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「死」アレルギー

   メンヘラっ気はあまり無いので、希死念慮とかは殆ど抱かないけど「死」についてはよく考えるし、もっとカジュアルに考えられてもいいだろうって思うんだよね。大事なことだし。

   でも、こういう話って、どこのSNSにも馴染まないんだよな。「たのしいことしか書いちゃいけない」同調圧力を感じる。特にインスタやフェイスブックな。

   たとえば、ガンの治療技術が向上すると死ににくくなるかわりに、医療費は爆上がりする筈なんだよな。それを社会保障で賄おうとすると、必然的に若者の生き血を啜って老人が生き延びるような構図になるわけ。

   銃夢というSF漫画の中では「不老不死技術が確立していて新生児は既存人類の脅威でしかなくなっており、新生児が生まれる国や地域には軍による虐殺がなされる」そういう世界線が描かれている。

    上の例は極端ではあるけども「老人と若者は相反する」ということ自体は現実と変わらんよね。

   もちろん「だから老人は皆殺しにしましょう」という単純な話にもならない。若者もいずれは老人になるわけなので。

   「人の死のあり方と社会維持の適切な関係性」を皆が考えていかなきゃならんよね、ってことが言いたい。

   よって「死」というのは個人の問題のみならず、もうすでに社会で管理しなきゃいけない段階に来てると思うんだよね。SFに着実に追いつきつつある。

   であるのに「死を語ること」についてネガティブすぎるイメージを皆が持っていたり、強くタブー視することは、決して良いことではなかろうといつも思うんだよ。

(了)

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