
かつてのガリレオ・ガリレイのように
もしだれかが今CO2温暖化説に異を唱えれば
その人は迫害を受けるかもしれない
彼らは人を悪魔に仕立てることさえできるのだ
しかしそれは科学的態度ではない
CO2温暖化説の是非は
やがて太陽が教えてくれるだろう
2023.8.10