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俳の森-俳論風エッセイ第53週

三百六十五、一輪挿しの美

美術館で一枚の風景画の前に立つと、そこは自ずから画家の立ち位置ということになるでしょう。画家は実際の景色の中からその場所を選び、そこにイーゼルを立て、風景を描いたのです。鑑賞者にとって絵を見ることは、作者と同じ位置に身を置き、作者と同じように風景と対話しながら、風景のもつ情趣を感受することに他なりません。
俳句を鑑賞する場合も同様ではないでしょうか。殊に写生句においては、ことばに触発されて、読者の想像力が風景を描きだすのです。そこに立ち現れるのは、まさに作者の立ち位置から見た風景なのです。それが時には静物だったり、人物だったりしても同じことでしょう。

子規の句に筑波山を詠んだものがあります。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規
句の表面には、赤蜻蛉と雲のない筑波だけしかありませんが、私たちは一枚の風景画を容易に描き出すことができるでしょう。その理由は赤蜻蛉ということばにあります。赤蜻蛉は季節の景物ですから、そこから赤蜻蛉に纏わる他の景物を簡単に想像できるのです。例えば、夕日、芒、水辺、秋草などです。それは私たちの記憶の中にある景物たちです。しかし、都会育ちで赤蜻蛉に馴染みが薄い人々にとっては、そう簡単ではないのかも知れません。

掲句は、近景に赤蜻蛉を、遠景に筑波山を配しています。それも雲一つない筑波山です。恐らく筑波嶺とそれに連なる山々もくっきりと見えているのでしょう。遠景といっても、雲の有無が確認できるほどの遠さです。また、〈なかりけり〉と強く詠嘆することで、青く澄み渡った空と大気を想像させてくれます。

とても単純な構成の句ですが、主役は赤蜻蛉です。そしてこの主役の登場によって、季節の舞台が一気に整ってしまうのです。本物の風景画ならば、そこに川が流れ、刈田が広がり、ところどころに芒の銀の穂波が光っているかもしれません。しかし、それを描きだすのは、作者ではなく読者の想像力です。もしこの句に、刈田や芒ということばを織り込んだらどうなるでしょう。いわずもながのことばで景色が賑やかになる代わりに、雑然とした印象は免れないでしょう。

私は、景が見えて景以上のものが伝わるのが優れた俳句だと考えています。それを別のことばでいえば一輪挿しの美しさです。季語の一輪です。赤蜻蛉の赤はいのちのエネルギーであり、きらめく翅は、いのちの息吹なのではないでしょうか。赤蜻蛉ということばは、そんなことまで感じさせてくれるのです。雄大な景色のなかで、赤蜻蛉のいのちがきらめいているのです。

三百六十六、切字〈や〉の働き

上五に切字〈や〉を使った作品を取り上げ、切字の果たす役割を考えてみたいと思います。直に思い浮かぶのは芭蕉さんの句です。
荒海や佐渡に横たふ天の川         松尾 芭蕉
夏草や兵どもが夢の跡           〃
閑さや岩にしみ入る蝉の声         〃
曙や白魚白きこと一寸           〃
古池や蛙飛びこむ水の音          〃

このように並べてみると、上五に置かれたことばには、共通の働きがあることが分かります。それは場面を作る働きです。芝居でいえば、舞台が暗転し、いきなり新しい場面が現れた感じといえばいいでしょうか。ことばの持つイメージ喚起力が、私たちをその場所に連れ去るのです。このように、切れによって後に続く措辞との間に充分な間が置かれると、私たちは存分にその場面を想像することができるのです。

これを作者の側からいえば、その一語の働きを信頼して上五に置いたということもできます。この一語に賭けた作者の期待、あるいは一語に込めた作者の思いは如何ばかりでしょうか。俳句の根底には、ことばに対する信頼とそれに委ねる潔さがあるように思われます。一切の説明なしに置かれたことばは、そのことばのもつすべての情報を如何なく発揮して、その意味を伝えようとするでしょう。私たちがそうするのです。そのことばによって喚起されるイメージのなかに私たちが入ってゆくのです。

そうして、充分に準備が整ったところに、中七・下五の措辞がやってきます。それらは、この舞台の登場人物であったり、夏草の句のように作者のモノローグだったりします。それによって上五は補正され、揺るぎないイメージとして固定化されます。佐渡を遠望できる浜の夏の夜の〈荒海〉となり、古戦場跡の〈夏草〉となるのです。閑けさは岩肌の見える場所にあり、白魚漁の浜の薄暗がりのなかで、一寸の白魚を目の当りにするのです。蛙の登場によって、古池は、春の胎動を秘めた古池となるでしょう。

こうして役者が揃うことで、私たちはそこに繰り広げられる演目を味わうことになります。そこから受け取るものは人様々でしょうが、そこには芭蕉さんが表現したかったもの、伝えたかったものが間違いなくあります。それを一言でいえば、生きとし生けるものがいのちに対して抱く感慨といったものではないかと思います。こうしてみると、切字〈や〉の働きは、場面を現出させることだといっていいように思います。勿論切字がなくても、切れにはそのような力があるのです。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規

三百六十七、物の存在感

私たちは普段の生活のなかで、物をよく見ている訳ではありません。初めて見るものは矯めつ眇めつしますが、少し慣れて来ると一瞥して通り過ぎます。いや一瞥すらしないかもしれない。ですから、何かの拍子に垣根越しに咲いた花などにふと目が留まると、今更のようにびっくりしたりするのです。
足元の野草でもきっとそうでしょう。そんなとき私たちはその物の出会っているのだと思います。物との出会いは、ある種の感動を私たちに与えてくれます。物との出会いが、私たちに俳句を作らせるのかもしれません。芭蕉さんは、それを「物の見えたる光」といいました。

さて、俳句では使える音数の短さから、形容詞や副詞などを一般的に敬遠する傾向があるようです。俳句は名詞だけでも成立しますし、大方は名詞と動詞から成る句が多いように思われます。
物には手触りや存在感が伴いますが、一句の中でその物の存在感が強く感じられると、印象に残る作品が生まれます。ことばのもつイメージ喚起力が、さらにその物の存在に迫っているような作品を鑑賞することで、どうしたらそのような表現が可能なのかを探ってみたいと思います。
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤 夜半
方丈の大庇より春の蝶           高野 素十
滝行者まなこ窪みてもどりけり       小野 寿子

一句目、夜半の作品から感じるのは、水現れてという措辞の見事さでしょう。見上げる滝の水が、一瞬静止しているかのように感じられるのは、〈水現れて〉の後にある僅かな間のせいかと思われます。〈水現れて〉は、擬人化表現です。普通は句が甘くなりやすいのですが、この句は、水の躍動感をみごとに捉えて、成功しているように思います。
二句目、方丈の縁に座って大きな庇を見上げているのでしょうか。その伸びやかな広がりの中に、紛れ込んできた一匹の蝶。ひらひらと如何にも頼り無げな蝶の動きが、庇を大きく揺るぎないものに見せています。普通は、大庇とまではあえて言わないものですが、この場合、作者はやはりそうとしかいいようがなかったのだと思います。
三句目は、やはり〈まなこ窪みて〉が眼目でしょう。それが、修行の一切を象徴的に物語っているからです。作者は、この行者と知り合いなのでしょう。修行前の行者を知っている作者にとっては、出迎えたときの咄嗟の印象が、まさに〈まなこ窪みて〉だったのではないでしょうか。

これらの作品で、水や庇やまなこが、存在感をもって私たちに迫ってくるのは、それを作者自身が抜き差しならないものとして感じ取っているからに他なりません。作者はそれ以外に表現しようのないギリギリのところで、ことばを掴み取っているのです。

三百六十八、忖度

私たちはなぜ俳句という表現形式を選んだのでしょうか。俳句という文芸が成立する根本には、ことばによって読者が抱くイメージの共通性があるように思われます。俳句では、作者が見たものや場面を提示するだけで、それに対する作者の感想なり感慨なりを直裁に述べることは余りありません。むしろ、景を提示するだけで、景の解釈を読者に委ねているのです。

これを潔さといってもいいし、読者に対する信頼と呼んでもいいかも知れません。読者は、作者が提示する景を待っています。そして、景が提示されると、積極的にその景のなかに入っていき、作者の立ち位置に立って、作者の心情を推し量ろうとします。これは、まさに忖度そのものではないでしょうか。忖度とは、その景を描出した相手の心中を思いやる美しい心情のことです。読者は洗練された言語感覚で、作者の提示したものを見逃すまいと、一言一句を丁寧に受け止めるのです。

このように俳句の鑑賞は、読者の積極的な働きかけによって成り立っています。作者が伝えたかったことは、作者が景から受け取ったものだといえましょう。それは自然の美しさであったり、儚さであったり、作者自身の人生に対する感慨だったりするでしょう。それを、景を通して読者に手渡すわけです。読者は景を思い描くことで、作者が伝えたかったものを直に受け止めます。まさに以心伝心の世界。先人たちは、そのような忖度の世界、以心伝心の世界で心を通わせていたのです。

いわく言い難いもの、名付けようのないもの、もしことばでいってしまえば零れ落ちてしまうあえかなものも、俳句なら相手に手渡すことができましょう。芭蕉さんが
古池や蛙飛びこむ水の音
と詠うとき、芭蕉さんは古池を眼前にしていることが分かります。私たちの言語感覚が、瞬間的にそう思わせるのです。もし、蛙が飛びこむのを見ているか、事前に蛙を見ているのでなければ、水音をきいて咄嗟に蛙だとは分からないでしょう。〈古池や〉の後に直ぐに〈蛙〉と断定したそのことが、芭蕉さんが蛙を見ていることの証ではないでしょうか。同様に、子規さんが
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
と詠むとき、赤蜻蛉は眼前を飛び回っています。赤蜻蛉だと分かるほどの距離に作者はいるはずだからです。このように私たちは作者の立ち位置を容易に想定することができます。その立ち位置から、景を想像し、作者の心情を味わっているのです。そしてその根幹には、同じ四季に暮らす同胞としての共通体験が横たわっています。俳句を通して私たちは生の実感を分かち合っているともいえましょう。

三百六十九、割愛される背景

季語には、そこで詠まれた内容に関する背景描写を割愛させる働きがあります。それは、予め特定の季節に限定された季語が、同季の景物を自然に引き寄せるからだといえましょう。植物の場合はその咲く時季はほぼ固定されますが、鳥などのように通年見られるものについては、人為的に季節が定められることになります。
何れにせよ、季節が特定されることで、作者は背景を詳細に描出することを免除されるのです。これを読者の側からいえば、読者は季語に纏わる季節の景物を、自身の記憶やイメージをもとに自在に描出し、その句の世界に補填することができるのだといえそうです。

例えば、拙句
一つ家に鶺鴒のゐて啼き交はす       金子つとむ
の場合、鶺鴒は通年見られますが、俳句では秋の季語になっています。ですから、鶺鴒の声に立ち止まり、見上げた空には、いうまでもなく秋の空が広がっています。また、鶺鴒の声は、澄んだ秋の大気のなかを伝わってくるのです。それらは、全て鶺鴒という季語がもたらしたものだといえましょう。
このように季語には、その季語とともにあるべき他の景物を引き寄せる力があります。それゆえ、作者は、季語が語る内容には触れずに、作者のいいたいことだけに専念して叙述することができるのです。
季語は、多くの場合主役の働きをしますが、季語という主役は、一気に季節の舞台装置を現出させるものだともいえそうです。掲句では番の鶺鴒を描いて、啼き交わす声の微妙な違いに心を寄せています。

さて、子規の次の句でも、季語は主役であり舞台装置として登場します。
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡 子規
前景に赤蜻蛉を、後景に筑波を配したこの句の広がりのなかに、読者は様々な秋の景物を思い描くことができるでしょう。私ならいつも見馴れた田園風景を思い浮かべます。赤蜻蛉の季節なら、既に刈田となって穭の穂が風に吹かれているかもしれません。あるいは、遠くの土手には芒が銀色に輝いていることでしょう。雲一つない青空の下には、深い藍色を湛えて、筑波がくっきりと聳えています。俳句を契機として読者のなかに広がる世界は、読者のものだともいえるのではないでしょうか。
作者が赤蜻蛉といってことばを切ると、こんどは読者である私たちがそれを受け止め、それに纏わる様々な景物を想像する番です。そうして、ことばが手渡される度に私たちはイメージを膨らませ、その句の世界を自分のイメージとして構築し、定着させます。そのなかで赤蜻蛉は、夕べの光をうけて、飛び回っているのです。

三百七十、イメージの詩・認識の詩

自然の景物をそのまま写し取る写生は、単に俳句を作る上での技術的な方法論を超えて、新たな認識に至る方法をも明示しているように思われます。その理由は、私たちはどちらかと言えば視覚優位の世界に生きており、見ること、発見することで日々認識を新たにしているからです。
ことばにはイメージを喚起しやすいことばとそうでないものがありますが、読者は一つの俳句からまずその光景を思い描こうとするでしょう。イメージを浮かべやすい句ほど読者に受け入れやすいのは、イメージできることと分かることが、ほぼイコールだからです。例えば、俳句ではタブーとされることの多い三段切れでも、読者がイメージしやすいように場面を設定すれば、混乱なく読者に伝わります。例えば、次のような作品です。
目には青葉山ほととぎす初鰹        山口 素堂
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ         高浜 虚子

前者は、山に程近い場所で初鰹を食する場面、後者は、野原で初蝶と出逢った場面を想像すればいいでしょう。

しかし、イメージしやすいだけでは、もちろんいい俳句とはいえません。そこに語られている内容が、読者に新たな認識を促したり、その斬新さに目を見開かれたりする場合に限って、読者の心を動かすのではないでしょうか。例えば細見綾子さんの作品が色あせないのは、そこに作者独自の認識が散りばめられており、その認識がある種の普遍性を帯びているからではないかと思われます。
鶏頭を三尺離れもの思ふ          細見 綾子
蕗の薹食べる空気を汚さずに        〃
仏見て失わぬ間に桃食めり         〃

ところで、作者はどうしてこのような認識に至ることができたのでしょうか。何れの作品においても、そこには作者自身を見つめるもう一つの眼があるように思います。鶏頭の句は、一度近づいた作者が十分に鶏頭を見つめ、気圧されるように後退りした時に生まれた句のように思われます。また、蕗の薹の句は、蕗の薹の味わいを逃すまいとする口の動きから導かれたものだといえましょう。失わぬ間ということばも、心が移ろい易いことを十分承知している作者だからこそ、そこに定着し得たのだろうと思います。その前に作者は仏像をこころゆくまで堪能しているのです。細見さんは、鶏頭や蕗の薹、仏そのものを写生している訳ではありませんが、この句の背後には、それらに対する十分な凝視があったのではないでしょうか。

先頃、散り零れた山茶花を見て、地面に咲いたような印象を受けました。おそらく、散った花びらの艶めかしさがそう思わせたのではないかと思います。
山茶花の今し零れて地にひらく       金子つとむ

三百七十一、原初のことば

何万年前、いや何十万年前、人が未だことばを持たなかった頃、どのように意思疎通を図っていたのでしょうか。おそらく、ことばを持たない動物たちのように、スキンシップや、仕草や呻き声などで代用していたものと思われます。それはどれも、五感で相手を認知することによって成り立っていたはずです。現代人のように、誰かの話をきいて、顔も見ずに生返事するようなことは決してなかったでしょう。想像ですが、相手を思いやる力は、そんなことばの無い時代に培われたものかもしれません。

さて、人類がことばを獲得したのは、狩の段取りを効率よく整えるための必要からだったとどこかで読んだことがあります。当時の人類は、動物としては弱い生き物だったため、仲間と協力して動くことで、初めて日々の糧を得ることができたのではないでしょうか。そして、このような社会的生活を通して、ことばはしだいに洗練されていったものと思われます。

ことばが生まれた当初は、ことばに嘘はなかった。思いとそれを表すことばとは、コインの表裏のように不即不離の状態にあったのではないかと思われます。例えば、相手を抱きしめる衝動を抑えながら、愛しているというように・・・。
しかし、人間がことばを巧みに操るようになると、いつのまにか嘘も紛れこんできたのでしょう。私たちがことばを操ることに長けることで逃げていってしまったもの、それがことばの真実性ではないかと思います。

私たちはなぜ、見ず知らずの人が吐いた十七音のことばを、信じることができるのでしょうか。人は驚いたり、感動したりすると思わず声をあげるものです。そんな混じり気のないことばを核として作句することを推奨しているのが、写生ではないかと思うのです。
それは、実際私たちが作句していて、そこに偽りはないと信じることができるものです。草花や景色を愛で、生き物たちに思いを寄せる心情もまた、私たちがことばを持たない時代から、営々と培われてきたものでしょう。
私たちが感動した瞬間、心が動いた瞬間に発話がなされ、ことばは十七音になります。そこに、偽りの入り込む余地はないのです。

俳句は、作るというよりおそらく生まれ出るものです。そこには、思いとことばが表裏一体であった幸せな時代の、粗削りで力強いことばが息づいています。そんなことばに出会うことこそ、俳句を続けることの意味なのではないでしょうか。写生とは、その場所に立ち返るために意図的に選択された方法だったのです。


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