<第24回>「社畜」という言葉こそ聞かれなくなったけど  ~ 社会人になってすぐ、ゴルフ、カラオケ、時代小説はタブーとした私が今感じること

 「社畜」という言葉は、1990年の流行語だそうですから、かれこれ使われだして30年が経ったようです。「働き方改革」が叫ばれる今の時代、平成の時代の終焉と同時にそろそろ完全に死語となるべきだと思うのですが、令和という新しい時代の会社と社員の関係というものについては、きちんと再定義すべきであると私は思っています。
 
 そうしたことを考えるときに頭をよぎる、この「社畜」という、かつての日本の企業の社員と会社の隷属関係を揶揄した言葉を聞くたびに、新卒のときの「誓い」について思い出します。

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 初めて会社員になるときには、「毎日30分は必ず読書をするといい」とか、「会社も人で動いているのだから、人間関係に注意しよう」といった、教訓とか、目標とか、とにかくポジティブなことを掲げることが多いと思うのですが、私の場合は、ネガティブな形での「誓い」をしたのでした。

 その誓いとは、「ゴルフ、カラオケ、時代小説はタブーとする」というものでした。

 なぜこうしたネガティブな形での誓いとなったのか、それは今思うと多分高校生活、大学生活がもの凄く楽しく、本当は社会人になりたくなかったことが原因かもしれません。昔は、こういうのを「モラトリアム」と言いました。要するに、保護者の庇護の下、自由で、経済的な義務も乏しい中で、日々自分の好きなことをやっていきたい、束縛されるのを嫌う、あるいは「一人前の大人になる」ことを猶予してもらいたい・・・」という、はっきり言って子供っぽい甘えということですね。

 大学を卒業する直前に友人たちと、学生時代の思い出として小旅行をしたのですが、その時に友人から、「お前、ブスッとしていて不機嫌そうだな」と言われてハッとしたということがありました。恐らく、自分の中で、社会に出ることについて自分なりに懸命に消化しようとしていたんだろうと思います。

 新人研修を終えて、配属された職場第一日目のことです。満員のエレベーターで、隣の部署の先輩社員が同僚に「今度〇〇に入ったあの新人社員、顔つきがちがいますね?」話しかけて、その同僚(後に私の上司になります)が、私の方に顔を向けて、「ここに乗っているよ」と言ったのでした。

 もう40年も前のことなので、そのときの気分は全く覚えていないのですが、上記2つのエピソードを繋ぎ併せてみれば、私が入社前に一種の「覚悟」を決めて会社に入っていった、それが「ゴルフ、カラオケ、時代小説をタブーとする」というネガティブな表現での戒めのような言葉になったのではないかと思うのです。

 若いころの気分を表したある言葉を良く言っていたことも覚えています。それは、「朱に交わってもピンク」というものです。

 個性が強烈に強くて、会社組織のようなところではやっていけないタイプではないことを十分承知の上で、でも、「絶対に社畜にはならない。自分は自分として、会社と折り合いをつけてビジネスの世界を渡っていくのだ」ということだったのではないかと思います。

 このタブーがこの40年間で本当に守られたのか、その結果と、このタブーの功罪を振返ってみましょう。

ゴルフ

 まずゴルフです。ゴルフというスポーツ自体は、観るのも嫌いではないし、子供頃に父親が振っていたゴルフクラブを自分も振ってみた記憶があるように、決して興味のないスポーツではありませんでした。

・プレーすることによって、お互いを深く理解できる
・トップ営業に効果的
 と言ったメリットがあることに異存はありませんが、ただ、デメリットが多すぎます。

 ・休日の朝早起きし、渋滞の中での往復(丸1日潰れますね)
 ・高いプレーフィー
 ・過剰な農薬散布による自然破壊
 ・そして何より、ゴルフをやると上司、先輩に知られると、社内コンペへの参加、プレーのアレンジメントなど、とにかく休日の拘束がすさまじい
 ・スポーツをしない人でも出来るスポーツとして、サッカー(今もやっています)、テニスなど、よりハードなスポーツをやっている人間から見れば、フィジカル的に不満足なもの
 ・フィジカル的なことよりも、経験年数が物を言うスポーツ、つまりお金をかけることが可能なシニアが相対的に有利なスポーツ
 ・終電近くの駅のプラットフォームで傘を使って素振りの練習をしているビジネスパーソンが惨めに見える
 
 ゴルフって、即ち社畜そのものであり、ゴルフをやるということは、日本の会社という狭い社会を休日にまで持ち込むことになるわけなのです。
 もちろん会社とは関係ない仲間とプレーすることはOKだと思いますが、ひとたびゴルフをやるということが会社の人に知られると、社内コンペに出ないのは職場への背徳行為とさえ見なされかねない行為となってしまうので、「一切やらない」と明快にやった方が良く、実際、今に至るまで一度もゴルフをやったことはないし、それで良かったと思っています。ただ、仕事の中で、取引先との接待等で、ゴルフをやることが必須ということであれば、その期間だけやるのは仕方ないと思っていたのですが、幸いにしてそういう仕事に就いたことはなく、そうこうしているうちに、時代は変わり、ゴルフ接待の時代ではなくなりました。

 実際、40代の前半頃、当時の部長、次長から、「部の全員、ゴルフコンペに参加するよう」お達しが出たのですが、頑なに拒否したため、「君は俺の方針に逆らうのか」と部長に凄まれましたが、こちらとしては、嫌いだったその部長が余計嫌いになりました。
 そして、当時もう会社での自分の役割などについて疑問を持っていたさ中だったこともあり、「転職」(最初の転職)に踏み切った一つの要因になりました。今にして思えば基本的には良い会社なんだと思いますが、ゴルフの話以外にも社員にそういうことを強いるようなことがあり、会社の風土として、その会社に嫌気がさす決定打になったような気がします。
 転職後今に至るビジネスライフの方が、一つの会社でビジネスライフを終えることよりエキサイティングだったので、「ゴルフありがとう」あるいは「ゴルハラ」?の部長、ありがとう」なのかもしれません。

カラオケ

 2つ目のカラオケをタブーにした理由は、ダラダラ飲むようなことは止める、2次会には行かないという意思からでした。
 社畜になりたくないという考えと同時に、新卒時には「これからの時代、会社員も勉強していかないとサバイブできないよな」というのが私の見立てでした。
 但し、ゴルフをしない身で、歓迎会とか送別会のような、やはり相手への感謝とか思いのある場合に限り、参加して1曲だけ歌うことにして、「ピンク」は保ちました(歌うのは、「さそり座の女」のみ。中学が合唱に力を入れており、私自身音楽は得意な方なので、下手ではないつもりですが・・・)。とにかく、学校生活では、スポーツ中心の生活が長く、あまり勉強をする時間がなかったし、ビジネスパーソンとしてちゃんとやっていくには勉強が必須だと思い、ゴルフも含めてですが、ムダと思われることは「選択と集中」で切り捨てたいと思い、今までやってきました。但し、勉強だけではなく、所謂趣味も片手では数えきれないものをやっていますが・・・。

  時代小説をタブーにした理由については、奇異に思われる方もおられると思います。「司馬遼太郎で人生観が変わった」というような方も多いんだろうと思います。

 私は、時代小説は「面白過ぎるのがいけない」と思っています。
 
 ストーリー展開は波乱万丈、史実というバックボーンがあるのでリアル、そして何より、描かれる人物、人間関係から人生で学べる多くのことが学べますから、面白くてためになるのは当然です。
 しかし、学生時代、ちょっとかじった時代小説を読みながら、「これを読みだしたら、堅い本は読めなくなるな」ということに気づいたのです。大学生当時、例えば文学では、当時日本に紹介されだした中南米文学を読んでいましたし、他のジャンルでも、正座をして読むような中身の詰まった本を読もうと努力していました。
 これは多分自分の志向の問題だと思うのですが、娯楽色の強いもの、エンターテインメント寄りのものではなく、より中身のある、そう簡単に手に入らないものだとしても本物で、なぜ人間は生きるのかとか、成長していくことに役立つ物、を常に求めている、ということなのかもしれません。分かり例で言えば、テレビは見るのが大好きですが、バラエティ、ワイドショー、エンタメ系ドラマは一切興味がなく、ドキュメンタリー、ヒューマンなドラマ、ガチでのスポーツ中継ばかり観ているのです。

 それでも40代の頃、一度司馬遼太郎の「坂の上の雲」を手に取ったことがありました。しかし、途中で止めました。著者の「昔は気骨のある人間がいたんだ」というメッセージは分かりましたが、そこで描かれている人物像、そして何より著者が作り上げている思想というか考え方に、嘘というか、人を操作するような作為を感じたからです。傲慢な言い方かもしれませんが、著者の提示する世界観の薄っぺらさに我慢ならなかった、そして、「タブーにしてきた自分は間違っていなかったかも。ふだん本を読まないビジネスパーソンが、客観的な批評眼なく、こうした本を読むことによって良い気分になることの危険性も感じたのです(司馬遼太郎ファンの方、スミマセン。一つの見方です。。。ご容赦を)。
 
  ただ、時代小説については、年を重ねた今、解禁モードに入っています。偶々古本屋で見つけたある一つのシリーズを少しずつ何年もかけて読んでいます。肩肘張って生きてきた、これまでの生き方についても、少しだけ自由になれる時期になってきたということでしょうか。

時代小説

 このことについては、
・<第1回>人生100年時代と人財育成 ~ 企業向け研修サービス「ターンアラウンド・ラボ」を始めたわけ
・<第12回>「働き方改革」ではなく、「生き方改革」を  ~ 労働時間の短縮が目的ではなく、社員の立場に立った中長期的な働き方を構想する
・<第16回>「愛社精神」の行方 ~ 会社と社員の間にある特別なもの

などで書いてきました。

「社員は、会社の経営理念に共鳴しつつ、自立した社員として会社に寄りかからず、会社の成長に貢献しながら、自分の成長にも責任を持ち、会社は、社員一人ひとりをリスペクトし、社員の成長・キャリア形成をサポートしつつ、会社の成長の成果を社員と分かち合う」

そんな、どちらが偉いとか、偉くないとかではないパートナーの関係、即ち「エンゲイジメント」が基本という関係こそが今求められてる会社と社員の関係であり、そんな企業社会の実現に微力ですが貢献していきたいと思うばかりです。

握手


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/  小寺昇二>

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