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ハロプロって何なんだろう?

 ハロー!プロジェクト(以下「ハロプロ」)とは何なんだろう?という問いに対する一番手っ取り早い答えは、「ハロプロのホームページに掲載されているアーティストの総称」というものだと思う(今はソロのアーティストがいないので、「アーティスト」のところを「グループ」と置き換えてもいいが)。これはもちろん間違いではないのだが、2013年頃を境にその意味合いがかなり変わってきているというのが、このノートのテーマである。
 2013年前後と言うのは、ハロプロが大きく変化した時期であって、その最大のものは2014年につんく♂が総合プロデューサーを退任したことだと思われる。ちょうどその頃にハロプロという概念そのものが変わってしまったように思われるが、それがはっきり言語化されたのは、それからしばらく経ってからだった。一番わかりやすいのは、2017年6月、いわゆる「新体制」が発表されたときに、ももちこと嗣永桃子が書いたブログに出てくる言葉である。
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 ハロプロが「新体制」に移行するにあたって、カントリー・ガールズのメンバー(5人全員でなく、山木・小関を除いた3人)が他のグループを兼任することになったのだが、嗣永はそのことにショックを受けたことを認めたうえで、ハロプロの各グループのメンバーはグループのメンバーである前にハロプロのメンバーであるということで兼任の件を納得した旨をこのブログで書いている(「カントリー・ガールズである前に、ハロー!プロジェクトの一員」)。
 一見すると何の問題も孕んでいない文章のようであるが、よく考えると2013年以前のハロプロの実体に反していることが書かれていることがわかる。2010年にデビューしたスマイレージを例にしてみよう。グループが結成されたのは2009年の4月であり、そのときメンバーはまだハロプロエッグのままであった。つまり、結成時はハロプロの一員ではなかった。スマイレージがハロプロに加入したのは2010年3月の新人公演でハロプロエッグを卒業したときである。したがって、スマイレージのオリジナルメンバーは、ハロプロのメンバーになるより前に、スマイレージのメンバーであった(同じくハロプロエッグのメンバーであった真野恵里菜も、2008年にハロプロに加入する際にハロプロエッグを卒業したということが公式にアナウンスされている)。
 これはハロプロの成り立ちを考えれば理解しやすい。もともとハロプロとは平家みちよとモーニング娘。の合同ファンクラブの名前であったということは有名であるが、ウィキペディアによれば、平家みちよとモーニング娘。が共通のファンクラブを持つというアイデアは、つんく♂によるものだという。そのときにつんく♂の念頭にあったのは、自身のバンドであるシャ乱Qも属していた「すっぽんファミリー」だったらしい。大阪城公園で野外ストリートライブ活動をしていたバンドが集まって結成されたこの集団のスタイルが、複数のグループやソロアーティストが密接に関係を保ちながら活動するというハロプロの活動スタイルの参考にされた。
 このように、ハロプロに「加入」するためには、それぞれのグループあるいはソロで芸能活動をしていることが前提であった。言い換えれば、何らかの形で芸能界デビュー(CDデビューあるいはドラマ出演など)していない人がハロプロに入るということはなかった。注意しなければならないのは、ここでいう芸能界デビューとはCDのメジャーデビューだけを指すものではない。例えば藤本美貴は2001年の10月に先にドラマでデビューしており、2002年1-2月の冬のハロコンに正式のハロプロメンバーとして参加している(CDデビューは同年の3月)。
 ここで少し微妙なのは、ハロプロキッズである。オーディションに合格してすぐ2002年夏のハロコンでつんく♂立会いの下、ハロプロの新メンバーたちとして紹介されているが、その時点ではまだ芸能活動をしていなかった。しかしオーディションそのものが映画出演、CDデビュー、テレビ番組出演を条件としていたものであり、初のハロコン参加となった2003年冬のハロコンのときには、既に主演映画が公開されていた。したがって、ハロプロキッズにも、正式のハロプロメンバーとして活動しているときには芸能界デビューを済ませているという条件は当て嵌まっていると考えられる。つまり、それぞれで活動しているグループ・ソロアーティストの集合体がハロプロであるという考えは、ハロプロキッズのときにも維持されていた。ハロプロメンバー全員(当然ハロプロキッズも)参加した、2004年のシャッフルユニットが「H.P.オールスターズ」と名づけられたのは、その意味で象徴的である。その名前にふさわしいかの是非はともかく、その頃のハロプロメンバーは全員が(グループ結成前で、ただ「ハロプロキッズ」とだけ呼ばれていた後の℃-uteメンバーも含めて)、曲がりなりにも芸能界デビューを果たした「スター」として(内部的には)扱われていたことがわかる。
 ただ、問題となるのは、ハロプロエッグの扱いである。結論から言えば、ハロプロエッグのメンバーは、最後までハロプロのメンバーとして扱われることはなかった。本人たちの後の発言からも、「ハロプロの一員」としての意識はなかったようである。しかし、ハロプロエッグのメンバーの中には、テレビドラマや外部舞台に出演したり、メジャーレーベルからCDを出したり、十分に芸能活動を行っていると認められるメンバーも数多くいた(たとえば、2006年のドラマ「がきんちょ〜リターン・キッズ〜」に出演したり、High-Kingの一員だったりした前田憂佳や、MilkyWayのメンバーとしてポニーキャニオンから2008年にメジャーデビューしている北原沙弥香・吉川友など)。このことから、「ハロプロの一員」になるためには。芸能界デビューは必要条件ではあったが、十分条件ではなかったということがわかる。
 これは、ハロプロのモデルがバンド仲間である「すっぽんファミリー」だったということを踏まえれば理解しやすい。つまり、ハロプロの構成原理は「仲間」であり、「仲間」として受け入れられた人たちだけが、その構成員となれる。そして、その「仲間」として受け入れられるためには、何らかの「イニシエーション(通過儀礼)」を経る必要があった。モーニング娘。の追加メンバーたちにとって、その「イニシエーション」は、テレビで放映されるオーディションであり、またハロプロキッズのように、つんく♂によってハロコンの場で「仲間」であることが内外に対して宣言されることもあった。真野恵里菜やスマイレージにとっては、ハロプロエッグからの卒業が、ある意味「通過儀礼」としての役割を果たしたといえる。2004年に行われたハロプロエッグのオーディション自体、かなり不透明な部分が多く、合格者が確定したことが発表されたときも、合格者の人数のみが発表され、合格者の氏名が知られるようになったのは後になってからである。したがって、モーニング娘。の追加メンバーのように、オーディションがハロプロの「仲間」として受け入れられるための「通過儀礼」になるということはなかった。
 このように、発足当初からかなりの期間まで、ハロプロとはハロプロのホームページに掲載されているアーティストの総称であるという定義の言外に、①お互いを「仲間」として受け入れた、②芸能界デビュー済みのソロアーティスト・グループの集合体であるという意味合いが含まれていた。したがってグループのメンバーである前に「ハロプロの一員」であるという考えは当然のことながら成り立たなかった。例えばハロプロキッズのメンバーは「ハロプロの一員」である前にハロプロキッズのメンバーであり、そこでの芸能活動があって初めてハロプロの「仲間」として受け入れられた。
 上述の考えが変化し始めたのは、2013年にJuice=Juiceが結成されたあたりからだと思う。一見すると、Juice=Juiceのデビューまでの経緯はスマイレージのそれを踏襲したもののように見える。スマイレージが結成されたときに使われた「エッグ内ユニット」という言葉も、Juice=Juiceのときには「研修生内ユニット」という形で受け継がれた。グループ結成からメジャーデビューまでの間に、まずインディーズデビューをしているという点も共通している。大きな違いは、Juice=Juiceの場合、研修生を修了したということが公式にアナウンスされなかったことである。実際、Juice=Juiceはメジャーデビュー後も研修生発表会に出演し続けた。2014年9月公演を最後に研修生発表会に出演しなくなったときも何の発表もされず、単にフェードアウトしたような形になった。
 興味深いのは、スマイレージの場合、ハロプロオフィシャルサイトのアーティストの欄に名前が記載されるようになったのは、2009年11月のハロプロ新人公演でつんく♂からビデオメッセージで翌年3月にハロプロエッグを卒業することが発表されて以降のことであるのに対し、Juice=Juiceはグループ名が発表された直後、まだインディーズデビューもしていない2013年3月の時点で所属アーティストとして明記されたことである。しかし、このときはもちろんJuice=Juiceはまだ研修生内ユニットという位置づけであった。実際、2013年6月13日、同年9月にメジャーデビューをすることが発表された直前(2013年6月12日)にも研修生との合同曲である「天まで登れ!」を3rdインディーズシングルとしてリリースしており、メジャーデビューまで研修生と活動を共にしていた。
 さらに大きな変化は、2014年の5月に行われたハロプロオフィシャルサイトの大幅リニューアルであった。このリニューアルで、それまで所属アーティストとして記載のなかったハロプロ研修生がトップページに載るようになり、それぞれの研修生のプロフィールも公開されるようになった。したがって、ハロプロが「ハロプロのホームページに掲載されているアーティストの総称」であるとするのならば、このリニューアル以降、ハロプロ研修生もハロプロの一員であるということになった。
 このリニューアルで更に重要なのは、それぞれのハロプロメンバー(研修生も含む)のプロフィールに新たに「ハロー!プロジェクト加入」という項目が設けられ、ハロプロへの加入日が記載されるようになったことである。このことによって、各メンバーが「ハロプロの一員」となったのは、いつの時点なのか公式の考えが示されるようになる。
 しかし、この「ハロー!プロジェクト加入」の項目にある加入日の記載は、誰から見ても矛盾だらけであった。一つ目の問題点は、Juice=Juiceのオリジナルメンバーのプロフィールには、Juice=Juiceのグループ名が発表された日がハロプロ加入日となっているのに対し、ハロプロ研修生はハロプロエッグ(研修生)に入った日が「ハロー!プロジェクト加入」の項目に記載されていたことである。したがって、Juice=Juice結成前にハロプロ研修生になっていた人たちは、Juice=Juiceのオリジナルメンバーより前にハロプロに加入していたと受け取られる記述になっていた。しかし、Juice=Juiceのオリジナルメンバーの内、宮本などは、当時ハロプロ研修生に在籍していた人たちの誰よりも早くハロプロエッグに加入しており、研修生暦を持ってハロプロ加入日時を換算するのなら、当然彼らよりも早くハロプロに入っていたことにならなければならなかった。
 しかし、「ハロー!プロジェクト加入」の項目が孕む矛盾はそれだけでなかった。二つ目の問題点は、ハロプロの各グループの「ハロプロ加入日」に関するものである。一般にグループの記念日となるのは、①グループが作られることが発表された日、②グループ名が発表された日、③インディーズデビュー日、④メジャーデビュー日のいずれかである。そのような中、2014年までのハロプロでは、④のメジャーデビュー日が重んじられる傾向にあった(例えばメロン記念日は10周年の記念ライブをメジャーデビュー日に行った)。これは、グループとしての活動がハロプロに入る前提と考えるのならば自然なことであり、ハロプロへの加入日を上述の記念日のいずれかにするのならば、メジャーデビュー日をハロプロ加入日とするのが極めて有力な考えであるように思われる。
 しかし、実際のオフィシャルサイトでメジャーデビューをハロプロ加入日としているグループは今までのところ一つもない。Juice=Juiceは、前述の通りグループ名が発表された日(上の区分では②)が加入日とされた。℃-uteも同じようなパターンで、グループ名が発表された2005年6月11日がグループ結成及びハロプロ加入日とされた。
 次に、グループ結成と同時にグループ名が発表されたパターンがあり(つまり、上記の①②の区別がないパターン)、Berryz工房、カントリー・ガールズ、つばきファクトリーがそれにあたる。これらのグループのオリジナルメンバーは、結成日(=グループ名発表日)がハロプロ加入日となっている。OCHA NORMAのメンバーについても、メンバーが最終的に決定し、それと同時にグループ名が発表された日がプロフィールでハロプロ加入日となっており、このパターンに含まれるといっていい。
 それに対し、スマイレージとこぶしファクトリーのオリジナルメンバーは、後日になってグループ名が発表されたにもかかわらず、グループが結成されることが発表された日がハロプロ加入日として記載されていた(上記の①に該当)。なぜこんなにグループごとに統一性のない記載となったのかは不明であるが、それとは関係なく、少なくともスマイレージに関しては歴史の書き換えが行われた(グループが結成された時点ではハロプロに加入していない)のは、上に述べたことを参照してもらえばわかると思う。
 さらに複雑なのはBEYOOOOONDSのメンバーのハロプロ加入日である。BEYOOOOONDSの場合、全てのメンバーがオリジナルメンバーであるにも関わらず、それぞれ異なったハロプロ加入日が記載されている。特によくわからないのは、一岡、高瀬、清野の3人で、2017年の実力診断テストの日、つまり5月5日がハロプロ加入日とされているが、その日に発表されたのは、後にアンジュルムに加入した川村とJuice=Juiceに加入した段原と一岡の将来のハロプロ加入、高瀬、清野の演劇新セクションへの加入のみで、新しいグループができることも、それに一岡、高瀬、清野が加入することもその時点では発表されていなかった。さらに川村、段原のハロプロ加入日としては、それぞれのグループの加入日である6月26日が挙げられていて、一岡よりも遅くハロプロに加入したという、辻褄の全く合わないことになっている。
 その中でも、プロフィールに記載されていたグループ結成・ハロプロ加入日が最も大きな矛盾を含んでいたのは、おそらく℃-uteであると思う。℃-uteメンバーの場合、ハロプロ加入がハロプロキッズオーディション合格の2002年で、℃-uteというグループの結成とは直接関係ないということは上で既に述べたとおりである。また、グループ結成についても、Berryz工房が結成された2004年にグループは事実上できていたとも考えられる。実際2004年夏のハロコンでは後に℃-uteのメンバーとなる7人でパフォーマンスもしている。このように「グループ結成日」があいまいであり、さらにインディーズデビューや、アルバムでのメジャーデビュー、シングルでのメジャーデビューがそれぞれ異なっていることもあり、℃-uteは通常の記念日より9月10日を「℃-uteの日」として優先し、毎年祝っていた。それまでほとんど注目されていなかったグループ名発表の日(毎年特別なことはしておらず、イベントらしきことをやったのは2012年に生配信を行ったのみ)を「結成日」、さらには「ハロプロ加入日」としてにわかにクローズアップした理由は定かではないが、次の年、2015年の6月11日に横浜アリーナで10周年コンサートをする兼ね合いもあったのかもしれない(通常大規模会場でコンサートをする場合には1年前の予約が必要と言われており、2014年5月のオフィシャルサイトリニューアル時にはコンサートが決まっていた可能性がある。もしそうなら、6月11日を公式な「結成日」としたのは横浜アリーナのコンサートの伏線であったとも考えられる)。いずれにせよ、2005年6月11日を「グループ結成日=ハロプロ加入日」としたことで、同じハロプロキッズのBerryz工房とハロプロ加入日に差があるという、誰の目から見てもおかしいプロフィール記述となっていた。
 このように、公式ページにあるハロプロ加入日は全く合理性に欠けるもので、それは現在も続いている。そのことも手伝ってか、ハロプロにいつ入ったか、いつ「ハロプロの一員」になったかというのは、公式ページの記述に因るのではなく、それぞれのメンバーがどう考えているかに委ねられつつあるように思われる。上述のように、2014年にハロプロ公式ページがリニューアルされるまでは、ある種の「イニシエーション(通過儀礼)」によって、「ハロプロの一員」になったということが内外に示されていた。それの最後になったのは、2012年にモーニング娘。コンサートツアーの公開ゲネプロでつんく♂が11期メンバー合格者(小田)を発表したときのように思われる。2013年にグループ結成・デビューしたJuice=Juiceになると、そこらへんが怪しくなる。上述のように、Juice=Juiceがいつハロプロ研修生を修了したのかは曖昧なままで、メジャーデビュー発表のときもそのことに触れられなかった。また、その発表もつんく♂の録音メッセージによるもので、その発表が流されたハロ!ステのMCだったBerryz工房の徳永が、つんく♂本人が出てこなかったことへの違和感を漏らしていたのは今振り返ると示唆的である。皮肉なことに、そのような、ある意味恣意的とも見える「通過儀礼」がなくなり、公式ページによってハロプロメンバーがいつ「ハロプロの一員」になったか確定的に知らされるようになって以降、逆に「ハロプロの一員」という言葉の曖昧さが拡大したようにも思われる。
 しかし、全体としては、ハロプロ研修生からハロプロの各グループに加入したメンバーは、ハロプロ研修生に入ったときをハロプロ加入日として認識している傾向があるように見受けられる。これは、2012年以降、オリジナル曲を持ち、定期的にコンサートを行い、レギュラーのテレビ・ラジオ番組を持つなど、ハロプロ研修生があたかも一つのグループのように活動を行っている実情を考えれば自然なことのように感じられる。また、Juice=Juice以降、研修生内ユニットとして結成されたグループ(こぶしファクトリー、つばきファクトリー、BEYOOOOONDS)はメジャーデビュー以降も研修生発表会に出ており、研修生と各グループの違いが流動的になっていることも、メンバーの意識と無関係でないように思う。
 このことは言い換えれば、ハロプロとは各グループと研修生を包括した一つの組織であり、それぞれのグループに所属していなくても、研修生になった時点でハロプロの一員であるというふうに、ハロプロの概念が変わってきたと考えられる。つまり、ハロプロとはグループ・ソロアーティストの集合体であるという従来の考え方の下では、グループあるいはソロとしてメジャーデビューしていない人はハロプロのメンバーにはなれなかったものが、今の考え方ではグループに属していなくてもハロプロのメンバーであるといえるのである。冒頭に挙げた嗣永桃子の、グループのメンバーである前にハロプロのメンバーであるという言葉も、この考えに立てば十分理解できる。
 しかし、研修生もハロプロの一員であるというこの考え方は、Juice=Juiceの結成及びそれと前後して活発化したハロプロ研修生の活動形態によって始まったものかといえばそうとも言い切れない。なぜなら、その原型はハロプロキッズにあったとも言えるからである。Berryz工房及び℃-uteが結成される前から、ハロプロキッズという大枠には属しているものの、(音楽活動を行う)グループに所属しないままハロプロの一員として活動していたハロプロキッズの姿は、今のハロプロ研修生に重なるところがあり、実際ハロプロキッズをハロプロ研修生の前身と思っている人は多い(当然のことながらハロプロエッグを経由して)。こう考えれば、グループのメンバーである前にハロプロのメンバーであるという言葉が、ハロプロキッズ出身である嗣永の口から発せられたというのも偶然ではないのかもしれない。
 ただ、ハロプロ研修生とハロプロキッズの間には当然のことながら大きな違いがあり、その違いこそが今のハロプロの大きな問題点であると個人的に思っている。上で述べたように、ハロプロキッズは、ハロプロの構成員であることが明言されていた。したがって、2004年のH.P.オールスターズに、℃-uteはまだグループ名がなかった(≒グループが結成されていなかった)にもかかわらず参加していた。また、「タンポポ」や「プッチモニ」にモーニング娘。などのグループのメンバーが参加していたのと同様に、Berryz工房ができる前から「ZYX」や「あぁ!」といったユニットに参加して、何人かのメンバーはメジャーデビューし、ミュージックステーションなどの音楽番組に出演していた。
 それに対してハロプロ研修生は2018年のハロプロ・オールスターズに参加しておらず、これまで何らかの派生ユニットに参加してメジャーデビューしたという人もいない。つまり、ハロプロ研修生は、芸能界にデビューしている「スター」としては扱われていないのである。
 さらにハロプロキッズとハロプロ研修生で、個人的に大きく異なると思う点をもう一つ。ハロプロキッズが結成された時代は、ハロプロは「仲間」だという考えが支配的だったというのは前述のとおりである。ハロプロキッズの合格発表の番組生放送では、モーニング娘。のメンバーがキッズのメンバーを「仲間」に受け入れるという演出が行われ、2002年夏のハロコンではつんく♂の立会いの下、似たような演出が繰り返された。この「仲間」という考えは重要で、ここでの「仲間」は「芸能界で売れるために一緒に頑張っていこう」という意味での「仲間」である。つまり、かつてのハロプロは「売れたい」という一つの共通の目的を持った集団であった。
 それに対して、今のハロプロは一つの共通の目的を持った集団ではない。ハロプロ研修生はデビューそのものを目指していて、デビューを既に果たしているグループとは目的が異なる。したがって、集団として成立するためには、「ゲゼルシャフト」(「利益社会」)としてではなく、「ゲマインシャフト」(「共同社会」)という在り方が模索されているように思われる。しかしこういう「ゲマインシャフト」的な集団というのは、血縁に基づく家族などで見られるもので、いくらハロプロが家族的な集団だというアピールをしても限界がある。したがって、デビュー済みのアーティストが、一緒に売れたいという目的で集まった集合体としてのハロプロから、研修生も含めた家族的共同体としてハロプロという変貌は、色々と問題を孕んでいるように思うのである。

 

 

 

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