俳の森-俳論風エッセイ第6週
三十六、定型と字余り
五・七・五の定型は、作者に対しては、五・七・五で俳句を作るように働きかけ、読者に対しては、五・七・五のリズムで読むように働きかけます。
作者は、ことばのもつあらゆる要素を五・七・五にのせて送り出します。読者は、それを同じリズムで味わうのです。次の二つの句から、作者が意図したそれぞれの時間を味わってみましょう。
牡丹散つて打ち重なりぬ二三片 与謝 蕪村
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ 高浜 虚子
蕪村の句は、わたしにはスローモーションのように感じられます。牡丹の花びらが時間を畳み込むように散っていきます。その理由を少し考えてみましょう。
この句は、六・七・五です。たった一音ですが、わたしたちの体の中に基調としてある五・七・五のリズムと比較して、長く感じられるのではないでしょうか。
もう一つは、「つ」、「ん」の働きです。この句には、「つ」が一つと、「ん」が三つあり、いずれもリズムに変化をもたらしているようです。
特に下五の「ん」には、散った花びらの微動のようなものまで感じ取ることができるでしょう。
このように定型があることで、逆に定型からはみだしたときの効果というものも生れてきます。
一方虚子の句は、五・七・五のリズムに乗せて、初蝶に出会った一瞬を鮮やかに切り取っています。「問ふ」、「答ふ」の脚韻が、緊迫した臨場感を伝えています。
次に十七音という音数は、句作にどんな影響を及ぼしているのでしょうか。あれもこれもがいえない俳句は、作者に対し、感動の焦点は何かを、常に気付かせようとするのです。感動の焦点とは、別のことばでいえば、ものごとの本質といってもいいでしょう。十七音は、本質をつかむための訓練といってもいいかも知れません。
もう少し、例句を見てみましょう。
白梅に明くる夜ばかりとなりにけり 与謝 蕪村
白牡丹といふといえども紅ほのか 高浜 虚子
蕪村の句は、五・八・五です。「冬鶯むかし王維が垣根哉」「うぐいすやなにごそつかす藪の霜」とともに、蕪村の絶筆三句と言われています。
中七が一文字増えただけですが、その時を迎える蕪村の安らかな心情が吐露されているように思います。病床の蕪村は、弟子にこの句を書き取らせ、「初春」と題をおくようにと指示して眠るように往生したと「夜半翁終焉記」(高井几菫編)が伝えています。
また、虚子の句は、「白牡丹と」と六音で詠みだし、泰然とした花王の佇まいを見事に表現しています。
三十七、ものの不思議に触れる
今日は、次の原石鼎の句をもとに、ものの不思議ということを考えてみたいと思います。みなさんは、あるとき不意にものがよく見えたという経験はないでしょうか。
駅のホームで、舗装の隙に一列に伸びた草の青さ、ふと見上げた真紅の薔薇の花びらに畳み込まれた薄闇、青空と拮抗するように見えた露草の花の藍。
芭蕉さんが「物の見えたるひかり」と呼んだものは、これではないかとわたしは勝手に想像したりしています。
青天や白き五弁の梨の花 原 石鼎
さて、この句は、読めば読むほど不思議な句です。最初は、あまりに真っ正直で肩透かしを食らったように感じられます。何故なら、まるで図鑑の説明のように、当たり前のことを言っているとしか思えないからです。
しかし、さらに読み込んでいくと、まさにそのことが作者の主張ではないかと思えてきます。つまり、作者自身がこの句に付け加えることは何もないと言っている、作者自身がこの句の世界に感動し充足しているのです。
せ・い・て・ん・や・し・ろ・き・ご・べ・ん・の・な・し・の・は・な
こんどは、一字一句をゆっくりと読んでみます。青空を背景に真っ白な花びらがくっきりと浮かんできます。まさに五弁の梨の花。青空はどこまでも青く、花びらはどこまでも白い。それが、美しく存在を主張し始めるのです。
考えてみれば、青天と名付け、白と名付け、五弁と名付け、梨の花と名付けて分かったつもりになっていますが、そのものの何が分かったというのでしょうか。この梨の花の存在だけでも十分に不思議ではないか。作者は、そう言っているかのようです。
ここでは、それぞれのことばが、生まれたときの生々しさに立ち返っています。この句から聞こえてくるのは、ことばそれ自体の響きなのです。しかし、何故そうなのでしょうか。この句のどこにその秘密があるのでしょうか。
一つには、作者は梨の花と青天以外、描写を止めてしまったようなのです。作者の視線は、まるで梨の花に焦点の合ったその瞬間に凍りついてしまったのでしょうか。
あるとき、ふと見慣れた文字が何故か不思議に感じられる瞬間があるように、作者の視線もまた、梨の花の不思議さに触れてしまったのではないかと思われます。作者はやがて、搾りだすようにことばを吐き出します。
青天や・・・白き・・・五弁の・・・梨の・・・花
作者には、芭蕉さんのいう、梨の花のひかりが見えていたのではないでしょうか。ひかりとはいのちそのもの。作者が充足のなかから、やっとの思いで搾りだしたことばが、掲句なのではないかと思うのです。
三十八、類句・類想について
いきなりクイズです。千、三千、二万さて何の数でしょうか。勿論これだけで分かりっこないのですが、「小林一茶」(金子兜太著、小沢書店)を読んでいたら、出くわした数字です。正解は、生涯で作った俳句の数が、芭蕉約一千、蕪村約三千、一茶約二万ということでした。
芭蕉さんは類句・類想を嫌って、最期まで自句の推敲をされたと聞いていますが、一茶は、類句類想には無頓着で、むしろ気に入ったことばがあるとそれを面白がっていろいろと試していたようです。
よく類句・類想は避けるように言われますが、それば何故なのでしょうか。また、わたしたちは、類句・類想に対してどのように対処すればいいのでしょうか。
類句・類想を避けよということと、個性的であれということはどこか通底しているように思われますが、
個性的ということについて、養老孟司さんが「バカの壁」(新潮新書)のなかで、面白いことを述べています。
人間の脳というのは、こういう順序、つまり出来るだけ多くの人に共通の了解事項を広げていく方向性をもって、いわゆる進歩を続けてきました。マスメディアの発達というのは、まさに「共通了解」の広がりそのものということになります。(中略)ところが、どういうわけか、そうした流れに異を唱える動きがあります。「個性」の尊重云々というのがその代表です。(後略)
短い俳句が伝わるのは、季語という了解事項があるからです。共感は、この了解事項のうえに成り立っています。百人の人が作れば、類句・類想の山なのです。初心のうちは、類句・類想に捕らわれずに、どんどん作ったほうがいいのではないでしょうか。
俳句大会などでは、類句・類想が発覚した場合は、入選を取り消すことがあると書かれています。しかし、間違いなく自分の句であれば、何も恐れることはないでしょう。
そして、もし類句・類想だといわれたら、先客がいたと素直に引き下がればいいだけです。むしろ、指摘を受けるような類句・類想句ができたということは、それだけ実力がついた証でもあります。
そのくらいのレベルになったら、例句にはない世界を詠むように心がけたいものです。そのための唯一の方法は、自分に正直になることではないでしょうか。
自分の思いに忠実に作ってさえいれば、いつか自分らしさというものが出てくるでしょう。生涯に二万句を作った一茶ですが、わたしには、俳句を心底楽しんでいたのではないかと思われます。
露の玉つまんで見たるわらべ哉 小林 一茶
三十九、作品が生まれるということ
最近のことですが、「ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと」という本(新潮社、とんぼの本)のなかで、次のようなエンデのことばを知りました。
どこかでなにか作品がうまくできれば、音楽でも、絵でも、いや、小さな詩でもいいのですが、いい作品が生まれれば、その作品が存在するということだけで、世界は変革されるのです。『芸術と政治をめぐる対話』
このことばから、真っ先に思い浮んだのは、
古池や蛙飛び込む水の音 松尾 芭蕉
でした。一つの作品が世界を変革する、芭蕉のこの句も、まさにそのような句として生まれたのだと思えるのです。
子規は、俳諧大要(岩波文庫)のなかで掲句にふれて、
古池に蛙が飛びこんでキャプンと音のしたのを聞きて芭蕉がしかく詠みしものなり。
とあっさりと述べていますが、子規は同書に収められた『古池の句の弁』という一文では次のように述べ、掲句の価値を、ことばを極めて賞賛しています。
翌々貞享三年、芭蕉は未曾有の一句を得たり。
古池や蛙飛び込む水の音
これなり。この際芭蕉は自ら俳諧の上に大悟せりと感じたるが如し。今まではいかめしき事をいひ、珍しき事を工夫して後に始めて佳句を得べし思ひたる者も、今は日常平凡の事が直に句となることを発明せり。(中略)芭蕉は終に自然の妙を悟りて工夫の卑しきを斥けたるなり。(傍線筆者)
そして、文末に連歌以来の蛙の句を連ねて読者の便に供していますので、いくつか抄出してみます。
手をついで歌申し上ぐる蛙かな 宗鑑
苗代をせむる蛙のいくさかな 未満
鶯と蛙の声や歌あはせ 親重
呪ひの歌か蛇見て鳴くかへる 氏利
赤蛙いくさにたのめ平家蟹 一雪
ここにでてくるのは、蛙の声であり、蛙合戦であり、蛇との絡みあいといったいわば固定観念ばかりです。それに引き換え、芭蕉の句は、蛙そのものを詠んでいます。
もちろん列挙した人達も蛙を見て、その声を聞いたことでしょう。それでは、この人達と芭蕉とでは、どこが違うのでしょうか。子規は、芭蕉が「工夫の卑しきを斥けた」と述べています。
裏を返せば、工夫する必要がないほど、自然はすばらしいということを認めたということでしょう。自然を尊敬する態度といってもいいかも知れません。
そのことに気づいた芭蕉は、それを「造化に帰れ」ということばに残し、子規は、「写生」を唱導することで、実践したといえるのではないでしょうか。
四十、よこはま・たそがれ
俳の森にいきなり演歌のタイトルがでてきたので、びっくりされたかも知れませんが、俳句固有の方法である提示ということを、山口洋子さんの歌詞を参考にして、真面目に勉強してみたいと思います。
よこはま たそがれ ホテルの小部屋
この歌の出だしです。地名、時間の特定、そして、とあるホテルの一室へと聞き手を誘います。この手法は、聞き手を自然に歌詞の世界へ導く手法といえましょう。
もうお気づきかもしれませんが、この歌のタイトルも「横浜の黄昏」ではなく、「よこはま・たそがれ」です。
くちづけ 残り香 たばこの煙
次の歌詞は、一転して室内の様子を描いています。ここで注目したいのは、触覚、嗅覚、視覚が動員されていることです。このことで、イメージの単調さを免れているように思われます。さらには、
ブルース 口笛 女の涙
と、物語風の心象風景が続きます。そして、それまで抑えに抑えていたものが、一気に噴出すように、
あの人は 行って 行って しまった
あの人は 行って 行って しまった
もう帰らない
と激情の迸りとなって現れます。この歌詞で作者がもっともいいたかったことは、「もう帰らない」ではないかと思われます。
この歌詞は、俳句の提示の方法と極めてよく似た構成になっています。唯一異なるのは、最後の感情表出の仕方だけです。俳句では一般的には、このような直接的表現は用いず、すべて季語に託すことで、自己の心情を相手に伝えようとします。
試みに、この豊穣な歌詞の世界のほんの一部を、俳句で再現してみました。一番、二番、三番の歌詞をできるだけ使わせていただきました。
たそがれのホテルの小部屋鳥雲に
ゆきずりの気まぐれ男居待月
海鳴りや一羽のかもめ灯台に(無季)
いかがでしょうか。追加したことばは、季語の、〈鳥雲に〉と〈居待月〉だけです。三句目は、もし鷗が冬の季語であれば、このままで俳句として成立するでしょう。
この歌は、一九七一年に大ヒットしましたが、歌詞のすばらしさ、歌手の歌唱力に加えて、その理由の一つとして、聞き手の参加ということがあるように思います。
ぽつんぽつんと置石のように置かれたことばに、聞き手が自分の思いを重ねていくのです。つまり、そこには聞き手の数だけのよこはま・たそがれが生まれていたのではないでしょうか。
四十一、ゴールイメージ
まずは、散歩日記から、
相馬南公民館横の早苗田に降りていた胸黒が一斉に飛発ち、一巡りして降りてきた。その一糸乱れぬ群の動きのすばらしさ。まるでバレエを見ているようである。そういえば、長い脚をつつとはこんで、胸をそらして立ち止まるのもどこかバレリーナを思わせる。胸黒が動くたびに、動いた分だけの水脈ができる。
こんな光景を目の当たりにすると、鳥好きでなくても息を飲むのではないでしょうか。胸黒は、文字通り胸の辺りが黒い千鳥の仲間です。その俊敏な動き、すっきりとした立ち姿には惚れ惚れします。
この胸黒(千鳥)の躍動感を句にしたい。早苗田(四音)あるいは、早苗、植田(三音)は外せません。季重りを考慮すると旅の千鳥(六音)とするのが妥当でしょう。
そうすると残りは、七音から八音。助詞を除くと五音程度で胸黒の動作の核心を言いとめなければなりません。それが共振語です。しかし、共振語は、感動の核心、ものごとの本質とでもいうべきもので、そう簡単に手に入るわけではありません。
以下の句は、いずれも習作で、ゴールイメージには、程遠いものです。ゴールは、自分自身が分かっています。感動の核心を探りあて、それに適切なことばを与えることができたとき、句は完成に近づくでしょう。しかし、それは遠い道程です。
早苗田に旅の千鳥の影速し 金子つとむ
植田暮る旅の千鳥の声いれて 〃
植田はや旅の千鳥の影止む 〃
中村草田男は、俳句入門(みすず書房)のなかで、
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 原 石鼎
を評して、次のように述べています。
月の光で、神々しくなった花影が「さあ遠慮なくお踏みください」といってでもいるように、あまりにも雑作なく踏めるところにあったので、うれしいと同時に、かえって、すぐには踏めなかったのです。(中略)
むずかしいことばを無理につかってはいけませんが、対象の姿とそれの伴っている感じを如実に表現するためには、よほど吟味して言葉をえらんでこなければならないことと、つかった言葉の相互間に調和がとれていなければならないことが、この句をよく味わってみると、よくわかると思います。(太字筆者)
太字部は、先にわたしが述べた千鳥の句のゴールイメージとおなじものです。このゴールイメージに近づける作業が推敲であり、確かな認識を得るためのプロセスでもあるのです。
四十二、シュールな瞬間
英語では俳句ができる瞬間を、ハイク・モメント(俳句的瞬間)と呼ぶそうですが(「海を越えた俳句」佐藤和夫著、丸善ライブラリー)、俳句では一瞬の感覚を切り取るとき、そこにはシュールな感覚が生まれることもあるようです。
例えば、松瀬青々の句に
日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり 松瀬 青々
というのがありますが、蝶の触れ合う音とは、いったいどんな音でしょうか。
また、雲の峰の師系でもある風の細見綾子さんには、
蕗の薹食べる空気を汚さずに 細見 綾子
があり、食べることで空気を汚すという感覚が、やはり常人離れしているように思います。
他にも、
行く春や鳥啼き魚の目は泪 松尾 芭蕉
閑さや岩にしみ入る蝉の声 〃
などがあります。
わたしも以前に、
とんぼうのじつと時間の外にゐる 金子つとむ
と詠んだことがありますが、そのときわたしは明らかに、通常の時間とは別の時間の流れを感じていました。蜻蛉が、わたしたちの時間の外にゐるという感じです。
ですから、わたしは、これらの句は、誇張やレトリックではなく、まさに、俳句的瞬間を一句に閉じ込めたものと理解しているのです。
青々さんの蝶の触れ合う音とは、乱舞する蝶の羽の触れ合う音ではないかと思われます。それは日盛りを生き抜くたくましい羽音かも知れません。
また、綾子さんの句は、蕗の薹のいのちを頂くという思いがこのような表現となって結晶したのでしょう。
芭蕉さんの句は、理屈ぬきで思わず肯ってしまうほどの強さをもっています。
このように、いのちの営みに見入る眼が、見えるはずのないものを見、聞こえるはずのない音を聞いたとしても、少しも不思議ではありません。
俳句では、そんなあえかな一瞬の感覚を、捕捉することもできるのです。
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
この句について草田男は次のように自解しています。
冬の水は恐ろしいほどに澄み切って、罪こそ写しませんが、まさに「浄玻璃の鏡」となって、裸木の小枝の一本一本にいたるまで写し取っているのです。その明澄さと厳粛さとはどうしても「欺かず」という言葉でなければ表現できません。(俳句入門、みすず書房)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?