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俳の森-俳論風エッセイ第25週

百六十九、俳句のことば

俳句も詩であるなら、俳句のことばも詩のことばといっていいでしょう。ところで、初めから詩のことばとそうでないことばがあるのでしょうか。それを使えば何でも詩になるような魔法のようなことばがあるのでしょうか。

わたしは、詩のことばという特別なことばがあるのではなく、その詩が優れていればいるほど、ことばは詩のことばになっているのだと考えています。絵本画家の茂田井茂は、こんなことばを残しています。(太字筆者)
雨の降る日は、
襖や壁間の絵や字を眺めたり、
向いの山を眺めたりしていると、
鳥がさも遠くへいくような飛びかたでとんでいく。

また、八木重吉にこんな詩があります。
素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう
また、小島寅雄さんの歌集(良寛と七十年、考古堂)の中に、次の歌を見つけました。
ひだまりにころがっているいしころに春がきているようなきがする

 これらの作品に共通しているのは、作者が普段使っていることばで自分の心情を吐露しているということです。余所行きでない普段使いのことばだからこそ、作者の心情がことばに乗り移っているのではないかと思われます。
これらのことばは、みな詩のことばになっているとわたしは思います。何故なら、傍線を引いた箇所まで読み進むと、ぐっと胸に迫るものを覚えるからです。
そして、はるかな想いに誘われるのです。それは、一言でいえば、人というものの哀しさのようなものかもしれません。普段は見えない、ひとの心の奥底にあるものに触れた感じといったらいいでしょうか。

随分昔に、わたしもこんな詩を書いていました。
耳元を過ぎる風に
忘れていたはずのあの人の声を聞きました
きっと 思い出のなかから
秋風は吹いてきたのでしょう
だれにでも分かる平易なことばが詩のことばになる、いやむしろ平易なことばだからこそ詩のことばになるのではないでしょうか。
チューリップ喜びだけを持ってゐる    細見 綾子


百七十、再び、いい句とは何か

俳句は十七音ですから、少し慣れてくれば、ゲーム感覚でつくることも可能でしょう。そうして、ことばの面白さに目覚めていくことはそれなりに意味のあることではないかと思います。
また、句会で出される題詠では、経験が少なければ想像で詠んだりもします。一方では、自分詩、あるいは自分史として、自己に忠実に自分の感動のみを詠みあげていくこともできます。

どんな詠まれ方であれ、わたし自身は、作者の感動の見える句がいい句なのではないかと考えています。銘々が自分の好きな句を二つ三つあげてみれば、そのことはたちどころに納得されるのではないでしょうか。
一句をあげつらえば切りがないほど、いろいろと批評することはできます。例えば、季語がない、季語が動く、季重り、句跨り、破調、文法的間違い云々。
しかし、いちばん大切なのは、感動が伝わってくるか否かということではないかと思うのです。
感動が見えるというのは、人として、一読者として、作者の感動に共感できるということです。それは生きていることの喜怒哀楽を共に味わうことでもあります。
そして、自戒を込めて思うのです。
・ 簡単にできるからといって、感動のない句を作ってはいないだろうか。
・ 逆にあまりの感動のために、ひとりよがりの独善的な句を作ってはいないだろうか。
「感動が見える」を分解すると、「感動」と「見える」となります。感動は、自分の感動ですし、見えるは、読者に分かるような表現の工夫ということになりましょう。

客観的表現をするのは、相手に伝わるようにとの思いからでしょう。主観的表現をするのは、それが自分の感動の止むに止まれぬ正直な表現だからでしょう。
・ 客観的に描写しながら、しっかりと感動を盛り込む。
・ 主観的に表現しながら、相手に伝わるように工夫する。
俳句表現は、この両者の間でいつも揺れているように思われます。

ことばを通して、見ず知らずの人の思いに共感できるということが、文芸の持つ最大の喜びではないでしょうか。
俳句の器に盛るべきものは、突き詰めていえば感動だけなのではないかと思われます。それを他人にも見えるように盛ることが、俳句の難しさなのだといえましょう。
たった十七音だけに、ことばの鍛錬なしには一歩も先へ進むことができません。それが俳句の難しさであり、面白さでもあるのではないでしょうか。
鶏頭を三尺離れもの思ふ         細見 綾子


百七十一、「いまここ」で見つけた喜びの歌

一日のうちでどれ位「いまここ」に意識を集中しているかと問われれば、心もとない気がします。何かを考え出すと、わたしたちの心は自在に飛びまわってしまうからです。ですから、何か目的をもって「いまここ」に意識を集中させる必要があるといえましょう。
この原稿はパソコンで書いていますが、こうしてパソコンに向っている間、少なくとは私の意識は、次々に現れてくる文字を追い、次の文章を考えることに費やされているといえます。
わたしたちが吟行にいって、手帳を片手に俳句をものしようと花の名前を尋ねあったり、神社の由緒書を眺めたり、鳥声に耳を傾けたりするとき、わたしたちは「いまここ」にいるといっていいのではないでしょうか。そう考えると、「いまここ」にいることは、むしろ特別なことのように思えてしまうのです。

一句を捻ろうと思って、眼前の景物に意識を集中しだすと、万物のいのちのいとなみの気配を感じ取ることができます。それはやがて、万物といっしょに自分が生きているという実感となって現れてくるでしょう。
「いまここ」は常に流動しています。
雲は流れゆき、光は移ろい、鳥影が空をゆくのはほんのひとときのことです。
そのなかから何かしら感興を覚えて一句をなせば、出来上がった句は作者と万物との交感の結果といえましょう。
万象のなかからその景が選ばれ、交感の証として句意が定着したのです。その一句には、既に作者がいるといっていいのではないでしょうか。

物はこちらが見ようとしたとき、初めて見えてきます。俳句を作ろうとするだけで、目がみひらき、物が飛びこんでくるのです。良い俳句ができたかどうかよりも、そうやって「いまここ」を生きる感じを味わうことの方が大切なことかもしれません。そこには、何かしら歓びの種が落ちているものだからです。
春から夏にかけて、草木は驚異的なスピードで開花し、成長し、太陽の恵みを存分に吸収します。鶫や尉鶲が北へ帰ると、代わりに南から燕や葭切がやってきます。早苗田には、遠くフィージー島の辺りから日本を経由して、アラスカ方面へ向う胸黒(千鳥の一種)の群れが、一週間ほど滞在します。まるで、全てが走っているようです。

俳句をしていると大げさでなく、毎日が新しいと実感することができます。それは、昨日ではない今日、今日ではない明日、いつも「いまここ」にわたしたちがいるからです。俳句は「いまここ」で見つけた喜びの歌なのではないでしょうか。

百七十二、自分を写しとる写生

俳句の初心者に対して、俳句は五七五で季語一つ入れてつくると教えますが、これは正しいのでしょうか。これではただ俳句の形を言っているにすぎません。
もし仮に、「俳句で何を表現したいのですか。何故俳句を選ばれたのですか。」と問うたとしたら、どういうことになるでしょうか。

五七五で、季語一つというのは、知的なゲームのルールのようにも聞こえます。実際、十二音のフレーズに、よく合う季語を当てはめてみるといったゲームもできるわけです。また、江戸時代には、クイズ仕立てで付句を競い合う、雑俳と呼ばれる懸賞文芸が行なわれていました。
(前句)障子に穴を明くるいたづら
(付句)這えば立て立てば走れと親ごころ

俳句とは異なりますが、このようなことば遊びもまた楽しいことには違いないのです。

ところで、もし後者のように問われたら、俳句って何だか難しそうと大半が帰ってしまうかもしれません。それでも、そこには、大事なメッセージが含まれています。「俳句は自分の思いを伝える表現である」ということです。
わたしは長い間、写生とは自分を感動させた対象を写し取ることだと考えていました。けれども、最近になってそれは少し違うのではないかと気づいたのです。自然から感動を受け取るということは、それを受け止めた自分がいたということです。写生をすることは、それを受け止めた自分を写しとることだと気づいたのです。
自然が変化するように、わたしたちも変わっていきます。わたしたちが作り続けている俳句には、その時々のわたしたちがいるのではないでしょうか。それ故、自分詩は、自分史にもなりうるのだと思います。

高野素十は、俳句を鑑賞する際に、次の二つのことを大切にしたといいます。(素十の研究、亀井新一著、新樹社)。
素十が雑詠句評会において他の句について意見をいう場合、はっきりとした視点を持っている。「外界から纏まった景色、感じというものが出て来るのを待っている。」ことがまず第一なのである。次にそのことがその人固有のことばとして、つまり「使うだけの心の要求がある」ことばとして表現されているかということが第二である。つまり、句を作る者の態度を相手の句にも要求している。(後略)

素十が「待っている」のは、感動といってもいいでしょう。それを表現するに相応しいことばが、「こころの要求のあることば」ではないかと思われます。
そのように詠むことで初めて、写生句は自分を写し取ったことになるではないでしょうか。


百七十三、自然の真と文芸上の真

水原秋桜子に〈「自然の真」と「文芸上の真」〉という有名な論文があります。秋桜子が虚子の膝下を離れ、昭和六年「馬酔木」十月号に発表したものです。日本の名随筆 俳句、金子兜太編、作品社所収の当論文より、秋桜子の主張を引用してみます。

自然の真というものは、厳格に言えば科学に属することである。しかも文芸の題材となるべき自然の真を追求するには決して天才を俟たない。必要とするところは少量の根気のみである。(中略)
僕は「自然の真」というものは、文芸の上では、まだ掘り出されたままの鉱(あらがね)であると思う。鉱が絶対に尊いなら、つまりそれは自然の模倣が尊いということになるのだ。芸術とはそんなものではない。(中略)
「文芸上の真」は、言うまでもなく文学において絶対に必要なものである。「自然の真」が心の据え方の確かな芸術家の頭脳によって調理されさらに技巧によって練られたところのものである。しかして、頭脳の調理ということばのなかには、もちろん想像力及び創作力の働きが十分に認められているのである。従って「文芸上の真」には、作者の個性が光り輝いておらねばならぬ。(太字筆者)
端的にいえば、「自然の真」は鉱に過ぎず、そこに芸術家の加工が加わって「文芸上の真」になるのだということでしょう。傍線部は、まるで人間讃歌のようにも受け取れ、一種のアジテーションのように響きます。

これに対し素十は、次のように述べています。高野素十とふるさと茨城(小川背泳子著、新潟雪書房)より。
私の句は「草の芽俳句」だとか「一木一草俳句」だとか馬鹿にされよったんですが、私はそう云われながら自分で充分満足しておる。(中略)
一木一草を馬鹿にしている人間、そういうものは向うが私を馬鹿にしていると同じように私は軽蔑している。「一木一草」というものを私は死ぬまで大切にして機会あれば俳句に詠んでいきたい、そう思っている。(後略)」

ここにあるのは、自然観の違いであり、俳句という短詩を読むための共感の母胎の違いであると考えられます。わたしは素十の句は、秋桜子のいうような鉱ではなく、一木一草のなかに自然の実相、理を見据えた句ばかりだと思って感銘を受けるのですが、そう受け止められない人がいるのも、厳然たる事実なのです。
それ故、以下の句はいまでも賛否両論のうちにあるといっていいのではないでしょうか。
甘草の芽のとびとびの一ならび      高野 素十
おほばこの芽や大小の葉三つ       〃
風吹いて蝶々はやくとびにけり      〃

百七十四、共感の母胎の変化

その眼、俳人につき(青木亮人著、邑書林)に、中村草田男の万緑の句(昭和十四年作。『火の鳥』所収)について論じた件があります。
たとえば、俳句に深く関わった―というより厄介な世界に気付いてしまったというか―人であれば、次の句を山本健吉(有名な俳句評論家)のように「生命讃歌」とおよそ読めないことに気付くだろう。
万緑の中や吾子の歯生え初むる      中村草田男
この句からはむしろ居心地の悪い、人間の意思と無関係に運行する自然=生命の恐るべき力を、かすかな畏怖とともに見つめる草田男のまなざしの方が気にかかるはずである。

ここで、山本健吉の「生命讃歌」とあるのは、以下の記述を指しているものと思われます。(新版現代俳句 下、山本健吉著、角川選書)
『万緑の中や』・・・粗々しい力強いデッサンである。そして、単刀直入に『吾子の歯生えそむる』と叙述して、事物の核心に飛び込む。万緑の皓歯との対照・・・・いずれも萌え出るもの、熾んなるもの、創り主の祝福のもとにあるもの、しかも鮮やかな色彩の対比。翠したたる万象の中に、これは仄かにも微かな嬰児の口中の一現象がマッチする。生命力の讃歌であり、勝利と歓喜の歌である。

わたしが驚いたのは、青木氏のような受け止め方もあるという事実です。正反対とまではいかないものの、讃歌と畏怖との間には大きな隔たりがあるように思われます。
青木氏の「居心地の悪い、人間の意思と無関係に運行する自然」という言い方には、自然との距離感を感じてしまいます。それは、現代人の自然との関わり方に起因しているのでしょうか。

レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」(佑学社)のなかで、次のように述べています。
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
わたしたちは、自然との交感のなかから季語を育ててきました。いま、既にこの交感が希薄になっているとしたら、わたしたちの俳句はどこへ行くのでしょうか。

百七十五、選句の役割

一句は作者と読者に共通する自然観やことばのもつ共通のイメージなどを介して、読者の共感を呼ぶものと思われます。俳句で作者が手渡すことができるのは、たった十七音のことばの配列に過ぎません。
作者は、自分が感動した場面やキーワードを提示するだけで、自分が何に感動したのか、直接明かすことはないのです。それはそのまま謎として作者に手渡されます。

極端にいえば、俳句は一つの問いということもできましょう。それは、
「わたしの感動を受け止めてもらえますか。」
という問いです。これに対して、選句は何かといえば、
「あなたの感動をわたしは受け止めました。」
という答えなのではないでしょうか。
問いを発した作者が、心配と不安のなかにいるとすれば、選句はそれに対して安心を与えるものといえましょう。句会での名乗りの昂揚感は、晴がましさというより、この不安から解かれることの開放感なのかもしれません。

さて、虚子のことばに、「選は創作なり」という有名なことばがあります。それに関して、秋尾敏氏は、平成十二年三月~四月に読売新聞日曜版に連載された『生き残る俳句』という文章のなかで、次のように述べています。
だが選句という行為は、個人の言葉を外部の言葉につなぐ通路となって、人の内面を形成する力となってきた。『汀女句集』の序に、虚子の「選は創作なり」という言葉がある。それは、虚子が汀女の句の創造に荷担したという意味ではない。虚子は選句という行為を通して、中村汀女という俳人を作り上げたと言っているのである。
選句には、異なるふたつの価値観が同居している。ひとつはその句が俳句と呼ぶにふさわしい姿をしているかということであり、もうひとつはその表現が独自の輝きを持っているかということである。一方で一般性を問いながら、他方で特殊性を問うというプロセスの中に、個人の言葉と社会の言葉との間合いを計り合う選句の本質がある。(太字筆者)

選句にある二つの価値観とは、伝えるための形と、表現の独自性ということでしょう。形については、主宰の句形論を参考に自分自身でも充分判断できるでしょう。
しかし、表現の独自性は、自分ではなかなか気付かないものです。正直に自分を表現していくことで、次第に姿を現してくるものと思われます。
運良く自分の表現というものを探りあてることができれば、これに勝る喜びはないのではないでしょうか。わたしたちの記憶に残る名句の数々は、何れもその人らしい独自の輝きを放っているように思われます。


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