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風のために。

旅にでること、つながりのこと。

衝動的に、旅にでたくなる。
そうして”旅”は必ず、ひとりでなくてはいけない。

誰かといること、がちょっと苦しくなったとき。
何かに追われて、誰かに合わせて必死になっているうちに、自分のテンポを忘れてしまったとき。
もくもく、もやもやした霧が自分の隙間を埋め尽くして、そういうときに、旅を欲する。

断絶、とも似ている。似ているけれど、すっぱりくっきり断面がみえるような感じではなくて、ゆるい充電バブルに入るイメージ。もしくはつながり、の接続先をかえるイメージ。

さうさう、こんな感じで呼吸していたのだわ。

ヤルベキコトを全部放り出して、何となくとった宿の天井をみつめてみる。

ぼーっとしている人は何も考えていないんじゃない、猛烈に自分と会話しているのだ。
(若林正恭, 2018年,『ナナメの夕暮れ』,文藝春秋,p22)

呼吸を思いだしたら、自分と会話をしてみる。
猛烈に、までいかないくらいのゆるめのテンポで。そうしているうちに安心して、眠たくなって、なんとなく、寝る。

充電がおわったら、旅を離れて日々に帰る。
または、接続先をかえる。

他人とつながり、自分とつながり、周りにあるものとつながり、そこを通りすぎるものとつながり、刻々と変わる放電と充電のバランスを探しながら、今日も生きている。

現在地点と、交差点のこと。

フェリーにゆられて福岡に、暗がりのなかを1時間ほど運転して、たどり着いた今の家。
仮住まいのつもりが気づけば1年が経つ。

交差点のような場所だ。
元々廃校だった施設を改築したドミトリーで、そこに長期滞在という形で住んでいる。
音楽を作るひと、人狼をするひと、ダンスとカレーが好きなひと、歌を歌うひと、絵を描くひと、土地を売るひと、コーヒーを淹れるひと、記事を書くひと、漫画を描くひと、自分を探しているひと、苺を作るひと、土地に惚れこんだひと、サウナが好きなひと、写真を撮るひと、弟子をするひと、竹を切るひと、医者を目指しているひと、学校で教えるひと、まだまだたくさん、色んなひとが訪れ、留まり、通りすぎていく。

いるだけで色んなひとに会える。そんなおもしろさを愛しながら、自分もいつか、通りすぎる気がしている。いつか、どこか、知らない場所に向かって。

道を開けなさい。風のために。

(オノヨーコ 南風椎訳,1998年,『グレープフルーツジュース』,講談社,p94)

どんな暮らしをしたいか、と考えるとき、言葉をひとつの指標にしていたい。
風にのった言の葉が私と交差して、右手の先から、ぬけていく、感覚。
彼らの影が文字になって、いる。
自分に隙間があることを、その影が教えてくれる。

どんなに何かに追われても、どこで、ひとりで、誰かと、いても、風と言葉が通るくらいの道は、常にあけておきたい、と思う。

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