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素顔のピクセルが好きすぎる話

素顔のピクセル、ほんとにいい曲ですよね
あまりに好きすぎて気がついたら写真を趣味でやってるオタク目線で考察してました。

・結論
素顔のピクセルは感情を切り取るカメラである。

・この曲が生まれた時期について。
ワンピクセルという歌詞、いまの高画素時代だと1画素があまりに小さすぎてイマイチ、ピンとこないですよね。
高機能になったスマホのカメラが当たり前に普及し、液晶も高解像度で1ピクセルを気にするのは日常であんまりと思います。

・それじゃいつ?
ワンピクセルが身近な時代、ドット絵が主流だった時代、平成初期頃に生まれているんだと思うんです。
その時期は写真もフィルムからデジタルに変わっていく時期でもある。

フィルムは粒子でデジタルはピクセル。
当時としてはフィルムからデジタルへの変換期で未来の憧れみたいなものも含まれていたのではないか。デジタルという当時として新しい表現を組み込みたかったのではないかと思うんです。

梢がもっているチェキはフィルム時代からずっとあるもので、形がわりと正方形に近いのでチェキをひとつのピクセルとしてイメージをつなげやすかったのではないかなと。
今よりずっとチェキが安く種類も豊富だったのでたくさん並べることでジグソーパズルのように連想することもできた。

・感情を切り取るカメラ
作った当人たちは自分たちの青春を切り取る歌にした。しかし、歌い継ぐことで意味合いが変化し、引き継いだ後輩が歌うことで自分たちの青春を切り取ることができる曲になった。

作った当人はカメラを発明した
継ぐ者たちはカメラを使うという選択ができるようになった、と言える気がします。

じゃあ歌うことで何が記録されるのか。
物理的に残ることはない(今はリンクラのアーカイブとスクショが残る)けど、歌ったことによる感情の変化は間違いなく起こる。
それを思い出として記憶に残すことで感情が記録される。
つまり、素顔のピクセルは感情を記録するカメラと言えるのではないかと思う。

今のスリーズブーケが9月度Fes×LIVEや、10月度Fes×LIVEの竜胆祭のタイミングでこの曲を歌うことを決めたというのは、一年前の竜胆祭の事故から、花帆、さやかが加入し、綴理と話し合うことができ、瑠璃乃が慈をステージに連れ戻して迎えることができる乙宗梢がとても喜ばしい感情を記録したかったのではないか。
普段、花帆みたいに感情を大きく表に出さない彼女
がどうしてもやりたかった喜び方が、このタイミングで素顔のピクセルを歌うことだったのではないかと思います。

機械音痴の梢がチェキを持っているというのもあり、彼女がこういうタイミングで記念写真を残したがる子なのだと思うと、より可愛く見えてきますね。

私が素顔のピクセルで一番好きなところは、写真を撮る掛け声のピースとジグソーパズルの一欠片のピースの意味が被っている部分です。

あなたはどこが好きでしょうか?


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