<第18回> 「経営人財」の育成の仕方  ~ 全ての日本企業には「改革」が必要であり、そのための「人財」育成が喫緊の課題


 最近、「GAFA」という言葉がすっかり日本人の間にも定着しつつあり、同時にこれまで大手を振って言えないような、「どうやら日本はIT産業で完全に米中に後れをとっているようだ」ということや、もっと踏み込んで、「日本企業の技術は依然世界に冠たるものであるということも既にあやしくなっている」ということも平気に語られるようになってきたように思います。
 私も、一昨年の6月からGAFAに関する企業分析、つまりその斬新なビジネスモデル、今後の発展性についてネットメディアにおいて半年にわたって連載し、それが折からのGAFA本ブームの「二匹目のドジョウ」を狙うある出版社の目に留まって執筆(共著本)を依頼され、https://www.amazon.co.jp/%E5%BE%B9%E5%BA%95%E7%A0%94%E7%A9%B6-GAFA-%E6%B4%8B%E6%B3%89%E7%A4%BEMOOK/dp/4800315980 改めて日本企業と米中企業との彼我の差を痛感させられたのでした。

GAFA本


 同書発刊の時期には、GAFAに関する個人情報の取扱いや納税に関する批判が渦巻く時期で、「GAFAの興隆もこれまでではないのか?」という疑問が私に対しても投げかけられたものです。しかし私は、「既に他社が対抗できないプラットフォームを構築してしまっており、さらには潤沢な剰余で投資を続けていて、まだまだ発展していくに違いない。もちろん統制が強まったり、納税額を増やしたり、といった当然のことはしなければならないだろうが、そもそもトランプ政権も『アメリカ・ファースト』なのであって、米国IT巨人の覇権を揺るがすようなことはしないだろう」と言っていたものです。
 まだまだ世の中は流動的ではありますが、私が予想した通り、数々の統制強化が整理されながら実行されようとしている一方、GAFAの売上、利益は拡大し続けており、時価総額の増加にも陰りはない状況になっています。

 GAFAバッシングのさ中には、一時的に留飲を下げた日本のハイテクを中心とする大企業も、「では、どうするんだ」とようやく地に足の着いた善後策を考えなくてはならなくなっているような気がします。

 いよいよ、日本企業も、「改革」を本腰を入れて実行していかなければならないのです。

 世界を相手にしているグローバル企業はもちろん、ドメスティックな産業・企業も全て、「先進国の中で、ここ数十年全く経済成長していない国」「給与水準も、物価も東南アジアの国々にもいずれ追い抜かれかねない」この国の中で、「改革」を実行していかなければならない、それが今の時代の正しい認識なのだと思います。

 日本企業が米中企業に後れをとった要因は、簡単に言ってしまえば「リスクを取って投資を行う果断さ」の欠如とか、「失敗しながら創り上げていくイノベーション」の欠如などだと私は考えています。
 実際、9回に上る転職経験の中で見てきた日本企業の状態は、

 「変革期に必要な抜本的な経営戦略がない、あるいは、あったとしても実行する気がない、能力がない」

 というものでした。
 
 個人的には、「ターンアラウンド」(抜本的な改革)という名前を冠した研究所をこしらえてしまったように、9回の転職の過程でも、入る会社入る会社で、「改革」あるいは「改革的な」ことを、趣味的にも(本来業務とは別に自分から始める仕事)行ってきながら、常に

 ・「どうやったら、日本の会社は改革できるのか?」
 そして、その解決策の前段階としての疑問である
 ・なぜ「日本の会社は(抜本的な)改革が出来ないのか?」

 ということを考え続けてきました。

 その結論は・・・・・ ありきたりの答えですが、「つまるところ『人』の問題である」というjことです。

 但し、「人」と言ったときに、会社全体の役員、社員全てを包含してしまう危うさがあるわけで、一体「どの階層の、どんな人が、どう不十分なのか」を明確にする必要があると思います。

 この点、2009年に発刊して3版を重ね最近電子書籍化された拙著(プロスポーツチームの経営改革を、実際に行った千葉ロッテマリーンズの球団改革を例示しながら解説したものhttps://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E2%80%95%E5%8A%87%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8E%E7%9B%8A%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%AB%98%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%AF%BA-%E6%98%87%E4%BA%8C/dp/4532490510 )では、改革のための「人」の問題として、

 ①経営トップ、②ミドル層、③一般社員の3つに分け、その役割について

 ①「経営トップ」~改革に対し揺らがない「コミットメント」を示す。特に、リスクを取って投資を行うことが重要
 ②「ミドル層」~改革のプラン策定、実行を行うためのスキルと情熱を持ち、改革チームとして機能する   
           (経営人財)
 ③「一般社員」~(付和雷同で良いので)改革が動き出したら、できるだけ危機感を共有し、改革に参画する

 というように説明しています。

スポビズ本


 外国の会社ならば、トップのリーダーシップだけで改革を推進するということもないわけではないでしょうが、コンセンサスが重視され、現場の力が強い日本企業の場合、上記のような形で改革を動かしていった方が実効性があるように思うのです。


 では、ある程度求められる「人」の姿については上記の「経営トップと経営人財である」とイメージ出来たところで、実際にどのように、そうした「人」=「経営トップの人財」と「経営人財」を質量共に確保していけば良いのでしょうか?

 より具体的には、
 ①サラリーマン社長でない経営者(社長or CEO)
 ②改革を実行していける経営人財

 をどう採用・育成していくのか、ということになります。

① (経営トップ)については、まず改革の時代(戦時)には、平時のように優等生的な経営トップは相応しくない、どころか改革の害悪になるという認識を持つべきだと思います。良く、出世レースについて「マラソン」がイメージされてきたのがこの日本の産業社会ですが、マラソンレースの過程の中で、失敗した人間は脱落し復活のチャンスも与えられず、選別されて最後に社長に上り詰めた、リスクを負わない優等生的な人物なんかに「改革」なんかできない!それこそが、「失われた20年、30年」の原因であったと認識すべきです。

 戦後まもなく設立された、現在の多くの大企業も、創立時は当然ベンチャー(企業)であり、経営者は「特別なもの」として、創業者一族、あるいは外部から招聘、または若いうちから経営者の近くに置かれて帝王学を授かる・・・というようなことがあたりまえに行われていたのです
 有名な話では、例えば、私が最初に勤めたD生命という会社の第2代社長の石坂泰三は、創業者に見染められて当時の逓信省を退官後D生命社長となり、その後東芝社長に就任、そして国策会社として設立されたアラビア石油の初代社長にもなりました。またソニーの創業者井深大、盛田昭夫は、芸大生だった大賀典雄を後の社長に抜擢した、というようなことも有名な話です。

 最近でこそ、一部で「プロ経営者」というものが脚光を浴び、経営者というものが、一般の社員や役員とは全く違うのだという認識も少しは広がってきているように思いますが、実際、「経営改革」を成し遂げるような名経営者というものは、早くから帝王学を授けられた特別な人物か、子会社や海外子会社で苦労し、本体の不調によって呼び戻される、というようなケースが増えてきています。

 私が大卒後に入社して22年勤めた上記D生命でも、私の入社後今に至る5代の社長は皆飛び切り優秀で立派な方々でした。5人の内、一人は直接の上司だったこともあり、また他の方々とも大変親しく接しさせていただいたので良くわかります。ただ、社長以外の役員はどうだったのか、と言うと、正直皆さん人物的には素晴らしかったり、それなりの手腕はあったと思うのですが、やはり社長になった方々との「意識の差」はかなり大きいような印象を持っています。逆に言えば、経営トップの重圧というものはとんでもなく重たく、その責務を全うすることは普通のサラリーマンでは荷が重いということなのです。
 ただ、D生命の場合、優秀で立派な(私の好きな言葉で言うと、「私心のない」)社長は、後継者としても同様に優秀で立派な(私心のない)人を選んできた、シビアに言うと、「とにかく社長だけは優秀だった」というのが、退職後20年を経過したOBとしての感想です。


②の経営人財=「改革の担い手」たる人財については、2つの資質が必要であるというのが私のビジネス体験に基づく持論です。

 その2つとは、「知性と情熱」の2点です。

 ここで、知性というのは、課題を発見し改革策を策定し実行する「スキル」と言っても良いでしょうし、情熱というのは、不退転の覚悟でもって改革を実行していく胆力を指します。いずれにせよルーティーン業務をミスなく効率的にこなしていくといった「秀才的」なスキルではなく、何もないゼロの大地から何かを作り出していく「事業開発型の人財」であることが必要です。

 ただ、私の経験からすると、この事業開発型の人財というのは、日本の企業においては希少財と言って良く、多くの場合、「優等生的なエリート」であるよりも、「マイペース」だったり、自分の正しいと思うことを遂行しようとする「サムライ」だったりします。スキル自体は学ぶことによってレベルアップが図れるのですが、意識といった「マインド」の問題はその人の育ち方や才能、性格に大きく依存しているため、(ベンチャーならまだしも)大企業では「変わり者」「出来ない社員」のレッテルを貼られて、燻っている場合もあるのです。
 数年前に、「シン・ゴジラ」という映画が大ヒットしました。ご覧になった方も多いでしょう。
 シン・ゴジラに対抗するために集められたチームのメンバーは、それぞれの役所で燻っていたアンチ・優等生たちでした。実は、ああいう人財こそがこれからの「改革の時代」「イノベーション」に力を発揮する人財なのかもしれないのです。

ゴジラ

 スキルだけではダメなのです。

 ある意味、KYになって、社内の反対勢力や既得権に対峙していかなければならない局面があるからです。私は、そういう力を「情熱」と呼んでいるのですね。
 そして、そうした意識は、「志」といったエモーショナルな表現でも良いと思っています。リスクを取って、自分が潰れても会社を良くしたいという気持ち、それこそが重要な改革のドライバーなのです。

 通常、新卒の採用段階で、事業開発人財かどうかを見抜くのは至難の業です。
 入社後ある程度仕事の実績を挙げてきた段階で、そうした人財を見極めた上で集め、改革の担い手として育成していくことが肝要でしょう。もちろん「業務スキル」や「経営」に関する教育も必要です。そして同時に、社内を回していく戦略・戦術も学んでいく必要があるでしょう。

 では、そういう意識・志はどうやって醸成しいていけば良いのでしょう?

 実はこれって、本当にハードルが高いことです。最初から社内の「サムライ」を見出し、改革を委ねるというのが一つの方法ですが、まずその前に、経営者の危機意識や、現在行われている経営戦略に対して共感してもらう、内容でなく、その中に込められた意図=情熱を共有してもらうということがスタートになります。このnoteで何度も出てきている「エンゲイジメント」ということですね。

 会社の来し方行く末にコミットして、一緒に会社を良くしていこうという覚悟、気概と言っても良いと思います。


 最後に、改めて強調しておきたいと思います。
 「経営改革は経営人財の育成とセット」なのだ、ということです。


 さて、私が最初勤めたD生命ですが、現在の社長は、8歳年下、4年前に日本の大手金融機関としては最年少の53歳で社長に就任した「Iさん」です。

 彼とは、彼がエコノミストをやっていたときに同じ部門で仕事をし、私が若手の経営人財育成のために5年間運営していた勉強会のメンバーでした。私が何を教えたということはないのですが、とにかく若手で経営人財になりうる人財を探していたときに最初にメンバーになってくれた人物でした。
私が会社を退職してからは一度も会っていませんが、彼はとびきりの若い社長として、会社のグローバル展開や保険商品の人工知能を使った革新など、次々と同業他社ではやっていない分野にも進出しています。


若干の先輩としていつも嬉しく外野席から見守っています。


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/ 共同代表 小寺昇二>

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