見出し画像

俳の森-俳論風エッセイ第15週

九十九、子規の句あれこれ

子規は生涯に二万四千句を作ったといわれています。これは一茶の二万句をしのぐ数で、三六年という短い生涯を思うとその驚きは倍増します。子規記念博物館のホームページには、子規俳句のデータベースがあり子規の句を検索することができます。子規はどうして、そんなにたくさんの句をつくることができたのでしょうか。
一つには、子規を中心にした句座があるのでしょう。「一題十句」の題詠の修行を行なったり、月一回の郵便句会を発案したりと、子規はなかなかのアイデアマンだったようです。俳句をつくることが、楽しくてしょうがなかったという感じがします。

さて、子規365日(夏井いつき著、朝日新書)のなかから、子規の句をいつくか取り上げ、感想を述べてみたいと思います。子規のやわらかな感性の光る作品ばかりです。

ねころんで書よむ人や春の草       正岡 子規
ねころんでという措辞が、春の暖かさ、光、草の匂いなどを彷彿とさせます。季節に抱かれているような感じでしょうか。
夕風や牡丹崩るる石の上         〃
花びらが大きいせいでしょうか、牡丹はまっすぐに散るように思います。いましがたまで、花としてあった牡丹が花びらとなって散り敷く。「崩るる」という措辞にドラマがあります。
あふがれて蚊柱ゆがむ夕哉        〃
自分で煽いでいるのでしょうか、夕涼みの一景と思われます。写生を唱導した子規の目の確かさが感じられます。

田から田へうれしさうなる水の音     〃
うれしそうなるに手放しの喜びが感じられます。子規の童心を見るようです。
絶えず人いこふ夏野の石一つ       〃
遠くからでも目印となるような、大きな石なのでしょう。芭蕉の幻住庵記には、「先たのむ椎の木もあり夏木立」があります。
鶏頭のまだいとけなき野分かな      〃
子規のこころが、鶏頭にすっと寄り添っていくようです。この他にも、次のような句があります。
只一つ高きところに烏瓜         〃
すてつきに押し分けて行薄哉       〃
凩や燃えてころがる鉋屑         〃
仏壇の菓子うつくしき冬至かな      〃

子規が写生を唱導したのは、自然やそのなかで育まれているいのちが、愛しくて仕方なかったからではないでしょうか。


百、祝祭としての風景―「海の日の・・・」考

海の日(七月の第三月曜日)は、昭和十六年に「海の記念日」として制定されたものが、平成八年になって、国民の祝日として定められたといいます。(角川大歳時記より)
比較的新しい季語ですが、平たくいえば、海の恵みに感謝する日といってもいいのでないでしょうか。

さて、今回は、中川晴美さんの次の句を取り上げ、鑑賞してみたいと思います。ご承知の通り、第九期蕪村顕彰全国俳句大会で大阪府知事賞に輝いた作品です。
海の日の与謝にはためく大漁旗      中川 晴美
掲句は、「海」という大きなイメージから、与謝という土地へ、さらに大漁旗へと次第に焦点を狭めていく構成になっています。これは、意図したわけではなく、作者の天稟のなせるわざだと思いますが、海の日というやや抽象的なことばから、実景としての与謝へ、そして鮮やかな大漁旗へとイメージが鮮明化していくのです。

与謝という土地を知っていれば尚のこと、知らない人でも大漁旗を知らない人はいないでしょう。この句の手柄は、まさに、イメージ喚起力の豊かな「大漁旗」にあるのではないでしょうか。
おそらく、作者は写生に徹したのではないかと思いますが、一句にまとあげる段階では、もちろん作者の取捨選択が働いています。

大漁旗は、まさに喜びと感謝の象徴といえましょう。漁師たちの喜びもさることながら、それを立てることで、喜びを分かち会うという意味合いもあるでしょう。
こういう句に出会うと、俳句は、「自然と人との交歓の詩」という気がします。掲句はまさに、祝祭としての風景を詠んでいるのではないでしょうか。与謝にも、大漁旗にも人々の思いがいっぱい詰まっていることを、この句は気づかせてくれるのです。

更にいえば、この大漁旗は海風にはためいています。「はためく」から、風の音が聞こえてきます。その風を肌に感じ、その音を聞いている作者がそこにいます。この句は、少しも静止していない。いのちの鼓動のように、いつまでも躍動しているのです。

このような場に居合わせたことは、作者にとっても幸運といえましょう。しかし、ただ居合わせただけでは、句は生まれません。ことばと感性の修練を積んで、その場に居合わせたからこそ、このような句が生まれたのだと思います。先達である芭蕉さんも、自分を信じてこの道を歩まれました。
この道や行く人なしに秋の暮       松尾 芭蕉


百一、感性の握手

既に百回ほど俳論めいたことを書き連ねてきて、こんなことをいうのは少し変に聞こえるかもしれませんが、俳句は論でつくるものではないということです。
論は理屈です。そして、俳句がもっとも嫌うのも理屈なのです。どんなにすばらしいと思える論でも、それが論である限り、理屈といえるのではないでしょうか。

一つの理論に凝り固まってしまうと、その論の外にあるものを、論外として排除することになります。もっとも大切なことは、その都度、生き物としてのことばに触れるということではないでしょうか。
俳句はことばです。ことばは生きて動いています。ことばの言い回しも、使われ方も、ニュアンスも日々変化しているのです。

五七五で、季語一つ。
これを理論で説明できないか、悪戦苦闘してきましたが、もともと理論ではないのです。
自分の句ができたときのことを思い浮かべてみましょう。それは、自分でも不確かな、未知の場所からやってくるという感覚はないでしょうか。不意にぴったりのことばがでてくる、それは、どこからでてきたのでしょうか。

一輪の草の花を、私たちが美しいと感じるのは何故なのでしょうか。俳句のことを突き詰めて考えていくと、結局のところ、理屈では追えないところに行ってしまうのです。理論は、ことばで組み立てます。けれども、俳句や詩はことばでありながら、ことば以前のものを指し示しているように思えてならないのです。

前に感覚への共鳴ということを書きましたが、今では、俳句は、感性の握手ではないかと考えています。自分が感じたことを感じたように俳句にする。その感じに共感してくれる人は、自分の感性に握手してくれた人です。
その握手の温もりだけで、人は繋がっていけるのではないかとわたし自身、手放しで信じています。
こころをひらいて、いろんな感性と握手する。それが、自分の感性を広げることにもなるでしょう。自分の感性を信じて、あとは、伝わるように書くだけです。

日本語のルールを守っていれば、百年後の人も、読んで意味を理解してくれるでしょう。平成二十九年は、子規の生誕百五十周年とのことです。わたしたちは、時空を超えて先人たちの俳句を手にとることができるのです。
故郷やどちらを見ても山笑ふ       正岡 子規
六月を奇麗な風の吹くことよ       〃
若鮎の二手になりて上りけり       〃


百二、場面の映像化

これまでにも何度かことばのイメージ喚起力について述べてきましたが、今回は、その強弱を意識して、実際に句を推敲してみたいと思います。

【原 句】空澄むやひそかに通ふ鷺一つ
【推敲句】空澄むや高きを通ふ鷺一つ

 空澄むという季語には、特定の映像がありません。やや茫洋とした季語といえましょう。それだけに、原句では、読者は明確な像を結びにくいのではないでしょうか。
そこで、「ひそかに」を「高きを」と変えて、高空をゆく鷺に焦点を定めました。

【原 句】鶺鴒の番連れとぶ光かな
【推敲句】鶺鴒の番連れとぶ水辺かな

最初その光景を見たときに咄嗟にできたのが、原句でした。鳥に馴染みのある人なら、分かってもらえるかもしれませんが、原句には場所の情報がありません。
鶺鴒の居そうな場所を読者は想像するだけです。推敲句では水辺を入れることで、より具体的に読者のイメージを固定化しています。水辺を飛ぶ白い翼を思い浮かべて貰えれば成功だといえるでしょう。
【原 句】鶺鴒の駆けて水路の水乱す
【推敲句】鶺鴒の駆けて水路の水光る

「乱す」と「光る」のどちらが映像的かということです。五感で直接捉えることができるようなことばには、よりイメージ喚起力があるように思われます。
また、「乱す」は、作者の判断が含まれる分だけ主観的といえましょう。「光る」は、感覚的なことばだけにより客観的表現といえるのではないでしょうか。

【原 句】夕風や後ろで木槿の落つる音
【推敲句】夕風や庭に木槿の落つる音

原句には、季語に内在する木槿の咲きそうな場所というだけの場所情報しかありません。推敲句では、庭を補うことで、夕風にたつ作者を想像することができます。
一日花である木槿の落ちる場面に居合わせたことが、この句の眼目といえるでしょう。

【原 句】びつしりと蜻蛉の翅に朝露が
【推敲句】標本の形に露の蜻蛉かな

こういう光景をみることはあまり無いかもしれませんが、わたしが見たのは、奥日光の戦場ヶ原でした。穂咲下野(ほざきしもつけ)という潅木に止った蜻蛉がまさに掲句のような状態でした。
原句が主観的表現なのに対し、標本ということばで、とんぼの有様を捉えています。「標本」ということばに出会ったことは、とてもスリリングな体験でした。


百三、「根岸の里の侘び住ひ」考

随分昔に、季語をつけると俳句になる魔法のことばとして、「根岸の里の侘び住ひ」なる句文があることを、朝妻主宰(雲の峰)から教示されたことがあります。今回気になって調べてみたところ、
梅が香や根岸の里の侘び住ひ       入船亭扇橋
という原句があるらしいことは分かりましたが、正確な考証までには至りませんでした。それは、ともかく、この句文が、何故、俳句になるのかということを考えてみたいと思います。

試みに、他の季語を配して、句を作ってみると
麗かや根岸の里の侘び住ひ
蝉時雨根岸の里の侘び住ひ
身に入むや根岸の里の侘び住ひ

などとなり、どれもいけそうな気がしてしまいます。

さらにこの句文の秘密を探るために、これを分解してみると
根岸の里→地名・場所情報
侘び→わび・さび、日本人の美意識
住い→住まうには、どんな季節とも結合可能な融通性あり
などとなり、この句文は、確かにある種の情感をもっているといえそうです。

さて、取り合せが成立するためには、句文が独立した詩情をもつことが必要です。「根岸の里の侘び住ひ」を突き詰めていくと、この句文の弱点が露わになってきます。
「根岸の里」には、具体性があるものの、「侘び住ひ」となるとやや抽象的になってきます。この抽象性が、明確な詩情の生成を阻害しているのではないでしょうか。

どんな季語もそれなりに接合できるが、逆にこの季語でなければならないということがないというのは、明らかにこの句文のもつ欠陥だと思うのです。つまり、この句文には、詩情が希薄なのです。濃厚な詩情をもつ句文であるならば、それに響きあう季語がきっとあるはずだからです。

根岸には子規庵がありますので、たとえば、この句文を「根岸の里の辞世句碑」としてみると、少なくとも上記の「麗かや」は除外されるのではないでしょうか。
×麗かや根岸の里の辞世句碑
さらに、「辞世句碑なる仏の字」という風に、詩情を明確に打ち出していくと、前掲の季語ではこの句文を受け止め切れなくなるものと思われます。そこで、季語としては、「身に入む」あたりが妥当になるかと思います。

身に入むや辞世句碑なる仏の字


百四、一物仕立てと取り合せ

朝妻主宰(雲の峰)の句形論は、主として日本語の文法、あるいはその機能面から切れの構造を詳述されていますが、いわゆる意味の一句一章、二句一章は、古くから言われている、一物仕立て、あるいは取り合せに相当するものと思われます。

一物仕立てや取り合せは、内在する感動の大きさによって、その表現形式が選択されるのではないかと考えられます。一物仕立てでは、作者の感動はその感動の核心とでもいうべきことば(共振語:太字部分)に集約されています。(二重線は季語、傍線は共振語)

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな    中村 汀女
をりとりてはらりとをもきすすきかな   飯田 蛇笏
滝の上に水現れて落ちにけり       後藤 夜半
卒業子鉄砲玉となつてをり        福田キサ子
滝行者まなこ窪みて戻りけり       小野 寿子
葛晒す桶に宇陀野の雲動く        渡辺 政子
鶏頭を三尺離れもの思ふ         細見 綾子
冬の水一枝の影も欺かず         中村草田男

共振語は、季語と響きあい、詩情を紡ぎ出す中心的役割を果たしているといえましょう。
このように一物仕立てでは、一句が内容的に自立・独立するために、たぐい稀な認識の一語が要求されるのではないでしょうか。

一方、取り合せの句はどうでしょうか。取り合せの句には、季語と響き合う共振語に加えて、句文と句文の間に切れがあります。この断絶が、ことばのイメージ喚起力を最大限に引き出します。作者の感動は、この切れによって増幅されるといっていいでしょう。大きな切れは、大きな感動を内包しているのです。

啄木鳥や/落葉をいそぐ牧の木々     水原秋桜子
芋の露/連山影を正しうす        飯田 蛇笏
古池や/蛙飛び込む水の音        松尾 芭蕉
荒海や/佐渡に横たふ天の川       〃
閑さや/岩に滲み入る蝉の声       〃
夏草や/兵どもが夢の跡         〃
蟾蜍/長子家去る由もなし        中村草田男
鰯雲/人に告ぐべきことならず      加藤 楸邨

草田男と楸邨の句は、句文Aと句文Bの間に大きな違和感があるため、直には共振語と認められないかもしれません。しかし、いつかこの違和感を乗り越えたとき、これらの句は、読者にとって忘れ難い一句となるのではないでしょうか。


百五、平常心ということ

突然ですが、俳句は平常心の詩という気がします。平常心は、ふだんと変わらないこころ、揺れ動くことのない心理状態と解されています。あるいは、また、表現というのはすべからくそういうものかも知れないと思うのです。

以前に、堀口大学の「言葉は浅く、意は深く」ということばを紹介したことがありますが、「言葉は浅く」というのも、普通のことばでという意味でしょう。ふつうのことばを話せる状態が平常心だということができるでしょう。
逆に普通のことばが話せない状態というのは、興奮状態ということができます。興奮状態では、人は冷静ではなくなりますし、客観的な判断がしにくくなります。

さて、何故こんなことを言い出したかというと、普通、何かを主張したいときには、自然と声が大きくなるものだからです。俳句という短いことばで感動の場面を描こうとすれば、必然的に声が大きくなる、俳句の短さは、気をつけていないと、声を大きくする方向に働いてしまうのではないかと考えたからです。
俳句でいえば、主観語の多用や、強調、誇張、新奇なことばの使用などが「声を大きく」にあたるでしょう。
しかし、いくら声を大きくしたからといって、相手に伝わるというものでもありません。感情的な物言いでは、その感情(喜怒哀楽)しか伝達できないように、俳句で声を大きくしても、作者の感情しか伝わらないのではないでしょうか。つまり、読者には理由が分からないけれど、どうやら作者は喜んでいるらしいとか、哀しんでいるらしいということだけが伝わるだけなのです。

俳句は、感動の現場で詠むことが多いため、どうしてもそのときの感情が表にでがちです。ですから、しばらく経ってからその句を読み返すと、容易に欠点を見つけることができます。
しかし、感動の現場では、その場でしか生まれ得ないことばが、たくさんあるのも事実です。思いついたことばは、その場でメモしておくと、後で作句や推敲するときに役立つでしょう。

いままで述べたことは、ひとによって大いに異なるでしょう。わたし自身の経験からいえば、わたしの原句は、主観まるだしになることが多いようです。
しかし、それはそれでいいと考えています。主観語のなかには、句のキーワードとなるようなことばが含まれていることが多いからです。
俳句を平常心で作るのは難しくても、しばらくして平常心に戻った状態で、推敲することは可能でしょう。
ふだん着でふだんの心桃の花       細見 綾子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?