<第28回>コロナ禍で考える「働くこと」                ~ 働くことの原点、働くことの意味

永守

 前々回は、コロナ禍での社会の方向性、前回はコロナ禍でのリーダーシップについて私も僭越ながら書かせてもらいました。
 今回も身の程知らずの3回目として、私も「アフターコロナの働き方」ということについて書くことにしました


 二番煎じの誹りを覚悟の上、こうしたテーマについて会えて筆を執る意図というのは・・・人間はこうした制約や不自由な生活に追い込まれることでしか、ふだんは気づかない、あたりまえの生活が送れていた幸せや、働ける楽しさに気がつけないからであり、そんな今だからこそ、コロナ禍によってあぶり出される原点、つまり生きることや、働くことの意味や本質を見つめてみたいと考えるからなのです。


 さて、コロナ禍の下、再三繰り返されている言葉の一つに「不要不急」という言葉がありますね。

エッセンシャルワーカー

 職業についても、世界では「エッセンシャルワーカー」という言葉で、市民が生きていくのに必要な仕事に従事している方々について、その役割の重要性についてスポットライトが当たっています。医療関係従事者は別にして、スーパーのレジ係、公共交通機関の職員、壊れた水道機器の修理人、・・・・社会を支える必要不可欠な仕事を担う方々については、どちらかと言うと、平時には付加価値の低い仕事としてあまり重視されない傾向にあるのに、コロナ禍においては、エッセンシャルワーカーとして、感染リスクを冒して市民の生活を守ってくれるヒーローとして考えられている、あるいはそう考えるべきであるというように思います。そこまで思わないとしても、「こんな時もリスクを負わなければいけない職業」として、「良く考えれば本当に気の毒」と少し申し訳ないような気にもなります。

ビニール袋

 ふだんなら、「あれもこれも全てのことをちゃんとやりたい」と考えがちな我々市民や企業に対して、感染リスクを最小にするために、優先順位を付けて、「そもそも社会生活を維持するために最低限のこと」以外は止めろ、休業しろ、あるいはリモートなどの代替手段で対応しろというのが社会的な要請ということで世の中が動いています。

 こんな「そもそものこと」を考えたり、朝起きて寝るまでの一日を思い浮かべて、必要不可欠なことは何かを誰もが考えさせられているのは、2011年の東日本大震災以来のことです。しかしあの頃は、今と同じように「全ては変わった」というような「構造変化」を感じさせながら、結局は東北地方だけが被災地として苦難を何年も背負い続ける一方、それ以外の地方は一過性のものとして、「そもそものこと」を自問することも忘れ、消費生活に逆戻りし、いつもと変わらぬ生活、企業活動に戻ってしまったのでした。

 しかし今回は、これから全世界で、そして継続的に続く新型コロナウイルスとの闘い、またそれに続く新たなウイルスの出現が予想されているだけに、今度こそ「全ては変わった。そもそも何が重要なのか、どう対応していけば良いのか」を社会全体で真剣に考え、実行しなければならない、という認識になっているように思います。

 エッセンシャルワーカーの方々に関して感ずるこうした感情は、戦後の社会においてどんどん豊かになってきた過程の中で忘れられてきた感覚です。
 これまで付加価値の大きさとか、その職業に就く難易度で判断されてきた、そしてそれが賃金の多寡として格付けされてきた職業に関する一種のヒエラルキーが緊急事態時にはガラガラと音を立てて崩れ去っていくかのようです。

 産業であれば一次産業、二次産業、三次産業と経済の成熟化に伴って広がっていき、不可逆的に重点が移ってきた時の流れが、危機に際して、一挙に一次産業の、衣食住の「食」に逆戻りしてきたような印象さえ受けます。太平洋戦争末期の食料不足の時期に、一番社会的に盤石だったのが農家であったことを想起させます。

画像6

 「休業要請」の名によって、エッセンシャルワーカーの話だけではなく、例えば商店街のお店一つひとつに対して、不要不急なものは閉店すべきである、といった社会的なプレッシャーが存在しており、誰もが、万事原点に還って、「社会にとって何が必須なのか」という尺度に立って判断せざるをえない状況です。

 誰もがきっと、職業、働くこと、働き方、そうしたこと全てにおいて、自宅からのテレワークを続けながら何かしら考えているのではないでしょうか。

 考えざるをえないのは、「全てが変わった」からであり、「全てのことについて、そもそもの意味、本質を考え、見直す」ことが必要なのだと思います。テレワークの普及により、浮いた通勤時間という贈り物を有効活用して、各自が考える時間を点から授かっているとも言えましょう。


 さらに、切迫した気分の中で、馬鹿げた社会の仕組みが新型コロナウイルス対策の障害になっていたりすることに腹を立て、前例踏襲の手順ではなく、物事の目的に立ち返った「本来あるべき姿」(例えば下記の具体例)に一日も早く、「つべこべ言わずに」なって欲しいと心から願っているのではないでしょうか。
 “What” だけでなく”How“ についても、一つひとつの手順が、そもそもの原点に還って「そのプロセスは必要なのか」が問われるようになっているように思います。

 例えば、様々に張り巡らされていて、これまでも緩和が叫ばれていながら何も変わらなかった「規制」の問題、医療についての面倒な手順、お上からの支給金の給付事務、申請に関する前時代的な仕組み、会社の中で21世紀になっても依然残っている紙の書類・捺印の習慣、日本だけの年一回の新卒一斉採用・・・・、リモートワークが突然のように救世主として市民権を得ている状況の中、今までの古臭く、意味の薄い仕組みを、社会全体の総意で潰しにいっているような気がしているのは私だけでしょうか?

 そうして、こう呟くのです・・・「やればできるじゃないか」と。


 地球環境の問題についても、少し変化の兆しがあるように思います。

 スーパーのレジ袋にもウイルスが付着して長い間不活性化しない・・・とのことで、エコバッグの持参などの動きも加速しているようです。地球温暖化など地球環境破壊の運動については、目先のコロナの脅威がはるかに勝っているため、SDGsもグレタ・トゥンベリさんへの興味人の口の端にのぼることはめっきり減りましたが、アフターコロナに言及する識者の発言からは、コロナ禍自体が地球環境の破壊という文脈からの流れであることが示唆されており、いずれにせよ人々も少し冷静になってみれば、経済優先よりも、もっと大事な社会全体で取組まなければいけない課題として、今度こそ絶対的に重要な課題として認識されるようになるのではないかと予想しています。

地球

 さて、上記のようなコロナ禍からの様々な連想とは別に、経済、あるいはビジネスの面で、人々大いに驚かせた記事が日経新聞の4月21日に掲載されました。
 それは日本電産永守会長兼CEOへのインタビュー記事です。

 永守氏は、コロナ禍について問われ、
 「どんなに経済が落ち込んでもリーマンの際は『会社のために働こう』と言い続けた。だが今回は自分と家族を守り、それから会社だと。従業員は12万人以上いる。人命についてこれほど真剣に考えたことはない」

 とし、
 「今は見えない敵と戦う第3次世界大戦だ。・・・」
 と位置付けた上で、インタビューの最後のへの問いについては、
 「利益を追求するだけでなく、自然と共存する考え方に変えるべきだ。地球温暖化がウイルス感染に影響を及ぼすとの説もある。自然に逆らう経営はいけない。今回は戒めになったはずだ」
 「50年、自分の手法がすべて正しいと思って経営してきた。だが今回、それは間違っていた。テレワークも信用してなかった。収益が一時的に落ちても、社員が幸せを感じる働きやすい会社にする。そのために50くらい変えるべき項目を考えた。反省する時間をもらっていると思い、日本の経営者も自身の手法を考えてほしい」 
 と、述べています。

 数々のM&Aを行い、全てを成功させてきた、ビジネスの鬼とも言うべき永守氏が、「利益至上主義」が曲がり角に来ていると言うのですから、氏のことを少しでも知っているビジネスパーソンは腰を抜かさんばかりに驚いたわけです。

 個人的には、もちろん永守さんがシビアな経営者であると認識してきたものの、「絶対に『リストラ』はしない」と公言する姿勢、但し、それ自体も、給与水準の引下げ、コストを究極まで抑えるケチケチ経営によって達成されることであることに変わりはないのですが、それでも「経営」というものは、そうした厳しさと、そして厳しさの上に実現される企業の収益性の回復、そしてその帰結である給与水準の回復や企業自身や従業員の自信といったものを前向きに評価してきたので、多分腰を抜かしそうになった方々に比べると、驚きは少なかったのではないかと感じます。

 先日、ある、高校・大学の先輩とリモートで雑談していて、その先輩が、「永守さんは凄く真面目な人で・・・」と語ったときに、何だか腹に落ちたような気がしたものです。

 永守さんが、という主語を「日本の経営者、あるいは為政者が」と言い換えても良いように思います。学歴には恵まれなかったけれど、常に社会の流れに敏感で、終には自分で大学まで設立してしまった氏は、これまで「四の五の」言っていた日本の経営者や為政者の先駆けとして、コロナ禍のようなショックが今後も頻発するかもしれないという外部環境の変化、とりわけ自然環境、社会の変化に対して、真剣に対峙せざるを得ない。変えなくてはいけないことは変えるのだ、という独白のように、希望的観測も含めて私は考えたいのです。

 永守さんの発言の中で、特に私の心に刺さったのは、「テレワークも信用してなかった。収益が一時的に落ちても、社員が幸せを感じる働きやすい会社にする。そのために50くらい変えるべき項目を考えた。」の、

・「テレワーク」
・「社員が幸せを感じる働きやすい会社」
という2点です。

テレワーク

 前者は、大学で「インターネットビジネス」という授業も教え、今後まだまだドラマチックにITの進歩、活用が社会を変革していくとの確信を持っている私としては、日本のコンサーバティブな経営者たちも、終に「心から」ITの活用を図らればならないと考えることになるということであり、
 後者については、「社員の幸せが会社の成長をもたらす」という、昨年11月に起業した「人財育成」×「経営コンサルティング」によって企業ごとの課題解決に寄り添う「ターンアラウンド研究所」の理念とピッタリ一致するからです(最後はまた「我田引水」となってしまいました・・・笑)。


※上記書き終わった後、4月27日(月)の日経朝刊の第一面に、「配当より雇用維持を~コロナ対応。機関投資家が転換」という記事が載っていました。社会が動き出したのですね。


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/  小寺昇二>

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