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春におもう

新型コロナウイルス感染症で世界中異変が起きてもう3か月目に入るのか。


次男は新学期を迎えてからまだ学校に行っておらず、新年度の教科書が学校から宅急便で届いたのだが、その中に校長の書かれた文章があった。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」をひいていた。


この本のことはエッセイ教室の山本せんせいから教わっていたので、内容は知っているが生物学者の文章とは思えない読みやすさ。翻訳が良いのかもしれないがぐいぐいと引き込まれる。


農薬散布により、美しい春が来た時、さえずる鳥はいず、新しい命が芽生えても死んでしまう。最初に被害を受ける小さな生き物たち。
その後人間にも影響が出てくる。そのことについて世界に向けて発信するために書かれた本だ。
コロナと農薬散布とは違うが、人間は自分の都合で世界を支配できると思うところがあるのではなかろうか?

自然との共存ができないといつか人類は滅びるのかもしれないと今回のことで思うようになった。

なぜなら次男との会話で以下の様な話になったから。

私 

「インドでは外出が徹底的に規制されたことで、空が美しく澄んだらしいよ。今までは光化学スモッグで薄汚れていたらしいけど」

息子

「それ言ったら、ベネチアでは観光客が来なくなったから、運河の水が澄んで魚やクラゲが運河に戻ってきて、今なら幻想的な光景がみられるんだってさ。つまり地球にとって人間が癌細胞みたいなもんってことなんだろうな」

本当に今回の世界規模のウィルス感染を経験して人間もまた、この地球の中のひとつの細胞なのだと感じる。
周囲との共存ができないといらないものとみなされて淘汰されてもおかしくはないのだろう。


「コロナとの闘い」という言葉をよく聞くようになったが、それだけに意識を集中していてはいけない気がする。
私たちがいかに自分たちの都合で自然を破壊して来たか、ほんの少し自粛するだけで自然が少しずつ蘇るのか。
世界規模の感染症が治まったとしても、また同じ行動をしていては宿主(地球)の寿命が短くなってしまうだろう。

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私の思うことと一緒の部分があるが、こちらの方の文章の方が数段、文章の技法も素晴らしい。


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!