評論家・中野剛志「リストの闘争とわたし」

評論家・中野剛志「リストの闘争とわたし」
2017/11/1 17:00

 歴史の風雪に耐えて残った古典というものが多感な若者に与える影響たるや、魔法と言っても過言ではない。わたしの場合は、二十代前半の頃に出会った『政治経済学の国民的体系』(1841)によって、その後の人生を決められたも同然であった。

 その著者は、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリードリヒ・リスト(1789~1846)である。

 政治経済学という分野は、通例、三つの系譜に分類される。一つ目はアダム・スミスを祖とする経済自由主義、二つ目はカール・マルクスが創始したマルクス主義、そして三つ目が経済ナショナリズムである。この経済ナショナリズムの理論を構築したのが、フリードリヒ・リストなのである。

 このうち、経済自由主義とマルクス主義は、それぞれ理論体系を構築し、強力な学派を形成してきた。これに対し、経済ナショナリズムは、理論体系というよりはむしろ、単なる実践の産物とみなされてきた。特に戦後は、経済ナショナリズムは、経済自由主義とマルクス主義の二大陣営の双方から、異端視されてきたのである。

 しかし、十九歳のわたしは、この政治経済学の三つの系譜の存在を知った時、どういうわけか、経済ナショナリズムが最も正しいと直観した。そして、これを研究すると決めた。

 時あたかも、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わりを迎えた頃であった。人々は資本主義の勝利を確信し、その公式イデオロギーである経済自由主義が世界を席巻しようとしていた。

 しかし、わたしには、経済自由主義の理論、とりわけ主流派(新古典派)経済学は、どうしても机上の空論としか思えなかった。そして、経済ナショナリズムの実践的な性格に強く惹かれ、実践経験の中に理論を探究したいと願った。

 そこで、わたしは研究者の道に進むのではなく、産業政策担当の行政官になることを決め、一九九六年に通商産業省(現在の経済産業省)に就職した。かつて通商産業省は、日本における経済ナショナリズムを体現した特異な行政組織として、世界的にも知られていた。わたしは、経済ナショナリズムの実践経験から理論が生成されるのを期待していたのである。

 ところが、当時の通商産業省は(今でもそうだが)、経済ナショナリズムを実践するどころか、それを捨てて経済自由主義の先頭に立つことを、新たな時代の使命として誇っていたのである。もちろん、リストを読んでいる者など一人もいなかった。要するに、そそっかしいわたしは、就職先を間違えたのだ。

 リストの『政治経済学の国民的体系』を読んだのは、それから間もない頃であったと思う。この一冊の本から、わたしは今でも忘れられないほどの大きな衝撃を受けた。

 その衝撃のひとつは、わたしが目指した実践的な理論がそこにあったことから来た。

 リストは自由貿易論を批判した理論家として知られているが、専業の研究者ではなかった。彼は、祖国の国民統合のために身を投じた愛国者であり、鉄道事業に参画した実業家であり、ジャーナリストでもあった。

 リストも、我が身を振り返って「講壇のための体系の建設にたずさわることよりも国民国家の建設にたずさわることのほうが、たとえそれが下働きの仕事にしかすぎなくとも、いっそう重要で名誉な仕事だという考え」をもち、「有効な理論を持たずに一貫した実践に到達するなどということは考えられない」という信念を有していたと述べている。

 そして、わたしも、実際に『政治経済学の国民的体系』を読んでみて、それがリストの豊かな実践経験から生成された理論であることを感受し、大いに共感したのである。

 さらに大きな衝撃は、リストの生涯から受けたものであった。

 リストは、その先見の明と愛国心、そして後のドイツの国民統合と経済発展への多大な貢献にもかかわらず、ドイツ国民による誤解や誹謗中傷に苦しみ、最後は自ら命を絶ったのである。その死は、「彼の祖国は感謝のしるしとして彼の手にピストルを握らせた」と評された悲劇であった。以来、このリストの最期が、わたしの頭から離れなくなってしまった。経済ナショナリズムの道を進み、有効な理論と一貫した実践を目指す者の運命を暗示するように思えたからである。

 だが、多感な若者というものは、ときどき子供じみたロマンティシズムにかられて、歴史上の偉人と自分とを引き比べるような僭越を平気でやる。当時のわたしも、リストのように、誤解や誹謗中傷にさらされながら、不当に低く評価された生涯を是非とも送りたいものだと夢想した。もっとも、自殺する気など毛頭なかったが。

 それからおよそ二十年。

 リストの闘争に比べれば子供の遊びのようで恥ずかしいが、経済自由主義とりわけ自由貿易論を批判し続けたおかげで、世間の誤解や誹謗中傷を経験したいという若き日の願いも少しは叶った。リストが闘いを挑んだ敵の強大さを経験することもできた。何がリストを自殺に追い込んだのかも分かってきた。

 そこで、リストの理論と生涯を通じて、自由貿易論というイデオロギーが、なぜかくも強力であるのかを明らかにしようと思い立った。こうしてできたのが、本書『経済と国民――フリードリヒ・リストに学ぶ』である。

 最後に、本書の執筆にあたっての基本的な姿勢について、述べておきたい。

 リスト自身は、彼の執筆の動機について、「わたしの本のなかに多くの新しいものや真実のものや、またわたしの祖国ドイツに特別に役立つはずのいくつかのことが見いだされるかもしれないという考えだけが、わたしを力づけているのだ」と述べた上で、こう続けている。「わたしがしばしば、おそらくはあまりに無てっぽうにまたはっきりと、個々の著者や学派全体の見解と業績とに対して断罪の宣告を下したのは、おもにこの意識にもとづくものである。このことはけっして個人的な自負によるものではなく、いつも、本書が非難をしている見解は社会のために有害であって、このような場合に有効に行動するためには自分の反対意見を直截に力を尽くして表明しなければならないという、確信によるものであった」

 特定の論者を厳しく批判することは、たとえそれが正当な内容であったとしても、単なる人格攻撃と受け取られ、反発を招くことが多い。主流派の見解や学界の権威を批判するような場合には、特にそうである。

 それにもかかわらず、リストは、さらに力を込めて、こう言うのだ。「有名な、権威を得ている著者たちは、その誤謬によって、とるにたらぬ著者たちよりも比較にならないほど多くの害をあたえるのだから、それだけにまたいっそう力をつくして彼らに反論しなければならない。わたしが自分の批判を、もっとほどよい、温和な、つつましい、たくさん制限をつけた、右にも左にもお世辞をふりまいたいいまわしで行ったとすれば、それがわたしの人柄をずっとよく思わせるだろうということは、十分に心得ている。わたしはまた、裁く者はこんどは裁かれるということも心得ている。だが、それがどうしたというのだ」

 これは、わたし自身の心構えでもある。(評論家・中野剛志)

 *中野剛志著『経済と国民――フリードリヒ・リストに学ぶ』(朝日新書)は朝日新聞出版から発売中

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