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俳の森-俳論風エッセイ第58週

四百、映像詩

作者の視点再現により、感動の場面の再現を試みたものが俳句だと考えると、俳句は絵画というより寧ろ映像に近いものだといえるでしょう。視点の動きには、僅かながら時間が含まれます。そして、あるモノを示すことばには、そのモノの体積や容積があり、動詞には自ずから時間的要素が含まれているからです。

また、俳句で花といえば、眼前に花が咲いていることになるのは、その花は作者によってその存在が認められた証としてそこにあるからだといえましょう。視点の再現を通して、作者の立ち位置は自ずから定まってくるといってもいいかもしれません。例えば
初蝶来何色と問ふ黄と応ふ         高浜 虚子
という句では、視点は初蝶→問うた人→答えた人という風に移っていきます。その僅かな時間のなかを、初蝶が通り過ぎていくのです。この句などは、さながら短いビデオ映像のような趣があります。
ここから見えてくるのは、作者は仲間たちと一緒に居て、そこに蝶がやってきたということでしょう。初蝶に一喜一憂するのは俳人、とすると吟行の一場面かもしれません。
視点の動きに時間が伴うように、動詞は主体の動きを表し、その動作には時間が伴います。先程ビデオ映像のようだといったのは、まさにそのことです。もちろん動詞の中には、そのものの状態を表すものもあります。たとえば、
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る         山口 誓子
のような句では、ビデオ映像のような動きは感じられないでしょう。しかし、鉄鎖の浸るところは川面ですから、夏の陽射しを返す水面のゆらめきを想像するのは、むしろ容易なことではないでしょうか。

時間のついでに、俳句の時制について考えてみます。俳句が殆ど現在形で表現される理由は何でしょうか。現在形というのは、『今ここ』ということです。それは別のことばでいえば、『いのちの場所』といってもいいのではないでしょうか。何故なら、いのちはいつも『今ここ』にしかないからです。ですから作品をよむとき、私たちは作品のなかに生きている作者に出会うことができるのです。それも、その句を作ったときの作者にいつでも会えるのです。

私たちは、初蝶との出会いにときめく虚子さんに出会い、夏の河の照りに佇む誓子さんにも出会うことができます。上田五千石さんは、「生きることをうたう」といいました。俳句は『今ここ』に生きる私たちの、躍動する『いのちの詩』なのではないでしょうか。
何かに感動したとき、誰かに伝えたいと思うのは、感動がまさに生きる喜びだからでしょう。俳句は、その喜びを伝え合う文芸なのだと思うのです。

四百一、視点と語順

俳句が作者の視点の再現ならば、作句に当たっては、視点に即した語順というものがあるのではないかと思われます。拙句を通して、このことについて考えてみたいと思います。

市内の東漸寺へ行ったときのことです。茅葺の山門を抜けると、目隠し銀杏と呼ばれる銀杏の巨木があり、その傍らに、私の背丈程の古い石碑がひっそりと立っていました。何の石碑が判読はできませんでしたが、裏に回ると、上の方に蓑虫が一つ、ちょんと忘れられたかのように付いていたのです。その時、珍しいものを見つけたと思って、少し興奮したのでした。

後で、この時の情景を詠んだのが、次の句です。
鬼の子が石碑の裏に東漸寺         金子つとむ
しかし、東漸寺は馴染みが薄いと思われたので、すぐに
鬼の子が石碑の裏に札所寺         〃
としました。新四国相馬霊場八十八ヶ所第七〇・七一番札所でもあるからです。しかし、何となくしっくりしないものが、わだかまりのように残ったのです。
そこで、その理由を考えてみました。視点の再現というとき、そこには、当然時間の経過が含まれるでしょう。その時間経過を考慮して、自分の中に、二人の作者を想定してみたのです。体験中の作者と体験後の作者です。

掲句は明らかに、体験後の作者が書いたものです。何故なら、石碑の裏に鬼の子(蓑虫)がいるというのは、体験後の作者でなければ、知り得ない事実だからです。体験後の作者だからこそ、「鬼の子が」と書き出すことができたのです。そこで、これを体験中の作者の視点に置き換えてみたのが、次の句です
碑のうらに鬼の子札所寺          〃
前の句が、やや説明調なのに対し、後の方は、上五中七の表現が、作者が体験した通りの語順となり、読者もまた石碑の映像をまず描き、そして裏に回って、鬼の子を発見することができるのではないでしょうか。この語順は、句に臨場感をもたらすように思われます。それは、読者が追体験しやすいように配慮されているからです。

視点の再現とは、つまるところ、読者に追体験の場を提供するということではないかと思われます。写生とは、自分が感動した場を再現するのに、自分の視点の動きをできるだけ忠実に再現することで、その場にいた自分自身をも再現することではないでしょうか。そうしてはじめて、自ずから作者の立ち位置が明確になり、読者は作者の視点を共有することではじめて、句の世界に共感を覚えるのではないでしょうか。

四百二、リアリティとオリジナリティ

いい俳句の条件は、オリジナリティとリアリティだといわれれば、多くの方が諾うのではないでしょうか。記憶に残る句を挙げてみると、立派にその条件をクリアしていることが分かります。例えば、次のような作品です。
蕗の薹食べる空気を汚さずに        細見 綾子
方丈の大庇より春の蝶           高野 素十
立春の米こぼれをり葛西橋         石田 波郷
冬の水一枝の影も欺かず          中村草田男
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半

世に残る名画の多くが強烈な個性を放つように、これらの作品からも作者が見えてきます。私たちは作品を通して、あるいは作者の眼を通して、新たな世界に触れることができます。

ところで、どうやったら、このような作品を作ることができるのでしょうか。私自身まだ手探りですが、そのヒントになるようなことを述べてみたいと思います。
地元で十名程の人と一緒に俳句を学んでいますが、その際、初心者の方に真っ先に話すのは、俳句は『何を詠むか』『どう詠むか』に尽きるということです。前者を作者の感動、後者を表現技術と言い換えることもできます。
それに対し、唯一私が助言できるのは、後者の表現技術だけなのです。感動は、作者自身のものですから、誰にも教えることはできません。しかし、その表現方法なら、多少はお手伝いできるということなのです。

制限を設けず自分の詠みたいもの詠むというのは、表現の自由ということです。極論すれば、表現手段は俳句じゃなくてもいいわけです。短歌でも詩でも絵画でも・・・。そのなかで、たまたま俳句を選んだに過ぎないのです。オリジナリティということを考えたとき、私は、自分の詠みたいものに徹頭徹尾正直であることだと思っています。ゴッホが明るい光を求めて、南フランスに向かい、独特のタッチを発見したように、自分の詠みたいものを探していくなかで、やがて花ひらくときが来るのだと思います。ゴッホ風の絵を描いてもつまらないのではないでしょうか。

ことばも普段使いのことばでいっこうに構いません。余所行きのことばを使う必要など全くないのです。その方が、自分自身を表現するのに、かえって好都合だからです。一茶の晩年の作品群は、その証といえましょう。
やれ打つな蠅が手をすり足をする      小林 一茶
我と来て遊べや親のない雀         〃

オリジナリティもリアリティも実は同じ泉から溢れてくると私は思っています。それは、作者の感動の泉です。自分自身の感動に忠実であること、俳句はそれに尽きるのではないでしょうか。

四百三、ネーミングと季語

以前に、へくそかずらとはきだめぎく(屁糞葛と掃溜め菊)という童話を書いたことがあります。その時、気になって命名者を調べてみました。ヘクソカズラは万葉の時代からクソカズラとして知られていたようですが、ハキダメギクというのは、牧野富太郎博士の命名と聞いてとてもびっくりしたのを覚えています。

元々私がこの童話を書くに至った動機は、共にあんまりなネーミングに怒りのようなものさえ覚えたからです。確かにヘクソカズラの独特な臭いも、ハキダメギクが実際掃溜めの近くでよく見かけるというのも、その属性の一つかもしれません。しかし、だからといってそれをわざわざ名前にしなくてもいいのにと思ったのです。
植物学の大家といえば、植物に対する愛情も一入だと思うのですが、いったいどうしたことでしょう。但し、今の私が「あんまりな」と感じる程、当時の人々はそう感じなかったという側面もあるかもしれません。この他にも、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)という棘のある花もあります。

さて、上述のヘクソカズラは、俳句では灸花の副季語となっています。例句もいくつかあって、花の名を面白がったり、悲しんだりしています。
名をへくそかづらとぞいう花盛り      高浜 虚子
花あげてへくそかづらは悲しき名      国松ゆたか

名付けるということは、愛情の現れのように思うのですが、ヘクソカズラやハキダメギク、ママコノシリヌグイなど、命名するだけでも愛情だと感じていたのでしょうか。それとも、単に情より理で命名したのでしょうか。
ところがこれが香木の木犀となると、オレンジの花は金木犀、白い花は銀木犀となります。最大限の賛辞としての金や銀ではなかったと思われるのです。そう思うと、ネーミングというのは、とても人間的な行為だと思われてくるのです。そこには、命名者の偽らざる心情が吐露されているのではないでしょうか。

物の命名と同じように、ある物(又は事)を季語として採録しようとする場合も、その背後には、採録者の偽らざる思いが横たわっているように思います。この思いが、季語に託されているのではないでしょうか。それが、季語の本意・本情ということになりましょう。
ですから、私たちがある季語を使って作句するときは、知らず知らず、採録者の思いに連なっているといえましょう。俳句を詠むことは、季語の情趣を追認することでもあります。そうして、季語が連綿と受け継がれていくことで、俳句という美の系譜が、引き継がれていくのではないでしょうか。

四百四、旅情ということ

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規
子規のこの句を、これまでに何度も取り上げ鑑賞してきましたが、最近になって、この句には旅情といったものが漂っている気がしてきたのです。子規が見た実景かどうかは定かではありませんが、次の二つの句を手がかりに、再びこの句の魅力を探っていきたいと思います。
芋の露連山影を正しうす          飯田 蛇笏
荒海や佐渡によこたふ天の河        松尾 芭蕉

当初私は、子規の句の魅力は、蛇笏句のように前景から後景への鮮やかな場面転換にあると考えていました。「赤蜻蛉」から「筑波に」へ、「芋の露」から「連山」へ、切れてつながる両句の呼吸は、とてもよく似ていると思います。その場面転換は、大きな空間を取り込み、そこへ一気に清澄な秋の空気がなだれ込んでくるのです。

しかし、それだけではありません。子規句を芭蕉句と比べてみると、前景と後景という類似点に加えて、筑波と佐渡という固有名詞の類似があるように思います。それが、作者にとって初めてみる筑波や佐渡であってみれば、自ずから作者の感興がそのことばに乗ってくるのではないでしょうか。
筑波には雲もなく、佐渡には天の河がかかっているのです。これを旅情と呼んでもいいのではないかと思うのです。子規のいう雲もない筑波とは、別のことばでいえば、筑波山そのもの、これまで書物で知っていた筑波山そのものということもできましょう。
ここには、思った通りの筑波山に出会えた喜びが、語られているように思います。五七五の調べに載せて、何度もこの句を唱えてみると、作者の喜びが沸々を湧き上がってくるようです。子規にとってこの句は赤蜻蛉の句というよりも、筑波の句だったのではないかと思える程です。同様に、芭蕉にとっては、天の河の句ではなく佐渡の句だったのかもしれません。

人生を旅と観じた芭蕉にとって、もう二度とまみえることのない佐渡だったように、子規にとっても、いつまた会えるか分からない筑波、それが雲一つなく晴れ上がっているのです。その全容を惜しげもなく見せてくれているのです。土地にまつわる固有名詞を読むことで、芭蕉句も子規句もみごとな挨拶句になっています。一期一会、挨拶、旅情、それらが混然一体となっている、それが子規の句なのではないでしょうか。
赤蜻蛉と筑波、荒海と佐渡、そのあまりの自然さにこれまで見落としていたのですが、このように旅情という観点からみてみると、悠久の自然と対峙する二人の俳人の姿が彷彿としてくるように思われます、

四百五、写生について(1)

写生については、これまで何度も書いたように思いますが、改めて考えてみると肝心なところが抜けていたように思います。思えば子規が写生を唱えた頃と比べ、時代は様変わりしました。今や私たちは、ポケットサイズのパソコンを携帯し、いながらにして様々な情報にアクセスできます。人に会わなくても、電話やメールで用事を済ますこともできます。

しかし、例えばネット上の写真だけで、句作は可能でしょうか。もちろん、子規が写生を言い始めたとき、インターネットはありませんでしたが、画家が現場に赴き、画架を立てて始める写生のように、俳句でも現地・現場を想定していたものと思われます。
これは何も嘱目だけが俳句だといっているわけではありません。実際に俳句は後からでも作れますが、俳句の種はいつでも眼前にあるということです。ですから、俳句のポイントは、まず、
ポイント① 現場で写生する
となりましょう。現場には対象となるものがあります。現場に行けば、視覚だけでなく私たちの五感がひとりでに働きます。そのとき、私たちのすべての知覚が一体となって掴んだものが、ことばとなって現れてきます。

 しかし、いくら現場にいても、ただ、通り過ぎてしまったのでは、俳句の種は見つからないでしょう。画家は五感を働かせ、これは思ってその場所にキャンバスを立てるのです。俳句も同じように、今ここに五感を集中させなければ、これはという場面を見つけ出すことはできないでしょう。私たちは、何か一つ今ここにあるもの注意を向けるだけで、いつでも今ここに立ち戻ることができます。私たちの地球号は、宇宙空間を秒速460mで自転し、秒速30kmで公転しています。五感をここに集中させなければ、季節の変化を見届けることなど、とうていできないでしょう。そのようにして発見された場面が、作者が見つけた立ち位置なのではないでしょうか。ですから、二つ目は、
ポイント➁ 今ここに五感を集中させる です。

さて、三つ目のポイントは、立ち位置から見えた情景をどのように作品にするかということです。本来の写生の目的が絵を描くことなら、俳句の写生もことばによって絵を描くことなのではないでしょうか。
ポイント③ 絵を描くように表現する
となりましょう。確かにいい俳句は、情景がよく見えるものです。絵を描くには、対象をそのままことばで置いていくのです。形の代わりにことばを置くのです。実際、子規は、最初に「赤蜻蛉」と置き、次に雲一つない筑波に目を転じて、「筑波に雲もなかりけり」と続けました。(事項へ)

四百六、写生について(2)

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規
私も初心のうちは、この句の良さがよく分かりませんでした。赤蜻蛉と筑波の間には、かなりの奥行が感じられます。作者はその間にあるものは一切いわず、いきなり雲のない筑波を描出しています。そこに何となく物足りなさを感じていたのかもしれません。しかし、子規は眼前の景のなかから、赤蜻蛉と雲のない筑波の二つだけを選び、それで絵は完成すると確信していたものと思われます。
その理由が季語にあると気付いたのは、随分後のことです。角川俳句大歳時記には、50万とも60万語ともいわれる日本語のなかから、2万弱の季語が採録されています。因みに赤蜻蛉の項目には、秋茜や深山茜など体の赤い蜻蛉の仲間がいくつも採録されています。歳時記の解説を読み、いくつもの例句に接してみると、赤蜻蛉のもっている詩情のようなものが朧げに見えてきます。それは先人たちの赤蜻蛉に対する思いそのものともいえましょう。

さらに、読者に実体験があれば、赤蜻蛉ということばは、単なる自然物としての名称を超えて、人々を様々な思いに誘ったり、様々な景物を想起させる縁ともなりましょう。赤蜻蛉を季語として据えることは、一句のなかに赤蜻蛉のもつ詩情を漲らせることだったのです。赤蜻蛉から読者が想像する秋の景色は、作者が配置しなくても、季語が勝手に埋めてくれるというわけです。そこで、ポイント④は、
ポイント④ 季語を信頼し季語に任せる
となりましょう。子規が、赤蜻蛉と筑波だけで絵は完成すると確信したのは、季語の働きを熟知していたからに他なりません。掲句は、季語の雄弁さに支えられていたのです。

しかし、ことばで絵を描いただけで、どうして読者の共感を得ることができるのでしょうか。最後にその秘密を探ってみたいと思います。掲句には、子規の想いのようなことばは殆ど見当たりません。敢ていえば、筑波に雲もの、助詞「も」くらいでしょうか。しかし、読者は、掲句の世界に遊ぶことができます。それは、何故なのでしょう。
読者が俳句を通して、描かれた絵に見入るとき、読者はひとりでに作者の視点を獲得することになります。我が主語の俳句の詩形は、作者と読者の入れ替えを容易にしています。読者は赤蜻蛉という季語を契機として作品の世界にはいり、作者の視点をわがものとするわけです。このとき読者は、作者に成り代わって句の世界を堪能することになります。これが、俳句における共感の構造なのです。

俳句という短詩では、季語の実感が共感の母胎として機能しているように思われます。それだけに、自然破壊によりこの実感が薄れてくると、俳句はどこまでも漂流し出すのではないかと危惧されるのです。



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