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俳の森-俳論風エッセイ第1週

一、俳句の短さについて

俳の森に踏み込んで二十五年。瑞々しい新緑や、小鳥の声や、みごとな紅葉に幻惑されて、いまだに全容は分からないどころか、いまどの辺りにいるのかさえ掴めない有様です。このエッセイは、わたしの実作体験や書物から得られた知識をもとに、俳の森の在り様を探る試みです。堂々巡りの迷路のような一抹の不安もありますが、ともかくチャレンジしてみたいと思います。
さて、今日のテーマは、俳句の短さについてです。何かを伝えるときに、文章ではその長さを気にせずに書き継ぐことができます。しかし、俳句は五・七・五。十七音もしくは、一音一字のひらがな表記なら十七文字。俳句を始めたとき誰もが思うのは、あれもこれもいいたいのに言えないもどかしさではないでしょうか。それに、ほんとうに自分のいいたいことが伝わるのかという不安もあるでしょう。
片言のような俳句が何故伝わるのでしょうか。話は飛びますが、ことばの話せない赤ん坊は泣くだけで自分の要求を伝えようとします。その子の母親には、その声は、「ミルクだよ」「おむつだよ」という風に聞こえるのではないでしょうか。この例は極端ですが、この母親にあたるものをわたしは、俳句の母胎と考えています。たった十七音でも俳句が通じるのは、この母胎があるからではないでしょうか。俳句を理解するための共通の土壌といってもいいでしょう。それは、だれもが経験する四季折々の景物や、日本の文化が育んだ日本人の心性そのものです。
古池や蛙飛びこむ水の音         松尾 芭蕉
この句の表面上の意味なら、日本語を分かる人ならだれでも理解することができるでしょう。しかし、この句に共感し、その作者と同じような感慨に浸るためには、共感の母胎をもっていることが必要だと思うのです。逆に共感の母胎をもってさえいるなら、だれでも俳句を理解することができます。
 短くても通じるのは、共感の母胎があるからだということは分かりました。でも何故、五・七・五なのでしょうか。勿論歴史的な背景があって現在があるわけですが、個人的な体験からいえば、五・七・五はそれを作る人々によって選択され、支持されてきた結果なのだと考えています。そうです。短いことには、それなりの利点があるのです。蛇足ですが、歴史的な背景を知りたいのなら、「俳句の世界」小西甚一著(講談社学術文庫)がおすすめです。
初心のころは、指をおりながら五・七・五と音数を揃えたものです。それがいつしか、五・七・五のリズムが体に入ってしまうと、普段の話し言葉のように、五・七・五を発話することができます。ものに触れて「あっ」と感じたとき、即座に五・七・五になるのです。まさに、感動瞬時定着装置。短いことは、瞬時の感動を言いとめるための仕掛けだったのです!


二、俳句固有の方法について

俳句の短さは、作者の側からいえば、感動や一瞬のこころの動きを言いとめるのに適切な詩形ということになります。まさに、芭蕉さんのいう「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中に言ひとむべし」を可能にしているのは俳句の短さといえるでしょう。しかし、それにしてもたったの十七音です。これだけで、本当にいいたいことがいえるのでしょうか。共感の母胎をもっているとはいえ、読者は作者のいいたいことを細大漏らさず受け止めてくれるのでしょうか。
思いの丈を存分に述べたいのなら、はじめから散文に敵うはずはありません。そこで、俳句固有の方法が登場します。もし叙述によって意味を伝えようすれば、十七音はあっという間に尽きてしまうでしょう。そこで、乱暴なようですが、俳句は叙述することをひとまず放棄してしまうのです。散文のように読者の理に訴えながら文章を繋げていくのではなく、理を放棄し、自己を感動させたものの核心を探りあて、それをそのまま投げ出すように読者の眼前に提示するのです。作者の立ち位置に読者を連れてくる、居合わせるという方法を採るのです。これが、俳句の骨法と呼ばれているものの中身です。これが可能なのは、共感の母胎をもつ読者への絶大な信頼があるからです。この信頼をもとに、作者は自句を投げ出すのです。
荒海や佐渡に横たふ天の河        松尾 芭蕉
俳句はいうまでもなく五・七・五の韻文です。単なる十七音の集まりではありません。当たり前のことですが、作者が五・七・五の韻律に乗せたものを、読者もまた当たり前のように五・七・五の韻律で解読するのです。このことが、作者と読者をつなぐ一つの糸口を提供します。掲句は、「荒海や」で一旦切れ、その後は、「佐渡に横たふ天の河」と一気に読み下されます。作者が述べたくても適わなかったものが大きければ大きいほど、この切れは大きくなるでしょう。切れには何もないのでしょうか。いいえ、ありすぎるのです。共感の母胎をもつ読者は、この切れを解読し、作者と同じ立ち位置に自分を立たせることで、その句の世界を感受するのです。
雲の峰の朝妻主宰は、俳句のかたちを大きく三つの形に分類しています。
① 一句一章(一つの文で、一つの文章)
② 二句一章(二つの文で、一つの文章)
③ 三句一章(三つの文で、一つの文章)
ここでいう句とは、句文のことで、それだけでまとまった意味をもつ文を意味します。ここで、二句一章、三句一章が成立しうるのは、俳句が叙述を放棄し、切れを取り込んだ結果なのだといえるでしょう。わたし自身は、作品の良し悪しは別として理論的には、四句以上の多句一章も在り得ると考えています。


三、季語について

わたしは当初、季語というものは俳句表現を豊かにするための表現技術なのだと考えていました。大野晋氏の「日本語について」(岩波書店)によれば、
コミュニケーションによってやりとりされるのは未知の情報であり、その方法は、以下の二つに大別されるといいます。
①未知の情報のみ
②既知の情報+未知の情報
俳句も、自分の感動を読者に伝えるコミュニケーションという風に考えると、季語は、既知の情報、作者の感動は未知の情報ということになるのではないでしょうか。
古池や蛙飛びこむ水の音         松尾 芭蕉
読者は、既知の情報である季語の蛙を手がかりに、未知の情報として提示された水の音を紐解いていく。蛙と言えばその声を愛でるという当時の人々の期待に反し、芭蕉さんが提示したのは、蛙の跳躍の結果としての水音だったのです。それは、今のわたしたちが想像する以上に、新鮮な驚きだったでしょう。ここでは、古池という静謐な世界の中での生の躍動が捉えられており、蛙の水音は、まさに新しい情報だったといえないでしょうか。つまり、「蛙(季語)」という既知の情報によって、「水の音」が生かされているのです。季語には一部に空想季語もありますが、その殆どは自然の景物であり、実際に見たり触れたりできるものです。さらに、歳時記に採録された文化的な財産としての例句の世界があります。季語のもつこの二重性は、季語ということばのもつ情報量を莫大に飛躍させているのです。
ところで、芭蕉さんの「五月雨を集めて早し最上川」も、はじめは「五月雨を集めて涼し最上川」だったように、季語は連句の座への挨拶として盛り込まれたものだと言われています。つまり、掲句の「涼し」は座の主への挨拶であり、その句が作り置きでないことの証でもあったのです。さて、既知の情報としての季語は、共感の母胎そのものといってもいいほど重要なものです。次の句では、季語が作者の真意を決定づけているといえないでしょうか。
少年の長き潜水夏終る          川瀬さとゑ
夏終るという季語は歳時記に掲載されることで、読者にとっての了解事項となります。因みに夏終るという季語は、角川大歳時記では以下のように説明されています。
夏の果、夏の終わりである。(中略)避暑のために高原や海水浴場に逗留して夏休みを過したのち、明日はいよいよ都会に戻るという夜に星空を見上げれば、とりわけ夏が名残惜しいのである。
この説明文(本意・本情)がこの句の解釈の固定化に寄与しているといえましょう。長き潜水には、少年の夏を惜しむ気持ちが揺曳しているのです。このように、季語は表現技術としては、句の真意を伝えるはたらきをしているのです。


四、一大アートプロジェクト

俳句の短さを補う表現技術として季語を捉えるのは、はたして正しいのでしょうか。もし、表現技術としてのみ季語を捉えるのであれば、季語に代わるものがあれば、何でもよいということになります。しかし、実際の作句現場を冷静に振り返ってみると、わたしたちは、むしろ季語そのものに触発されて作句しているように思われます。季語がわたしたちに句を作らせている。季語は表現技術のためにあるのではなく、作句活動のもっと根本にあるのではないか、そんな風に思えてきたのです。
季語は、不思議なことばです。わたしたちは、季節の繰り返しの中で生きているように思っていますが、今年の花は今年限りともいえます。何故なら、来年になったら、花もわたしたちも一つずつ年老いていくからです。わたしたちの暮しの根本は、家庭であり、会社であり、地域社会です。そして、ほほ決まった人と会話を交わして生きていますので、何か変わらぬことをつづけているように錯覚しているのですが、実際には季節ばかりでなく、毎日が一期一会だともいえるのです。
これを別のことばでいえば、季語はいつも新しい、季語は古びていかないのだといえるでしょう。これは、季語のもつ大きな特色といえます。今年の自分が花に出会い、花の句を詠む。去年の自分が詠んだ花の句とはどこかしら違っているはずなのです。
ところで、俳諧から発句へそして俳句へ、これまでに詠まれた句の数はおそらく天文学的な数字になるでしょう。句は同時代の人々によって共有され、その中からほんの一握りの句が、記憶され、記録され、後世に伝えられていく。この国民的な創作活動を何と名づければいいのでしょうか。これは、過去・現在・未来へと繋がる一大アートプロジェクトなのではないか。少々突飛な言い方かもしれませんが、美術の世界では、あるテーマのもとに多くのアーティストが参集して、その個性のぶつかりあいの中でテーマを深堀していくものをアートプロジェクトと呼んでいるようです。俳句の世界では、
一、 俳句アートプロジェクトのテーマは美の発見であり、発見された美は新たな例句として季語の世界を豊かにし、ときには新季語となって定着していく。
二、 俳句アートプロジェクトの領域は自然から人間全般に亘っており、とりわけ自然の美を慈しみ、暮しの美を愛しむことがその目的となっている。
三、 参加条件は決められたルールで俳句を作るということだけである。
ということになります。つまり、わたしたちは、季語の美を発見し、新たな美を見つけるために作句活動を続けているのではないかと思えてきたのです。芭蕉さんの「季節の一つも探り出したらんは後世によき賜と也」(去来抄)とは、美の第一発見者になることだったのです。


五、物の見えたる光

 俳句が短詩であることの利点は、少し訓練すれば誰でも見ることと作句することがほぼ同時にできるようになることではないでしょうか。ところで、芭蕉さんのいう「物の見えたる光」とは、いったいどういう状態を指すのでしょうか。
俳句をしていると、確かに物のよく見える瞬間があることに気づきます。それは、いつもなにものかに囚われ、煩わされている心が、ふっと自由になった瞬間に、幸福な出会いのようにやってくる。ヘルマン・ヘッセは、その著「人は成熟するにつれて若くなる」(草思社)の中で、ブナの古い葉が、時が来ていっせいに散りゆく様を感動的に叙述したあとで、次のように述べています。
自然の生命のある現象が私たちに語りかけ、その真実の姿を見せてくれるこのような瞬間を体験すると、私たちが十分年をとっている場合には、喜びと苦しみを味わい、愛と認識を体験し、友情と愛情をもち、書物を読み、音楽を聴き、旅行をし、そして仕事をしてきたその長い全生涯が、まるで、ひとつの風景、一本の木、ひとりの人間の顔、一輪の花の姿に神が示現し、一切の存在と事象の意味と価値が示されるこのような瞬間への、長いまわり道以外の何ものでもなかったように思われるであろう。(太字筆者)
このような、まさに天啓とでもいうべき瞬間を言い止めることにおいて、俳句はその優位性を遺憾なく発揮するでしょう。いや、逆にそのためにこそ、十七音は選択されたのではないかと思えるほどです。物の見えたる光とは、真実の姿ということでしょう。俳句をしていると、ちょっとした心の動き、自分の内面の変化、反応といったものにも敏感になってきます。そういう瞬間にことばを与える行為は、人を内省的で思慮深くすると思われます。俳句をつづけることで、知らず知らずのうちに、自然を見つめ、自分自身を見つめるようになっていくのです。
 正岡子規の「墨汁一滴」(岩波文庫)のなかには、次のような一節があります。
自分が病気になって後ある人が病床のなぐさめにもと心がけて鉄網の大鳥籠を借りてきてくれたのでそれを窓先に据ゑて小鳥を十羽ばかり入れて置いた。(中略)その後でジャガタラ雀が浴びる。キンカ鳥も浴びる。カナリヤも浴びる。暫くは水鉢のほとりには先番後番と鳥が詰めかけて居る。浴びてすんだ奴は皆高いとまり木にとまってしきりに羽ばたきして居る。その様が実に愉快さうに見える。考えて見ると自分が湯に入ることが出来ぬようになってからもう五年になる。(太字筆者)
最後の一文まで読み進んだとき、読者の誰もが子規に同情し、胸を締め付けられる思いがするはずです。俳句が伝えようとするのは、まさにこういう瞬間なのではないでしょうか。


六、ことばの質量変化


だれでも美しい花に出会うと、覗き込んでその色や形、匂いや手触りといったものまで吟味しようとするでしょう。句会での選句を想像してみましょう。
俳句もまた、短詩であるがゆえに一字一句まで吟味されることになります。てにをはの違いだけで、入選したりしなかったりするのはそのためです。安住敦さんに、
しぐるゝや駅に西口東口         安住 敦
という句があります。初案は「駅の西口東口」であったのを、師が直したと何かで読んだことがあります。
「駅に」とすれば、「・・・がある。」の省略された形となり、西口、東口の存在がよりクローズアップされ、ぐんとよくなるのが分かります。

ところで、「見る」「聞く」などの動詞は、ふだんは省略されることが多いのですが、あえて一句のなかで使われるとどういうことになるのでしょうか。そこでは、
見る→ことさらによく見る
見える→ことさらによく見える
聞く→ことさらによく聞く
聞こえる→ことさらによく聞こえる
の意味になってしまいます。いや、そんなはずはないと思われるかもしれませんが、俳句では、実際そうなってしまうのです。何故こんなことが起こるのでしょうか。
実は俳句の世界では、ほとんどの場合読者もまた俳人だからです。俳人の鑑賞には、自ずから作者としての鑑賞眼が入ってきます。
普通なら省略可能な「見る」ということばをあえて使っているのだから、そこには何かきっと作者の強い思いが込められているに違いない・・・、と解釈されてしまうのです。

ことばの質量が増すというのは、そういうことです。実は俳句にしただけで、それ以外のことばの質量も増してしまうとわたしは考えています。もっと正確にいえば、ことば本来の質量を取り戻すといった方がいいのかも知れません。
ふだん、湯水のように消費していることばに、俳句では立ち止まるのです。たった一文字の違いで良し悪しが決まってしまう俳句。読者は一字一句を重くしっかりと受け止めようとします。このように、鑑賞者の眼が行き届くということは、もうそれだけでことばの質量が増しているとはいえないでしょうか。
峠見ゆ十一月のむなしさに        細見 綾子
十一月のむなしさがあって、はっきりと見えてくる峠です。峠の向こう側にあるのは、憧憬の世界。峠を見ながら大半の時間をこちら側で暮らすしかないのが、人間の生活だからです。


七、見るということ

あるとき、近所の空地に雲雀の巣があるというので、子どもといっしょに見にいきました。実は誰かから巣があると聞いた子どもが、鳥好きのわたしを呼びにきたのです。
巣は空地の少し奥まったところにあり、雛が数羽親をまっていました。わたしは、驚かさないようにほんの少し覗いて、その場を離れました。

後から聞くと、子は、「雛は四羽いた。」といいます。わたしはといえば、一斉に開いた赤い口に見とれて、数までは覚えていません。子どもが目で見ているのに対し、大人は頭で見ているといったら、奇異に聞こえるでしょうか。
大人にとっては、名前を知ることが大切で、すでに名前を知っているものは、ことさらよく見たりしないことが多いようです。
見知らぬ花があると直ぐに名前を知りたがります。名前が分かると、それで分かったつもりになっているのです。

それにひきかえ、子どもたちは、好奇心からでしょうか、実によくものを見ています。見た記憶をもとに、絵を描くこともできます。
山下清さんは、記憶をたよりに貼り絵をしたといわれていますが、きっと子どものような好奇心を生涯忘れなかったのでしょう。

さて、俳句表現の根幹をなしているのは、この見るという行為だと思います。見ることが十分にできないと、観念で句を作ってしまうことになり、人を感動させる句は生まれてこないでしょう。観念というのは、いわば理屈です。
叙述が理屈によって進むものだとすれば、叙述することを放棄した俳句は、既に理屈を放棄しているといえるかも知れません。わたしも相当理屈っぽい人間ですから、理屈に流れてしまった句をときどき推敲しています。

芭蕉さんは、「俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれ」といっています。子どもたちがいつも好奇心いっぱいなのは、今を生きているからではないでしょうか。大人がスケジュールに追われて今を忘れがちなのに対し、子どもたちは無心に今を生きています。
大人も本当に与えられている時間は今だけなのだと覚悟できれば、眼前に集中することができます。

日本画家の川合玉堂は、次のように述べています。
自然を見て、見て、さんざん見るんです。そうしていて、目をつぶると、あらゆる自然がはっきり浮かんできます。そうでなくっちゃ描けません。自然が、私に表現の方法まで教えてくれるのです。
雲雀の巣見てより雨の二三日       金子つとむ





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