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波乗り・臨死?・トリップ・救急搬送 🏥🚑

2022年某月某日

日没後のマジックアワー。
暗くなり始め、地元のサーファー達も上がり始める海。

「そろそろ上がろうかなぁ」と思いながら乗った一本でプルアウトに失敗して海底に頭を打ち付ける。ガーンというすごい衝撃。

↑のような失敗。。

海底に頭を打ち付けた衝撃で全身が麻痺(後に頸髄損傷の診断)+うつ伏せの状態でプカプカ浮かんでる最悪の状態。

何故か意識ははっきりしていて、痛みは感じない。
ただ、なんせ身体が動かない。

「ん?どうした? 身体全く動かないなぁ」の感じ。この状況で冷静さを保っている自分に戸惑う感覚も覚えている。うつ伏せ状態だから、海水はガブガブで飲み放題(後の肺レントゲンで分かる程度)。要は溺れている状態。

次第に苦しくなってきたけど、相変わらず身体は動かない。「これはまずいなぁ」と冷静に考えながら、しばらく?動かそうと試みるも無理。。。

手も上がらないため、救助も呼べないことに気がついた時、どう考えても無理。。。これはもう「しょうがない」なと。

そんな感じで、初めて自分の命を諦めた。
まーったく絶望感もパニック感もなく、怖いくらい冷静に。

命を諦めた瞬間、ほわーと身体?頭?が温かい空気のような、液体のようなものに包まれた「感覚」に陥る。

身体の奥から湧き上がる強烈なものではなく、強めだけど優しく包まれるナチュラルなハイ。今まで色々なものを嗜んできたけど、この感じは初めてだった。

その包まれる感覚と共に見えた?頭に浮かんできた?のはよく言われる「人生が走馬灯のように流れる」ではなく、家のリビングルームのソファーからいつも見る風景。

ダイニングテーブルに座り、TVの方を見ながら笑っているカミさん。
自分の隣にはそのTVの方を見ながら大爆笑しているいつもの娘ちゃん。
あー 幸せだなぁと思ったわけではなく、全体がほわーとした多幸感に包まれている感覚。

midjourneyのAIで作成

このまま多幸感に身を任せてしまいたい誘惑と共に感じたのは、違和感。何か異質なもの。何だろう?とその違和感に意識を自分で持っていくと

「このまま諦めていいのか?」と言われているように感じる。

「そうだな。よくないなぁ。」
と感じると、もう自分の意識はリビングにはいない。

意識がリビングから戻ってくると、岸にだいぶ近づいている波の揺れの大きさになっていることに気が付く。

このサイズだったら波のリズム(周期)に合わせて体を仰向けにできるのは?と思い、波のリズムに合わせて体を仰向けに何度か挑戦。

大きめの波が来た時に体をひねることを意識したことは覚えている。ただ、その時に体が本当に動いていたのかは覚えていない。

結果運よく体を仰向けにできた。
急いで深呼吸をしようとすると、また波が顔にかかってくる。
何度か繰り返していると、現実に意識が完全に戻ってきているのを感じる。

そのときに地元の某有名プロサーファーが気付き、彼の呼びかけで集まった合計4人のサーファーに浜まで救助。要請していただいた救急車で浜辺は大騒ぎ。 

あの違和感を無視して、多幸感に意識を振り切ったら多分そのまま。。。

臨死体験を体験できると言われているケタミン(k-hole)で、昔何度か味わった気になっていたけど、実際はちょっと違ったかな。確かに体外離脱して自分を第3者の目で冷静に見ている感覚はあった。

ただ、あのナチュラル+強めの多幸感は、今まで経験したことがあるケタミン、他のモノのそれとは全く違った印象。

自分が意識的に、または無意識で命を諦めるということに納得することが重要になってくるのかなと勝手に想像してます。

助かった時に何かしらの宗教に入っていたら、脇目も振らずその団体に全部お布施したかもしれない。

無宗教な自分が感じたのは、神とかではなくもっと何か大きなものに生かされているということ。

なぜ生きているではなく、生かされたと感じたのか?はわからない。
また、その体験でスピ系に走るということは自分の中では起きていない。

「なぜ生かされていると感じたのか?」
答えが出ないことは頭では理解している。
ただ、多分探し続けてしまう。
心には嘘はつけない。


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