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衛星都市の朝陽

最近、朝散歩がいい。
リモートワークもすっかり板につき、日課になっている。

自分を飽きさせないように、
ルートを工夫したり、散歩にも目的を持たせたり、それなりに必死だ。

そもそも、朝はきちんと朝陽を浴びよう、それが体内時計を起動させる術だ。というのを知ってから、優れない体調を元に戻すのは割と些細な習慣なのかもしれないと思い、散歩を始めた。

我が住む街は、いわゆる衛星都市だ。
つまり大都市と密接なつながりがありつつ、
一部の産業・生活機能を切り出して保持している都市のこと。
ベッドタウンとも言うのかもしれない。

毎日、衛星都市の朝陽を浴びながら、散歩をして色々なことを考えている。

衛星都市は非常に面白い。
長くそこに住む人の息遣い、新たな建物が立つたびに入ってくるミドルエイジ、その子供達。思いの外色々な世代の、色々な層の人間が生きている。

大都市の風合いもありながら、物理的にも精神的にもそこからどこか分離している感じもあり、当事者でありながら第三者でもあるその距離感が、いい。

僕は仕事に向かうとき、大都市に向かう。
大都市で培われる経験や人間関係や、そこで放たれる言葉や、
そもそも土地そのものについて。
その全てはどんどん内在化されていくから、
もはや大都市での働きを主観的に見てるとか、客観視できているかとか、
そういったことすら考えることもない。その余裕もない。

でも都市から少し距離を置いた所にいると、そういう空間にいる自分が、
また別の自分のように思えてきて面白い。
そういった場所で生きている自分をたたえたくなるときもあるし、
どうしようもなくて自己嫌悪に陥るときもある。

そんなことを毎朝、考えながら歩いている。
主観と客観を行き来できる衛星都市という場所は、非常に性に合っている。
土地的にも、常に人混みに対して主観モードになってしまう場所にいるのは、僕はきついんだと思う。だから、都市にそびえるタワマンとかは無理。
そこまで上昇志向もないし。高い所嫌いだし。

都市を客観的に見ること。
多分それは、今を客観的に見ることと、どこかで繋がっている気がする。

「衛星都市の朝陽」

群像とか、エゴイズムとか、フィクションとか、
僕が今関心を持っているテーマを、まるっと集約している言葉に思えてきた。なんか収まりがいいし、ひびきもいいし、独特だし、
次の作品のタイトルでいいんじゃないの?

これは今朝歩きながら思いついたジャストアイデアです。

この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。