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俳の森-俳論風エッセイ第55週

三百七十九、場面を詠う(句文をつなぐ場のちから❷)

「場面を詠う」(2/3)は、一句一章です。前回の三句一章では、人口に膾炙される三段切れの句も、ある場面を想定することにより、句意を取り違えることはないということが分かりました。今回は、一句一章で場のちからを見ていきましょう。

❷一句一章
前回の三句一章が、三つの句文で全体としてある場面をいっているのなら、一句一章は、一つの句文で場面をいっていることになります。つまり、五七五、十七音で書かれた一つの場面です。
例句を見てみましょう。句文の切れ目に句点を入れてあります。句点は、名詞や動詞の終止形、や、かな、けりなどの切字のあとに入ります。
巾着に米三合の寒参。           青野討支夫
戦時下の母偲ばるる寒卵。         小林ゆきを
菊酒を酌む金婚の宴かな。         緑川 智
舞ふやうに這ふやうに散る桜かな。     飯野 正勝
華やげる銀杏黄葉の大社。         神崎 和夫

いかがでしょう。どれも、一つの句文で一つの場面を切り取っています。場面というのは、そこに具体的な物があり、作者がそこにいて、何かをしているということです。青野さんの句には、巾着があり三合の米があり、神社かお寺に寒参をしているところです。小林さんは、寒卵を前に、戦時下のありし日の母を偲んでいます。何か寒卵に纏わるエピソードがおありなのでしょう。緑川さんは、金婚式の宴。黄菊と金色がとてもきらびやかです。飯野さんは、桜吹雪のなかに立っているのでしょう。「やうに」のリフレインが、それを楽しんでいるかのようです。神崎さんは、折しも銀杏の色づいた社に居合わせたのでしょう。

作者は場面のどこかにいると述べましたが、一句一章では、当事者であったり、観察者であったりします。例句でいいますと、青野さん、小林さん、緑川さんは当事者、飯野さんと神崎さんは観察者ということになるでしょう。そして、観察者である作者と対象との距離感は、使われたことばによってある程度想定することができるのです。
飯野さんの「舞うやうに這うやうに」という措辞は、作者が花吹雪の直中にいることを示しています。また、神崎さんの華やげるという措辞からは、境内で銀杏黄葉を見上げる作者を容易に想像することができましょう。

俳句は、よく一人称の文芸という言い方をされます。『いま、ここ、われ』の文芸だという人もおります。作者の感動体験がその場面を通して語られるということだろうと思います。

三百八十、場面を詠う(句文をつなぐ場のちから❸)

「場面を詠う」(3/3)は、二句一章です。芭蕉さんの句を通して、二句一章を少し掘り下げてみましょう。
❸二句一章
夏草や兵どもが夢の跡
この句の、二つの句文を強調して表示すると、
夏草や。     兵どもが夢の跡。
この二つの句文は、それぞれ別の意味をもつ句文であることがよく分かります。夏草やといえば、目の前に夏草が生い茂り、兵どもが夢の跡は、ちょっと分かり憎いかもしれませんが、文としては意味をなしています。一見、関係ないようにも見える二つの句文が、何故一つの俳句になるのでしょうか。その鍵は、その俳句が発せられた場所、つまり場にあります。
「夏草や」まで読んだとき、読者は、何故か呆然と立ち尽くす作者を想像するでしょう。それは、切字「や」の詠嘆の働きです。同時に読者のうちにも、夏草のイメージが広がっていくことでしょう。やがて、「兵どもが夢の跡」は、その場所に立ったときに生まれた、作者の感慨ではないかと気づくのです。
夏草のイメージに、夢の跡のイメージが重なっていきます。すると、だんだんそのことばの謎が解けてきます。今、むせかえるような夏草に覆われたこの地は、なんの変哲もないこの草はらは、かつて兵どもが夢の跡だったに違いないと・・・。
そしてこの夢の跡が、生死を賭けた戦によって築きあげた豪奢な御殿の跡かもしれないと思い至ったとき、読者の胸にも様々な感慨が去来してくるのではないでしょうか。それを、無常観と受け取る人もいるでしょう。

このように、二つの独立した句文が一つの意味を持ち得るのは、そこに場の力が働いているからなのです。俳句は普通、その場にある景物やその場の雰囲気に触発されて生まれます。その場を形づくるのは、多くの場合季語の情報です。季語は自然の景物ですから(例外もありますが)、時季とおおよその場所を特定することができます。
掲句では、夏草を手掛かりに、読者は自身の体験から、その場をイメージします。知らず知らずのうちに、読者はその場面に引き込まれていきます。こうして、場面を介して作者の感動が読者に伝わっていくのです。無関係のように見えた二つの句文は、実は作者の感動の糸で繋がっています。その感動を共にすることが、俳句の鑑賞なのではないでしょうか。
俳句を読んで、独立した句文を苦も無くつないで意味を受けとることができるのは、場という大前提があるからです。しかし、場が共感の母胎として働くのは、読者の側にも似たような体験があるからだといえましょう。俳句を通して、私たちは場の体験を交換し合っているのです。

三百八十一、二句一章(抽出型と触発型)

完全に独立した二つの句文からなる二句一章の場合、俳句の形は、次の何れかに大別できるように思われます。
❶触発型  ❷抽出型
命名は、二句一章の二つの句文AとBの関係に因んでいます。以下、例句を交えてその特徴を説明したいと思います。

❶触発型
触発型は、句文Aに触発されて句文Bが生まれたような場合です。
夏草や。(兵どもが夢の跡)。        松尾 芭蕉
閑さや。(岩に沁み入る蝉の声)。      〃
冬晴や。(地上はいのち濃きところ)。    金子つとむ
(身に入むや)。太宰の墓に酒・煙草。   原田 要三

どっちがどっちとは一概に断定できない場合もありますが、少なくともある種の感慨といったものは、現実の景や状況が契機となって生まれてくるのではないかと思います。右の例では、感慨に相当する部分を括弧で括っています。また、四句目のように、ある光景が季語の情趣を深く認識させる場合もあるでしょう。作者は、季語を体験したといってもいいのではないでしょうか。
❷抽出型
抽出型は、ある景の中の様々な構成要素の中から二つ、AとBを抽出して感動の場面を表現する場合です。触発型のように一方が他方に依存するというより、両者が最良の組み合わせ(ベストマッチング)にあるといっていいでしょう。この関係のことを、俳句では付かず離れずと呼ぶのではないでしょうか。それは、別のことばでいえば、互いに響きあう関係です。
荒海や。佐渡に横たふ天の河。      松尾 芭蕉
赤蜻蛉。筑波に雲もなかりけり。     正岡 子規
海光や。棚田縁取る彼岸花。       竹内 政光
冬霞。ほのかに浮かぶ遠筑波。      池田 克明
潮待ちの日の出を拝む。冬葵。      高井 由治

 作者は、ある場面のなかから、この二つの句文を抽出して、読者の前に並べて見せたのです。作句の動機は、作者がその場面に深く感動していることでしょう。そして、その感動の源を探り当て、これはと思う事物を二つの句文に仕立て、提示しているのです。二つの事柄は、互いに響きあって場面を構成しています。
恐らく、作者の目には、抽出された二つの事柄以外にもたくさんのものが見えていたはずです。例えば子規の句の場合、前景の赤蜻蛉と後景の筑波との間には、田園風景が広がっていることでしょう。そこには、刈田や薄や小川といったさまざまな景物が犇めいていたことでしょう。その中から二つに絞ったのは、作者の力量に他なりません。

三百八十二、『春の旅』考

春の旅を採録している歳時記と、そうでない歳時記があります。ことばとしてはもちろん、春の旅があるなら、夏の旅も、秋の旅も、冬の旅もあるでしょう。しかし、それらは果たして季語になりうるのでしょうか。春の旅をめぐって、そのあたりのことを考察してみたいと思います。

まず、季語が季語であるための条件は何でしょうか。歳時記には春の川も、春の野も、春の空も採録されています。まず、これらが何故季語となりうるのかを考えてみます。
季語は季節のことば、俳句のような短詩に季語が必要とされてきたのは、季語のもつ情報量の多さがあるでしょう。春の川といえば、誰しも冬の険しさが消え、水量も増えて穏やかな流れを想像することでしょう。河原はそれまでの枯色から瑞々しい緑へと日毎に変わっていきます。
春の川は、春ならではの川のイメージとそれに伴う情趣をもっています。俳句で春の川といっただけで、読者は春の川をまのあたりにすることになるのです。同じように、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬ならではの川のイメージがあります。

このことを念頭に置いて、春の旅を考えてみましょう。春の旅から、どんなイメージを思い浮かべることができるでしょうか。北上する桜前線を追って、桜を愛でるのも春の旅なら、暖かくなって景勝地を巡る旅も、名物を食するための旅もあるでしょう。
そう考えると、春の旅といっても、そのバリエーションはかなり広いことが分かります。そして問題は、そこに春の旅を決定づける、他の季節とは異なる春の旅ならでは情趣が何かあるかどうかということです。

川のような自然物とは違い、旅は人の行為ですからバリエーションが豊富なのは当然です。それだけに、春の旅といっても、春の旅ならではのイメージに収斂しにくいのかもしれません。個人的には、春の旅は、春に出かけた旅のイメージでしかないように思うのです。
桜を愛でる旅はまさに春ならではの旅ですが、それならば桜狩でも花見でもいいことになります。少し遠出の花見ということです。

季語になるための要件は、そのことばに豊かな情趣があって、多くの人が特定のイメージを共有できるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
芭蕉さんの時代には、季語は数百しかありませんでした。今は五六千、副季語を含めると2万弱になっています。その過程で、歳時記による採録のバラツキがでてきたのだろうと思います。いわば、グレーゾーンの季語です。それをどう使用するかは、まさに個人の裁量といえましょう。

三百八十三、推敲と表現

推敲については、これまでにも何度か取り上げてきましたが、俳句という短詩では何度も推敲を繰り返すということがよくあります。勉強のために、自作の推敲過程をエクセルシートで全て記録していますが、私がこれまで推敲した回数の最高は、一〇二回です。
ところで、推敲とは何なのでしょうか。たくさん推敲を重ねたからといって名句ができるわけではないことは、実作者なら誰でも知っているでしょう。いま私は、推敲とは、自分の感動の所在を探り当てることだと考えています。

先頃、こんな句を作りました。五月だというのに、最高気温が30度を超えた、今年最初の真夏日でした。夕方、暑さも一段落した頃、通りがかりの森の側で、鶯の声を聞きました。そこで、
老鶯や初真夏日の夕つかた         金子つとむ
とやったわけです。けれどもその時は、自分自身でも何が作句動機となったのかよく分からなかったのです。心を動かされたのは確かなのですが、その正体が分からない。そして、推敲を繰り返す内に、涼しということばが浮かんできました。
老鶯の夕べの声の涼しさよ         〃
老鶯のきれいな高音は、私に涼しさを感じさせたのだと得心したのです。運よく、作句時に感動の所在を的確に探りあてることができれば、推敲は不要でしょう。自分が何に感動したのか、自省しながら推敲をすすめると、私の推敲のような酷い事にはならずに済むように思います。

さて、推敲が感動の所在を突き止めることなら、表現とはことばを通して、感動の内実を自他ともにオープンにすることだいえるでしょう。俳句では、例句のように感動の所在が季語の情趣に収まる場合もあれば、そうでない場合もありましょう。
しかし、そんなときでも私たちは、感動の引き金となったものを提示することで、読者をその場に居合わせることができます。以前にご紹介した、高野素十さんのことば、「表現は只一つにして一つに限る」は、いまでは私の座右の銘ですが、このことばのいわんとするところは、その時の作者が持つ、持てる限りの表現力を使って、突き止めた感動を表現しなさいということだろうと思います。

素十さんの句に、何でもないような句があります。
苗代に落ち一塊の畦の土          高野 素十
この句の背後には、大いなる自然の力が控えているように思われてなりません。それを、人間のことばで表現しようとしても、適当なことばが見つからない。そんなとき、私たちはその感動を受け取った場面だけを、そのまま提示するしか方法がないのではないでしょうか。

三百八十四、ことばのイメージ化と繋げ方

俳句が一章である纏まった意味を伝えるといっても、ことばにはそれぞれイメージ喚起力がありますから、実際はことばと共にイメージが現われ、それらのイメージが、やがてジグソーパズルのようにある纏まったイメージへと展開していくものと思われます。特に俳句では、一読して映像が浮かぶということが、読者の共感を得るもっとも基本的な条件といってもいいでしょう。簡単にいえば、イメージの湧かない句は、共感しづらいのです。

このイメージ化とその繋げ方は、自作を推敲する際の指針となるのではないでしょうか。たとえば、次の拙句が分かりにくいのは、イメージ化に失敗しているからではないかと思うのです。
夏鴨の田水くぐりし嘴光る         金子つとむ
この句を分解すると、夏鴨の嘴光るという文のなかに、中七の形容が挟まる格好になっています。そこで、下五で嘴が出てくるまで、「夏鴨の」というフレーズは、イメージを構成できないまま、宙ぶらりんの状態に置かれます。掲句を添削したのが次の句です。
夏鴨の嘴光らせて田水中          〃
句意はやや異なりますが、一読してすっと映像が伝わるのではないでしょうか。ポイントはやはり、ことばをイメージ化し、順に繋げていくことではないかと思います。

また、イメージを繋げる方法としては、イメージを単に並置したり、大から小へフォーカスしたり、逆に小から大へ拡大したりすることが考えられます。そしてそれはそのまま、視線や他の五感の動きと重なっています。
山又山山桜又山桜             阿波野青畝
目には青葉山ほととぎす初鰹        山口 素堂
みちのくの伊達の郡の春田かな       冨安 風生
苗代のへりをつたうて目高かな       正岡 子規
荒海や佐渡に横たふ天の河         松尾 芭蕉
海に出て木枯帰るところなし        山口 誓子

ことばがイメージ化され、それが視線の動きにそって繋げられるとき、私たちは、違和感なくその景の中へ入っていくことができるでしょう。散文のなかに置かれたらあまり気にならない文章も、俳句という短詩形で気になってしまうのは、俳句はイメージの伝達ということを主眼にして作られているからだと思われます。
短歌の世界でも、事情は似ているようで、例えば次の作例のように、助詞「の」によってある一点に収斂するような作品では、読者はスムーズにその景を思い浮かべることができるでしょう。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
                                                                                 佐々木信綱

三百八十五、飛んで向うへ

高野素十さんの処女句集『初鴉』に、句集名となった作品があります。
ばらばらに飛んで向うへ初鴉        高野 素十
初めてこの句に会ったとき、上五中七がなんともぶっきらぼうに思えたのですが、繰り返し読んでいるうちに、言い得て妙だと気づきました。確かに、塒入りの鴉などは、まっすぐに塒を目指すという風でもなく、それぞれが勝手気儘で、まさにこんな感じで飛んでいくのです。新年だからといって、鴉が特別な飛び方をする訳では無論ありません。どうやら作者は、初鴉といったって、鴉はいつもと同じだといわんばかり。そこに、なんともいえない諧謔が漂っているように思います。

この小論でも何度も取り上げましたが、素十さんのことばに「表現は只一つにして、一つに限る」というのがあります。まさにそのことばを実践した格好の例ではないでしょうか。初鴉といえば、なんとなくこちらも改まって、鴉にもいらぬ装いをさせたがるのが人情でしょう。しかし、素十さんは違います。いつもと同じく、平常心なのです。鴉が群れ飛ぶときはいつも、「ばらばらに飛んで向うへ」いく、それが鴉の在り様なのだと、作者はそういいたげです。もしそうなら、表現に色は付かず、おそらく只一つに収斂していくでしょう。

あるとき、いつも散歩する小貝川の土手から、眼下に広がる早苗田を見晴るかし、
早苗田の果てなる森の緑濃し        金子つとむ
と詠みました。しかし、しばらくすると「果てなる」がどうも気になります。そして試行錯誤の上、最後に、「向こうの」と置いたとき、素十さんの句を思い出したのです。
早苗田の向こうの森の緑濃し        〃
初鴉の「向うへ」は、作者から離れる方へという意味でしょう。作者は、そのときそれが南だとか東だとか全く意識していなかったと思われます。拙句の「向こうの」は、向こう側のという程の意味です。「向こう」というと、果てよりはぐっと距離感が狭まりますが、誇張せずに只一つの表現を追求すると、「向こう」でいいと合点したのです。

素十さんの五感が捕まえて、「飛んで向うへ」といったものを、素十さんもおそらく「只一つ」と合点したのでしょう。例えば、飛んで南へなどといえば、それは鴉の在り様とは異なって、人の認識が前面に現われてきます。
鴉は飛んで向こうへ行った、それをああ初鴉かと思って作者は見送っただけなのです。それだけの句ですが、それこそが大事なのではないでしょうか。虚飾のない世界とは、大いなる自然の相そのものともいえましょう。それを表現することが、只一つの意味だと思うのです。


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