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俳の森-俳論風エッセイ第59週

四百七、 踊子の季語論

づかづかと来て踊子にささやける      高野 素十
を使って、季語について論じてみたいと思います。踊子は普通名詞ですから、踊子が季語だと知らない人にとっては、この句の情景をつぶさに想像することは、おそらく不可能でしょう。踊子といえば、映画の伊豆の踊子や、レビューの踊子、あるいは、ドガの描いた踊子などが浮かんでくるかもしれません。
しかし、この句の踊子はそうではありません。俳句で踊といえば盆踊のことですし、踊子といえばその踊り手のことなのです。そのことを理解すると、この句の情景が、まるで映画のワンシーンのように立ち上がってきます。

その場面には、どんな舞台装置や小道具などが配置されているでしょうか。広場の中央に櫓が設えてあります。その櫓を取り巻くように、踊の輪が幾重にも広がっています。回りには、屋台が並び、盆唄が響き、人々の歓声でにぎわっていることでしょう。提灯に灯が入り、闇が夜空を覆っています。さらに言えば、盆踊は、元々盆に向えた祖霊を供養するためのものであり、死者と生者の魂が交流する場でもあります。そのようななかに、掲句の場面を置いてみると、その生々しさ、艶めかしさが一層際立ってくるように思われます。

さて、掲句のように、季語とその叙述があるだけで、一句は成立するのです。その理由は、季語には場面を引き寄せる力があるからです。すでに見たように、季語の踊子は、普通名詞でありながら、意味を限定されています。更に、初秋という季節を負わされているのです。このことが、季語からすっと場面が立ち上がる理由なのです。ですから、季語が内包しているものを、改めて説明する必要はありません。
それでは、掲句の踊子が普通名詞ではなく、季語だとなぜ分かるのでしょう。季語を入れることは俳句の約束であり、掲句には該当するものが踊子しかありません。また、仮に季語が複数あっても、それぞれの季語が引き寄せる場面に混乱がなければ、構わないともいえましょう。ただ、季語一つで場面の構築は十分ですので、普通はそんなことはしないだけです。
逆に踊子を季語として使いたくない場合はどうすればいいのでしょう。そのような場合は、季語として使わなければいいだけです。他の季語を設え、その場面のなかに踊子をおけばいいだけです。はじめから踊子という季語があるわけではありません。季語として使われたとき、初めて季語の踊子となるのです。場面を変えて、ステージの踊子とかドガの踊子などとすれは、それはもはや季語の踊子ではありません。ですから、踊子ということばが使われているだけで、季語だというのはナンセンスなのです。

四百八、作句動機と場の俳句論
 

眼前に広がる景のなかから、季語を一つ見つけて、その在りようを描写するだけで、果たして俳句になるのでしょうか。今回は、作句動機と場の意義について考えてみたいと思います。
 写生を唱えた正岡子規は、初心者に向けた「俳句の初歩」という文章(「俳諧大要」所収、岩波文庫))のなかで、「とにかく予が理屈を捨て自然に入りたるはこの時なり。写実的自然は俳句の大部分にして、即ち俳句の生命なり。」と述べています。彼は、体験的に写生がもたらす妙味を体得していたのでしょう。
ところで、私たちは旅先などで素晴らしいものに出会うと、思わず歓声を上げたり、短いことばを発したりします。それは、自分や同行者に向けて発せられるといってよいでしょう。同行者はもちろん場を共有しています。ですから、単に「凄い」というだけで、何が凄いか分かるわけです。ところで、そのことばが発せられるまでに、私たちの内部では、何が起きているのでしょうか。
 ある場面で、自分の口から思わず漏れ出たことばの出所を探ることは、実はそれほど容易ではありません。それが、単に美しいとか、凄いとかいうのなら未だしも、悲しみや切なさといったものであるときは尚更です。私たちは無意識にことばを発していますが、逆になぜそのことばが選ばれたのか、自分にも不明なのではないでしょうか。
 ずいぶん昔の話ですが、こんな経験があります。夏休みに北海道を一人旅していたときのことです、サロマ湖で夕日をみていたとき、ふいに「悲しくなるほど美しい」ということばが浮かびました。それを学校の文芸誌に紀行文として掲載したところ、友人から「悲しくなるほど美しいって、どういうこと」と問われたのです。私はうまく説明することができませんでした。
 俳句という短い文章で私たちが伝えたいのは、私たちの思いではないかと思います。何かに感動したとき、それを誰かに伝えたいと思うのは自然なことです。もちろん、ただ凄いとか、美しいといっても、現場にいない読者に伝えることはできません。
 写生とは単なる場の描写ではありません。感動を表現するために、場を再現してみせることなのです。ここに大きな壁が立ちはだかります。先程のサロマ湖の夕日でいえば、眼前には他にも様々なものがあります。その場にいるといことは、私たちの五感すべてが働きその場を感受しているということです。五感が働いた結果として、おそらく「悲しくなるほど美しい」ということばが立ち上がってきたのだろうと思います。そのなかで、もっとも関与していたものは何なのか、それを見つけることは、実は容易ではないのです。しかし、写生をしていると、それが、天啓のように訪れる場合があります。感動の生れた場を探究すること、それが写生ではないかと思います。

四百九、季語を感じるとき

ある時、こんなことを考えていました。春の風という季語があり、それを使った俳句から、ほんとうに春の風が吹いてきたら、どんなに素晴らしいことかと・・・。しかし、これは比喩でもなんでもなく、名句と呼ばれてきた俳句の季語は、生きて動いてそこにあるように思われるのです。
たとえば、蕪村の
春風や堤長うして家遠し         与謝 蕪村
を読めば、春風に吹かれながら、堤をてくてくと歩く作者が彷彿としてきます。「家遠し」といいながら、少しも苦にしていないようにも見受けられます。中八の少し間延びしたような音数が、長閑な感じをさらに強めているようです。この長閑さは、なんといっても春風ならではのものではないでしょうか。ここには、まぎれもなく春の風が吹いています。

さて、春風に限らず、わたしたちはよく、季語が主役だとか、季語が働いているなどといって、作品を論評します。それを一言でいえば、季語がまざまざと感じられるということではないでしょうか。春の風ならば、まさしく春風が吹いている、梨の花であれば、まぎれもなく眼前に梨の花が咲いている。すでに第三十七項でご紹介したように、原石鼎に次の句があります。
青天や白き五弁の梨の花         原  石鼎
作者はこの景のような場面で、まさしく梨の花に出会ったのでしょう。見るともなく見ていたものがある時ふと心に留まる。そして、いかにも不思議なものを見るように、それに見惚れてしまうことがあるものです。そんな時、作者は、そのものに出会っているのです。知っていたのに出会えずにいたものに、初めて出会うことができたのです。その感動を確かめるように詠まれたのが、掲句ではないでしょうか。

わたしの敬愛する高野素十さんの句に、
大榾をかえせば裏は一面火        高野 素十
があります。囲炉裏端でしょうか。今ではなかなか経験できない光景ですが、一面火と体言止めしたことで、真っ赤な榾火の映像が眼に焼き付くようです。大榾ですから、木の根っこでもありましょうか。やっと返したところに現われた一面の火なのです。作者の驚きが、下五に凝縮されているようです。そして読者もまた、作者とともにその驚きをともにするのです。

一句を読んですぐにまざまざと景が立ち現れるのは、読者が季語を感じ取ったからだといえましょう。それは、有無をいわさぬ力で、読者の体験に働きかけてきます。読者は、春の風を感じ、梨の花の白さを感じ、そして、一面の榾火に、顔が火照るのさえ感じてしまうのです。

四百十、奇麗な風と青き味

正岡子規に、
六月を奇麗な風の吹くことよ        正岡 子規
という句があります。また、細見綾子には、
そら豆はまことに青き味したり       細見 綾子
という句があります。子規の句には、縁側かどこかに座ってゆったりと風に当たっているような趣があり、奇麗な風ということばには、ふっと口をついででてきたような、素直な驚きが込められているようです。まさに、作句現場でひとりでに生まれたような作品ではないかと思うのです。しかも、奇麗な風というのは、六月という季語があるだけに、すんなりと諾うことができます。なんとなく、雨上がりのような気がするのです。空気の中の塵は雨に流されて、そこを風が渡ってくるのでしょう。目に見えるわけではないけれど、奇麗な風は、まさに作者の実感だったのではないでしょうか。

青き味にも、同様のことがいえるように思います。さっと塩をふってゆで上げたそら豆でしょうか。青き味に添えられた『まことに』という措辞が、いままさにそら豆を食している場面を彷彿とさせます。青き味は、もちろん青臭いという意味ではないでしょう。青き味というのは、理屈では割り切れないことばですが、そういわれてみると、そら豆のあのやさしい色が、まず浮かんでくるのではないでしょうか。恐らく、初物ではないかと思われます。また、青きは、初々しさ、瑞々しさなどをも表現しているように思われるのです。

ところで、以前コピーライターの糸井重里さんの「おいしい生活」というキャッチコピーが、ずいぶん話題になったことがありました。この青き味ということばにも、普通なら繋がるはずのないことばを繋げた、新鮮な驚きがあります。しかし、このようなことばを受け入れる素地は既に私たちのなかにあって、身近なことばでいえば、青春、朱夏、白秋、玄冬などがそれです。玄冬の玄は黒いという意味です。さらに中原中也のサーカスという詩には、茶色い戦争ということばも出てきます。また、季語では、緑の森をわたる風を青嵐と呼んだり、秋風を白風と呼んだりしています。
奇麗な風も、青き味も、おそらく作句現場で、作者の感動が産み落としたことばなのでしょう。それ故自ずから作者の感動が宿り、作者ならではのことばとなっているのです。これらのことばは、いつでもわたしたちを作句現場へと連れて行きます。こういうことばに出会うことで、俳句は永遠のいのちを獲得するのではないでしょうか。わたしたちも無心になって作句の現場に身を置く時、このようなことばに出会う幸運に恵まれるかもしれません。
冬空や地上はいのち濃きところ       金子つとむ

四百十一、感じたことを感じたままに

六月を奇麗な風の吹くことよ        正岡 子規
前回も取り上げた掲句を、こんどは、ことばの生い立ちという観点から考えてみたいと思います。掲句からまず感じ取れるのは、作者の寛いだ雰囲気ではないでしょうか。作者はまず、上五に『六月を』と置いています。このゆったりした出だしから、作者は自宅にいるのではないかと想像できます。あるいは、縁側にでも座っているのでしょうか。

『六月を』は、『六月の中を』、あるいは『六月というこの季節を』というほどの意味でしょうか。作者は、六月という季節を、その中に自分が今身を置いていることをまさに実感しているのです。上五がもし『六月の』であったなら、この実感はやや薄らいでしまうでしょう。何故なら『六月の』は、単に風を修飾するだけだからです。しかし、掲句の風は、六月を吹き渡り我が身にも今吹いているのです。そこには、自然に身を委ね切ったかのような、作者の安らかな心持ちさえ現れているように思われます。

ところで、奇麗な風とはどんな風でしょうか。梅雨の晴間に吹き渡る雨上がりの風でしょうか。塵一つない風のことでしょうか。六月という季語がそんなことを思わせてくれるでしょう。しかし、どうもそれだけではないような気がするのです。というのも、奇麗な風という言い方が尋常ではないからです。風を修飾するのに、その方向や強さ、湿気などをいうことはあっても、奇麗なとはなかなかいわないものだからです。奇麗な風には作者の特別な思いが込められているのではないでしょうか。

敢ていえば、子規は風に吹かれながら、その風が『身も心も浄化してくれるようだ』と感じたのではないでしょうか。その風を『奇麗な風』と言い止めるまでには、いくばくかの時間が必要だったことでしょう。つまり子規は、六月という季節に身を委ね、吹いてくる風をやがて奇麗な風と認識し、そんなこともあるのだという感慨に浸っているのではないでしょうか。その時間経過とともにこの句は詠まれているのではないかと思うのです。

子規が綺麗な風ということばを掴み得たのは、まさしく季節の現場にいたからでしょう。別のいい方をすれば、その現場が、子規をして奇麗な風を得さしめたともいえるのです。それ故、このことばば、読むたびにわたしたちを子規のいた現場へと連れて行くのだと思います。いくら読んでもこの句が色あせないのは、このことばが作句現場から生まれ、その現場と切っても切れない関係にあるからだと思われます。つまり『奇麗な風』には、作句現場がみごとに刻印されているのではないでしょうか。

四百十二、共視ということ

日本語が世界を平和にするこれだけの理由(金谷武洋著、飛鳥新社)によれば、英語は自己主張と対立の言葉であるのに対し、日本語は共感の言葉だといいます。それは、例えば「おはよう」という挨拶によく現れているというのです。金谷氏の文章を少し引用してみましょう。

この表現ができた時代に二人が見ていたのは、おそらく外の景色です。例えば、まだ太陽が上がりきらずに地平線に顔を出した様子を二人が並んで見ているのです。
そして「まだ朝早い」という状況に二人が心をふるわせて、「こんなに早いんですねえ」と心を合わせているのが「おはよう」という表現となりました。別の言葉で言うと、二人はそこで「共感」しているのです。(p21-22)

この二人の関係は、一句を介した作者と読者の関係によく似ていると思います。ただ、決定的に異なるのは、二人が同じ場所にいるわけではないということです。挨拶では二人が同じ場所にいて、おなじ太陽を眺め、おはようということばが発せられました。だからこそ、すぐに共感が成立したのです。
しかし、俳句では、同じ場所にいない読者に「おはよう」と伝えることはできません。仮にそういったとしてもそれだけでは、読者はちんぷんかんぷんでしょう。そこで作者は、まだこんなに早いということを伝えるために、地平線に顔を出した太陽という情景を描いて見せる必要があるのです。

作者の作句動機の一つは、共感を得たいということでしょう。それは、自分が何かに感動したり、心が震えた時に誰かに伝えたいというごく自然な欲求だと思われます。作者はその場面を描くことで、読者を自分の傍らに引き寄せようとするのではないでしょうか。
金谷氏はまた、小説「雪国」の冒頭の文章から、面白い指摘をされています。さらに引用してみましょう。

「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」という日本語の文を読んで読者の頭に浮かぶ情景はなんでしょうか。主人公が汽車に乗っていることは間違いありません。そして読者もまた、その作者の行動を同じ目の高さで追体験していますよね。(中略)これはつまり、「おはようございます」や「寒いね」と同じ「共視」なのです。(p115-116)

俳句とはつまり、「わたしの感動を伝えたくて、その場面を再現してみました。どうぞ、一緒に見てください」ということなのではないでしょうか。

家々や菜の花色の燈をともし        木下 夕爾

四百十三、季語は感嘆詞

初心のころに先輩から、俳句で花といえば桜のこと、梅といえば梅の花のことだといわれ、深くは考えずに、ああそういうものかと受け止めていました。そういう意味では、歳時記はずっと辞書代わりだったような気もします。
梅の花が出たついでにいいますと、その実の方は、青梅とか梅の実といって区別しています。それではなぜ、歳時記では梅といえば梅の花のことなのでしょうか。初心に帰って改めて考えてみたいと思います。

ところで、広辞苑では梅は梅の木のことです。同様に桜といえば桜の木、木槿といえば木槿の木、つまり植物としての樹木全体のことをさしているのです。ところが、俳句では、梅といっただけで梅の花の意味になります。それは、何故なのでしょうか。あるいは、何故そう決めたのでしょうか。

梅は春の季語ですが、晩冬には探梅という季語があります。先人たちは、競って梅を探しに出かけていったものと思われます。春になって、その梅の花が綻びかけた場面を想像してみましょう。庭の梅でも、塀越しに見える近所の梅でもかまいません。今年初めて見る梅の花なら、「あ、梅」といって立ち止まるのではないでしょうか。そのときわたしたちは、梅の花とはいわず、もっと短く梅とだけ発語するのではないでしょうか。わたしは、もともと季語は感嘆詞のように発せられたのではないかと思っています。

季語は感嘆詞と捉えると、梅といっただけで眼前に梅の花が咲き、赤蜻蛉といっただけで、そこに赤蜻蛉が浮かぶ理由がよくわかります。
「梅一輪」といわれれば、一輪の梅の花が目の前に浮かびます。「一輪ほどの暖かさ」といわれれば、「ああ作者は寒さの和らぐ梅の季節を待ちわびていたんだ」と、思わず納得してしまうでしょう。
あるいはまた、「赤蜻蛉」といわれれば、赤蜻蛉の群れが目の前に立ち現れ、「筑波に雲もなかりけり」といわれれば、澄み渡った大気の向こうに、筑波山を望むことができるのです。

梅一輪一輪ほどの暖かさ         服部 嵐雪
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり       正岡 子規

梅にも、赤蜻蛉にも予め作者の感動が宿っています。それが、わたしたちの眼前にも、季語を浮かび上がらせる力になっているように思われます。
季語は感嘆詞、そう思って俳句を味わうと、作者の感動を具に感じることができるのではないでしょうか。また逆に作者の側からいえば、季語を見つけた喜びが、作句の動機だったといえるのです。

四百十四、変調と復調

ある時、ある場面に遭遇した作者が、その場から受け取った感動や感興を詩情と呼ぶことができるでしょう。しかし、詩情はその時点では作者にとって自明のことではなく、むしろ「曰く言い難いもの」「言い尽くせないもの」「よく分からないけれど心惹かれるもの」といったものなのではないでしょうか。
それは、わたしたちが感動の場面で思わず上げる感嘆のことば(「おっ」とか「あっ」とか「すごい」など)に含まれるものを全て言い尽くせないのと同じことです。ですから、その詩情を表現するために一つの俳句を作ろうとするとき、作者はその詩情の正体が何であるか、内省を迫られることになります。全ては分からないけれども、あの時のあの感じを求めて、ことばが、語順が、季語が、韻律が選択されていきます。詩情の内実は、これだと思う一句を得る過程のなかで次第に明らかになっていくのです。

こうして出来上がった作品は、詩情そのものではありません。その詩情が伝わるように、いわば作者が変調したものだといえましょう。ですから、作品の鑑賞とは、作者が変調したものから読者が復調することで初めて成り立つものなのです。手掛かりは、作品だけです。たとえば、
をりとりてはらりとおもきすすきかな   飯田 蛇笏
では、作者が伝えたかったのは、持ち重りする芒ということではないはずです。掲句を鑑賞するには、作者の変調の意図を読み解く必要があります。それは、
一なぜ作者は、かな止めの一句一章を採用したのか
二なぜ、全てひらがな表記にしたのか
三なぜ、周辺の景色を捨象して、作者と芒のみの構成にしたのか
などを探ることだといえましょう。それが出来て初めて、作者の伝えたかった詩情が読者に伝わるのではないでしょうか。

ところで、作者が変調した作品を他人である読者が完全に復調することは可能なのでしょうか。読者に求められるのは、俳句の一文を正しく理解する国語力と、ことばに対する感受性といえましょう。そしてそこには、読者の側の季語の実体験(自然体験)が横たわっているといえましょう。蛍が自然から急速に絶滅しつつある昨今、
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜     桂  信子
をどれだけの人が肌感覚として味わうことができるでしょうか。復調装置には個人差がありますが、それだけではなく、世代差もあるように思われます。先人たちの作品を復調できるかどうかは、季語体験(自然体験)に掛かっているのではないでしょうか。俳句の観点からいえば、自然破壊は既に限界点を超えているように思えてならないのです。(了)

ご愛読、ありがとうございました。


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