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「文体とは思想そのものである」

ぼくはそこそこ長文を書き連ねてきたけれども、未だに一人称も文体も安定しないままなんですよね。

同じ記事の中では、そのあたりの「ゆらぎ」を嫌っているつもりではあるけれども、記事が変われば一人称も文体もコロコロ変わることがあります。これはなんとなく変えている/変わってしまうこともあれば、意図的に変えているときもあります。

お堅いテーマに対してシリアスな文章を書きたいときは、一人称「私」+文体「です/ます調」だったりするし、低俗なテーマに対してくだけた文章を書きたいときは、一人称「おれ」+文体「敬体/常体/関西弁/インターネットスラングなどのミックス」だったりもします。

一方、ぼくより遥かにノートの更新力が高く、多様なジャンルについて記されているニー仏さんなどは、毎回非常に安定した文体で記されてらっしゃいますね。 (タイトルの「文体とは思想そのものである」というフレーズもかれから教わったものであります)

そもそも、かれは既に何冊もの著作を出版しているプロの書き手でありますので、ぼくのようなアマチュアと比較すること自体に、いくらかの烏滸がましさを感じてしまいますが。

無論、どちらがが良いとか/悪いとかという話ではなくて「ぼく以外のみなさんがなにを考えて(あるいは考えずに)一人称や文体を選択しているのだろう?」というのはわりと以前からの関心事なのであります。(素朴な疑問を記しただけの記事につき特にひねったオチなどはありません)

(了)

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