俳の森-俳論風エッセイ第27週
百八十三、共感の母胎について
つらつら考えて見ますと、たった十七音の俳句がその言わんとするところを多くの人に伝えることができるというのは、読者の側にそれを受け止めるいわば母胎のようなものがあるからだといえましょう。しかし、その母胎というのは、具体的にどういうものを指すのでしょうか。
日本語には日本人の精神、心性といったものが息づいていますが、単に日本語が分かるというだけでは俳句が理解できるということにはならないでしょう。やはり、先人たちの培った季語の情趣を肯うことができるかどうかに、それはかかっているのではないでしょうか。
日本人は農耕民族として、自然に対する感性を研ぎ澄ましてきました。それは、生き抜くための必須の条件だったからです。雲を見、風を読むことができなければ、折角育てた稲を台無しにしてしまうこともあったでしょう。何しろ、稲は年に一回しか収穫できないのですから・・・。
そこから、数千に及ぶ雨や風の名前が生れたと言われています。風や雨を名付けた無数の人々は、俳句こそ作らなかったものの、季語の現場、その渦中にいたのではないでしょうか。一つの風の名前には、おそらくその風に対する濃密な実感がベースになっていたものと思われます。それ故、多くの人の共感を得ることができ、その名前が語り継がれる基となったのではないでしょうか。
誰かの俳句をわたしたちが理解できるのは、偏にことばに対する実感、とりわけ季語に対する実感があるからのように思われます。季語が継承されてきたのも、季語の情趣を肯うだけの実感が繰り返し人々の間で再生されたからだといえるでしょう。
何の説明もなしに手渡された十七音の世界が、わたしたちの五感やこれらの実感を通して追体験されるのです。実感のない季語や馴染みのないことばが使われていると、その句は殆ど理解不能ではないかとさえ思われてきます。
便利な生活が、わたしたちを自然から遠ざけています。日の出や日の入りの景色は、既にわたしたちの生活から遠くなりました。二重サッシの窓は、快適な生活を約束してくれる反面、風の音も雨の音も締め出してしまいます。
このようななかで季節を感じるには、わたしたちの方から自然に近づくことが必要ではないでしょうか。何も大げさなことではないのです。日差しを感じ、風を感じ、雨を感じるためには、できるだけ外にでて歩くことなのです。
歩くスピードは、わたしたちに自然の細々した営みを垣間見せてくれます。季節の景物に対する実感が、俳句の共感の母胎といえましょう。それが損なわれない限り、俳句は継承されていくのではないでしょうか。
百八十四、五七五再考
俳句の詩形として五七五が定着した歴史的背景はさておき、実作者の立場から改めて五七五の句形を考えてみたいと思います。
以前に俳句は『感動瞬時定着装置』だと述べたことがありますが、それは主として俳句の短さのメリットをいったものです。今回は逆に、俳句の長さについて考えてみたいと思います。つまり、俳句は何ごとかを言うのに充分な長さかということです。
結論からいえば、答えは『イエス』です。それは、先人たちの名句の数々が既に証明しているのではないでしょうか。また、わたしたちが俳句を続けていられるのも、何かを表現しえたという満足感があってのことでしょう。
これが不十分ということになれば、俳句はどこまでいっても片言に過ぎないということになってしまいます。
ところで俳句ではよく省略ということが言われますが、省略ということばには、「本当はもっと言いたいけれど、字数が足りないので言えない。」というニュアンスが含まれるように思われます。しかし、果たしてそうなのでしょうか。
わたし自身は、事情はむしろ逆ではないかと思うのです。「言いたいけれど言えないのではなく、言う必要がないから言わない。」のではないかと・・・。
こんなことを言えば奇異に聞こえるかもしれませんが、実際俳句を作っていると、不要なことばを削っていくことが多いのです。それが何故可能かといえば、俳句ではリフレインの効果を狙う場合を除き、意味の重複を極端に嫌うからです。
その結果、一つ一つのことばは、それぞれが無くてはならないものとなって立ち現れるのです。一つ一つのことばが十全に働く美しさを、わたしは『ことばの石組み』と呼んでいるのです。
ところで、高野素十が省略ということに言及した次のような文章があります。評伝高野 素十、村松友次著、永田書房より引用します。
「省略」
俳句に於ては殊に意識して省略を行はなければならない。省略と云ふ意味は単純なるものを単純に叙すると云ふのではない。複雑なるものを単純に叙するのが省略であります。
それだから省略と云ふ言葉の意味は「単純なるものの中に複雑が蔵されて居る」ことである。一片鱗を描いてしかもよく全体が感ぜられなければならない。(太字筆者)
くらがりに供養の菊を売りにけり 高野 素十
百八十五、初心ということ
わたしが初めて一眼レフカメラを手にしたのはだいぶ遅くて三十歳を過ぎてからでした。機種はミノルタのX700というものでしたが、初めて撮った写真のことを今でもよく覚えています。
それは、江戸川の土手で写した蒲公英です。何故か真上から撮ったので、構図は日の丸そっくり。後から、初心者が必ずやってしまう構図だと知りました。
それでもその写真のことを鮮明に覚えているのは、よほど嬉しかったからでしょう。それは、シャッターを押せば撮れる写真ではなく、絞りを決めて、露出を合わせて自分で撮ったと実感できる写真だったからだと思います。
人から見れば、何の変哲もない写真ですが、その写真を見るたびに、あの日のことをまざまざと思い出すことができるのです。
機械の操作に手一杯で、ただ写ってくれることを願って撮った写真。それが、きちんと写ったということに、ただ感動していたのでした。その写真は、わたしの初心をも写しているように思うのです。
初めて作句した頃を思い出してみましょう。
初心の頃は誰でも、一生懸命物を見て、無我夢中で俳句を作っていたのではないでしょうか。
写真もアングルとか構図とか技術的なことが気になりだして、写真が撮れるという感動を忘れてしまいがちですが、俳句も同じではないかと思うのです。
水原秋桜子は、俳句のつくり方(実業之日本社)のなかで、その心得を次のように述べています。
(イ)詩因を大切にすべきこと
作句にあたって、まず第一に大切なものは詩因であります。詩因というのは詩を成すもと、俳句でいえば、これを詠んでみたいと思った題材のことです。この詩因の大切さというのは、絶体的でありまして、俳句のよしあしは、ほとんど詩因によって決ってしまうといってもよいほどです。(略)
それならば、よい詩因をさがし当てるにはどうしたらよいでしょうか?これがまたなかなかむずかしいことで、一朝一夕にそこまでゆくことは出来ないのですが、早く、そこまで達する心がけとして本当に美しいと見たものを詠む、或は、本当に心を打たれたものを詠む―――この態度をくずさぬことです。(太字筆者)
シャッターを押すだけで写真が撮れてしまうように、感動なしでも俳句は作れます。しかし、「本当に心を打たれ」ていないもので、相手を感動させることなどできるはずがありません。秋桜子は、その根本を突いているのではないでしょうか。
百八十六、子規の季語論(その一)
正岡子規の俳諧大要(岩波文庫)の第四章に、俳句と四季と題した季語論があります。子規の季語に対する考えをひもときながら、現在との違いに着眼して考えてみたいと思います。(以下、太字筆者)
一、俳諧には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきを雑といふ。
これは、連句以来の考え方です。子規は雑の句を否定しているわけではありません。四季の題目は、現在でいえば季語と考えていいでしょう。
一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例えば「涼し」と言へる語は和歌には夏にも用ゐまた秋涼にも用ゐたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、(略)即ち一題の区域は縮小したると共にその意味は深長となしたるなり。
俳句は和歌より十四音短い分、真意を伝えるためには、四季の題目(季語)の意味をより限定的に扱う必要があったと思われます。それにつけて思うのは、副題のある季語の多さです。
因みに角川俳句大歳時記をみると、雪月花などの古くからある季語には、数十の副題が設けられています。副題を設けることで、季語の情趣をより限定的にし、作者の真意を伝えようとしたのではないかと思われます。
これに対し春潮、春泥、薄暑、万緑などの比較的新しい季語には、副題がないかあっても一つ位です。茨木和生氏によれば(第四十九回子規顕彰全国俳句大会入選句集、記念講演「西の季語」)、春潮は高浜虚子、春泥、薄暑は松瀬青々が生みの親とのことです。万緑はご承知の通り、中村草田男が生み出しました。
新しい季語が生れると、その季語のもつ情趣に賛同する俳人たちによって、多くの俳句が作られていきます。毎年毎年季語の情趣が確認され、うべなわれ、そこから派生する新しい情趣が発見されていきます。
新しい情趣から副題が生れることもあるでしょう。季語のもつこのダイナミズムはまさに俳句の生命といってもいいのではないでしょうか。
一、四季の題目にて花木、花草、木実、草実等はその花実の最も多き時を以て季と為すべし。藤花、牡丹は晩春夏初を以て開く故に晩春夏初を以て季と為すべし。必ずしも藤を春とし牡丹を夏とするの要なし。梨、西瓜等また必ずしも秋季に属せずして可なり。
子規は、自然を主体に考えていたようですが、現在の歳時記では二季に跨る季語はないようです。春夏秋冬自体が人為的な区切りですので、それとの整合を考えると二季に跨ることは意図的に回避されたものと思われます。
百八十七、子規の季語論(その二)
前回に引き続き、子規の季語論です。俳諧大要から引用します。(以下、太字筆者)
一、四季の題目中虚(抽象的)なる者は人為的にその区別を制限するを要す。これを大にしては四季の区別の如きこれなり。春は立春立夏の間を限り、夏は立夏立秋の間を限り、秋は立秋立冬の間を限り、冬は立冬立春の間を限る。即ち立冬一日後敢て秋風と詠ずべからず、立夏一日後敢て春月と詠ずべからず。
ここで、季語の人為的な側面が入ってきます。ことばの人為的側面と言った方が適切かもしれませんが、秋風も春の月も厳密に運用せよといっているのです。実際の季節は、漸次移り行くものですが、季語の世界ではそうではない。
ここに自然と約束との乖離が見られますが、約束を厳密に運用するのは、季語を介した意思疎通をスムーズに行なうためと思われます。
一、その外霞、陽炎、東風の春における、薫風、雲峰の夏における、露、霧、天河、月、野分、星月夜の秋のおける、雪、霰、氷の冬におけるが如きも皆一定するところなれば一定し置くを可とす。しかれども夏季に配合して夏の霧を詠じ、秋季に配合して秋の雲峰を詠ずるの類は固より妨ぐる所あらず。
子規には季語一つという考えはなく、自然の景物を優先しているように思われます。何故なら夏に霧があり、秋に雲の峰があっても、自然の景物として何ら不自然ではないからです。
一、四季の題目を見れば即ちその時候の連想を起こすべし。例えば蝶といへば翩々たる小羽虫の飛び去り飛び来る一個の小景を現はすのみならず、春暖漸く催し草木僅かに萌芽を放ち菜黄麦緑の間に三々五々子女の嬉遊するが如き光景をも連想せしむるなり。この連想ありて始めて十七字の天地に無限の趣味を生ず。(略)
子規は実作者として、季語の働きを熟知していたのでしょう。俳句は季語の理解なくしては、作句も選句も一歩も先へ進めないのです。
一、雑の句は四季の連想なきを以て、その意味浅薄にして吟誦に堪へざる者多し。(略)
子規は雑の句を否定している訳ではありません。ただ、その多くがつまらないといっているだけです。それは、季語の有用性の裏返しでもあります。
こうしてみると、子規は、季語の人為性をよくわきまえたうえで、自然の景物(真実性)との調和を図ろうとしたのではないでしょうか。季語一つという呪縛から抜け出せば、わたしたちの眼前には自然の景物という真実の世界が無限に広がっているように思えるのです。
百八十八、俳句のリズム
まず、次のふたつの文を十七音の文章として読む場合と、俳句として読む場合の印象を比較してみたいと思います。
① 朝風に紫陽花の毬ゆれ戻る 金子つとむ
② 紫陽花の毬朝風にゆれ戻る 〃
単なる文章として読もうとすると少し抵抗があるかもしれません。文章ならば、
① 朝風に紫陽花の毬(が)ゆれ戻る
② 紫陽花の毬(が)朝風にゆれ戻る
とすべきだからです。しかし、意味の上からいえば、この文章はどちらも同じ意味を伝えることができ、どちらでもいいということになるのではないでしょうか。
一方、俳句はどうでしょうか。俳句として読むと両者は明らかに違います。②の句には、いわゆる句またがりという現象が起きているからです。五七五の韻文として読もうとするから、句またがりになるのです。両者を文節で分けてみると、
① 朝風に/紫陽花の毬/ゆれ戻る(五/七/五)
② 紫陽花の毬/朝風に/ゆれ戻る(七/五/五)
わたしたちは五・七・五の韻律をからだのなかに持っていますので、それとの比較で両者の印象を違ったふうに捉えるのです。
①の句は、文節が五七五にきっちりと収まることで、安定した印象を与えます。そして、この印象は意味のうえにも反映され、大きく立派な紫陽花を想像することになるのです。
また、上五に置かれた「朝風に」の残音効果で、この風が一句のなかに吹き渡っているように感じられるのではないでしょうか。
それに引き換え②の句では、同じことばを使っていても、なんとなくぎこちない感じがします。それは、七五五というリズムのせいではないかと思われます。
俳句は五七五の韻文です。作者がこの韻律に載せたものを、読者もまた同じ韻律で味わってくれます。それは、ほんとうに短い音楽といってもいいかもしれません。しかしそこから、作者の気息を感じ取ることもできるのです。
また、文章では助詞の「が」が必要でしたが、俳句では必要ないというのも、この韻律のおかげといえるでしょう。五七五のリズムは、互いにやわらかく繋がっているからです。このリズムを確認するには、声に出して読むのが一番です。俳句は殆ど黙読されますが、本当は声に出して吟誦するのがいちばんではないかと思います。
その意味で、被講を行う句会は、優れたシステムといえるのではないでしょうか。
百八十九、一句の真実感
一つの句を読んで、わたしたちが感動を覚えるのは何故でしょうか。まるで、雷にでも打たれたかのように、その句がわたしたちを捉え、覚えようとしなくとも深くこころに刻まれてしまうのは何故なのでしょうか。誰でもそんな句を二つ三つ持っているのではないでしょうか。
今回は、その理由を考えてみたいと思います。わたしの好きな句に飯田蛇笏の句があります。
芋の露連山影を正しうす 飯田 蛇笏
わたしは山国の育ちではありませんが、趣味で高山植物を撮り歩いていた頃、何度もこのような景色に出合いました。何か心に残るものがあって、記憶に留めていたのでしょうが、その時風景はわたしたちに何かを語りかけていたように思うのです。
それがことばにならずに年月をへて、句を読んだ瞬間に突然まざまざと甦ってくる。それは、風景がわたしたちに語りかけたものに、初めてことばが与えられた瞬間といってもいいでしょう。
一句によって、わたしたちの記憶や実感が強く甦ってくるとき、わたしたちは、その句にどうしようもなく惹かれてしまうのではないでしょうか。
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村 汀女
汀女のこの句も、わたしを遠い少年時代へと誘ってくれます。このような光景をわたし自身何度も体験しているため、この句も忘れられない句となっています。
これらの句に共通しているのは、ただ単にそういう光景を見たことがあるということだけでなく、その時に感じたことばにならない感じを再現してくれることです。
具体的には、「正しうす」や「ふゆる」といったことばが、わたしを記憶の現場へと連れ去ってしまうのです。このことばの力だけでも、俳句はすごいものだとわたしは思います。
ところで、水原秋桜子は、俳句のつくり方(実業之日本社)のなかで、相馬遷子の句を次のように評釈しています。
月高く稀なる星のうつくしき 相馬 遷子
(略)こういう句も、やはり空をよく観察しているから詠めるので、空想で詠もうとしても、決して詠めるものではないのです。(太字筆者)
稀なる星とは、月明かりのなかでも見えるとりわけ明るい星のことです。一句の真実感は、作者の発見からきているのではないでしょうか。
作者の写生に裏打ちされたものだからこそ、わたしたちはそこに真実を見、共感を覚えることができるのです。写生は共感の仲立ちといえるのではないでしょうか。
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