<第29回>コロナ禍での在宅勤務(リモートワーク)に強い違和感を感じるあなたへ  ~ 将来の働き方のシミュレーション


 緊急事態宣言での外出自粛要請によってリモートワークを行うビジネスパーソンが増えています。そうした状況の中、知人の中にも「リモートワークは地獄」とか、「強い違和感あり」という人が結構いるようです。
 もちろん、家にいる時間が急に長くなったわけで、テレカン、リモートでの勤務管理、メールやチャットがメインの働き方・・・こうした新たな経験について、「アフターコロナのリモートワークは新しい働き方」といった現象面だけの表層的な捉え方は、面白くないなぁ、と思うのです。もう少し、深く考えてみたいと思います。

ライフシフト

 こうした違和感を表明する人に対して、「こんなの前からやってますよ」と言う人たちも多く、それは普通「フリーランサー」そして税務的には「個人事業主」といった形態で名称で呼ばれています。

 私の場合は、今の身分としてはフリーランサーにはカテゴライズされない、本業が大学教員のポートフォリオワーカーということになるのだと思います。コロナ禍の前は、週に3~4回通勤(通学とは言わないようです・・・笑)し、他の曜日(土日、祭日を含む)と、夏休み・冬休みは、大学に関係ある仕事(教育、研究、そして多少の雑用)をしながらも、他の仕事もしているわけです。通勤の電車の中でも、カフェでもPCでしょっ中仕事をしていますし、出勤日であっても、大学に関係あることだけでなく、他の仕事もやっていて、土日、祭日も逆のこと、他の仕事もやっているけど大学の仕事もしているというわけです。色んな仕事が融け合っていて、ベースになること・・・例えば、情報収集なんかも、大学での仕事にも関係あるし、人財育成とか、スポーツビジネスなんかにも関係があるということになっているわけです(大学で、「スポーツビジネス」も教えていますし、大学教育人財育成事業も極めてシームレスです)。

電車車内

 ですから私は、もちろんオフラインで人と会う頻度が著しく減っているといったことについては、「普通でない」と感じますが、リモートワークそのものには違和感をあまり感じません。ましてや何が「地獄」なのかは理解不能です。恐らく「今までのオフライン一辺倒の仕事のやり方とは違うので疲れる」といった直観的な本音かとは思いますが・・・。

 では、今回のタイトルにあるように、リモートワークが日常化している昨今、リモートワークがリモートワークという新しめのツールに慣れるという意味だけでなく、「来るべき新しい働き方のシミュ―レーション」と私が考えるのは、如何なる観点からなのでしょう?

 下記3点で説明したいと思います。

 ①時間の使い方 
  同じ時間に始業し、1日の労働時間の目安が定められている、といったこれまでの働き方では、仕事の評価は多かれ少なかれ「時間給」的なもので測られることになります。昔カール・マルクス(大学の専攻は「マルクス経済学」でした)が言った「労働力の商品化」と言うような世界です。労働者が時間で労働力を会社に提供し、対価として報酬を受け取ります。日本でも欧米的な成果主義の考え方が入ってきて、拘束時間だけでの評価ではなくなってきていますが、昨年の「高度プロフェッショナル制度」の導入論議でも、企業側だけでなく、労働者側にも、時間給的な労働に対する考え方が日本では支配的であることが明確になっているように思います。
 一方、リモートワーク的な世界では、時間拘束という意味合いは極めて薄くならざるを得ない、かと言って成果主義オンリーの人事評価は日本においては過去上手くいったためしが無いので、新たなパラダイムが生まる必要があるのはもちろんです。

時計

② 会社と従業員の関係性の変化
 結論を先取りして言うと、時間に縛られないリモートワークでの仕事のスタイルは、会社と従業者が「エンゲイジメント」という形で結びついた、共存共栄のパートナーとしての関係へと進んでいくでしょう。従業員は働いた成果(「アウトプット」や「アウトカム」)で会社に貢献し、会社は従業員の成長にコミットし、互いに成長していく・・・という美しい関係です。
 しかし言葉を換えれば、「決められた時間、働いているんだから、文句ないだろう。仕事はこの程度、この量と、質でまあいいだろう」といった安易なものではなく、ベストを尽くし会社の成長のために貢献していくと言う、従業員にとっても甘えを排したそれなりに厳しい、プロフェッショナルな世界です。
 
 従業員が時間の使い方と、そのベースになる仕事のやり方について、裁量が大きい状況の中で、自由に主体的に、自分のやり方で成果を出していく、それが「仕事のやりがいに繋がるというわけですね。
 ただこれって、言うは易しですが、かなり厳しい世界です。

③公私の区別
  私が若い頃、働いていた会社の尊敬する先輩で、「就業時間が終わったら、一切仕事のことは考えないで、自分の興味のあることをやる。その代わり就業時間中は、必死に仕事をする」と公言している方がいました。その時は、「自分の時間も充実していていいなぁ」と思ったものですが、1回目の転職をした2020年以降は、「それは違うのではないか」と考えるようになりました。

 守秘義務は守るという範囲の下、公私混同、美しい言葉で言えば「公私融合」こそが今後の公私のあり方ではないかと思うようになったということなのです。
 冒頭で書いた、本業と副業が融け合っていることもそうですし、友人・知人とコラボレーションし楽しみながら成果も挙げる・・・イヤらしい癒着関係とか、強制力ではなく、軽やかに「ボーダレス」に各々の仕事のポートフォリオの壁を乗り越え、仕事と家庭やプライベートが相乗効果をあげながら良い方向で進んでいく、そんなことが新しい働き方の姿であり、現在フリーランスで働いている方々も実践している形態なのだと思います。

 要は、私の大好きな本、2016年のベストセラー「ライフ・シフト」https://www.amazon.co.jp/LIFE-SHIFT-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88-%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80-%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4492533877  で描かれている世界なわけです。

 どうですか?
 ちょっと飛躍し過ぎた将来像でしょうか?コロナ禍が過ぎ去れば消えてしまう勤務形態なのでしょうか?私はそんなことはないと思っています。

 例えば、40代、50代、そして定年延長により同じ会社で働いている60代の会社員の方々も、役員に運よくなれた方を除いて、定年後には、よっぽど実力があって起業する、ということや、よっぽどユニークなスキルがある場合を除いて、また社員として企業で雇用される可能性は低くなります。
 多くは、個人事業主として、企業と委託契約を結んで仕事をしていくといった形態が、選ばれることになるでしょう。企業にとっては「雇用」という種々のコストを払うことになる形態よりも、委託契約という形態を採れば、高齢な人に「仕事をしてもらう」ことについてのハードルが低くなる、つまり働き手である高齢者にとっても働くチャンスが増える、ということになります。

定年

 私も、シニアの方々の定年後の仕事についてコンサルティングする場合には、最初から「社員とか役員」とか考えないで、まずは個人事業主として企業の欲しいサービスを提供するようなことを考える方が良いとアドバイスします。個人にとって、委託契約で企業や他の個人に提供できるサービスも一つの種類だけではなく、複数の方が望ましい、またサービスも企業のニーズに合わせてフレキシビルに変化・対応させていくのが良い、と言います。
65歳以上であれば年金収入もありますし(個人事業主だと、年金と個人事業主としての所得の合算計算による減額はない)、費用計上も出来るので、企業や個人にサービスを提供した対価である報酬についても金額面でのハードルを下げることが出来ます。

 そして何より、企業に雇用される「宮仕え」の身分から解放され、自由な意思と裁量で主体的にビジネスライフを送っていけるのです。

 そうした時のために、今回のリモートワークは格好のシミュレーションだと思うのです。

 大企業に勤めている方々も、違和感なんか感じている場合ではないのです。

 コロナ禍でのバズワードを使って表現すれば、「リモートワークは、働き方についての『集団免疫』」みたいなもの」ではないでしょうか?皆が、こうした働き方に違和感を感じなくなっていけば、新しい働き方、会社と働き手の関係性も大きく変わってくるように思うのです。


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/  小寺昇二>

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