<第26回>コロナ禍が企業社会に突きつけるもの              ~ 環境(と自然)、社会(と人間)、そして経済(と企業)


コロナ

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言などコロナ禍は身近な恐怖となり、世の中コロナ、コロナ一色になっています。暗い世相ばかりでは気が晴れないとばかりに、「ひょっとすると、これで全てのことが変わるんだろうな」ということで、「アフターコロナ」を論じる方も多いように感じます。

 (身の程知らずもにも)私もその一人で、このコラムでも、思うところを書いておきたいと思います。

 アフターコロナを論じるときに、ウイルスとの今後の付き合い方とか、テレワークの拡大など、対処療法的な対応はもちろんですが、今アフターコロナということで先を見ている方々に共通のキーワードは「構造変化」、つまり、これまで叫ばれていたのに諸々の理由で進みの遅かった「変化」が、否応なしに雪崩を打って顕在化しているように感じます。この感覚は、太平洋戦争直後や東日本大震災後などと同じように、「全てが変わるんだな」というような気分ではないでしょうか。

 緊急事態宣言のよる各種の自粛要請は、「人命尊重」と「経済」という2つの重要なことが時には対立構造になってしまうということを我々に突きつけているように思います。

 こうしたトレードオフの関係の中で社会の仕組みが変わっていくという傾向は、もう少し範囲を拡げて俯瞰してみると最近の世の中でどこにでも見られるようなの大きなトレンドと同じ流れなのではないかと思います。

地球とウイルス


 ウイルスというものが古の昔から地球上に存在していて、その変異の作用が、人類の進化にも大きな貢献をしてきた・・・つまり、ウイルスというものが人間社会と共存する、あるいは、人間様が生かしてもらっている、この「環境」(自然)の一部分であると考え「経済」と「環境」の関係という言葉に置き換えると、さらにこの「最近の大きなトレンド」が何かがわかるように思います。

 そうです、例えば「SDGs」ですね。

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 人間が人間らしく暮らせるより良き「社会」を実現させながら、地球「環境」にも優しい形での、持続的な「経済」成長を達成するための具体的な行動指針とその達成基準がSDGsなわけで、今回のコロナ禍が我々に突きつけているものは、「社会」「環境」「経済」の3つに調和が取れた世の中を今後どうやって実現させていくことなんだと思うわけです。

 こうした一種の対立構造、あるいはバランスということに関しては、2015年に採択されたSDGsで初めて出てきたテーマではありません。60年代、70年代の公害問題以降、社会が取組まなくてはならないこととして存在し続けたことであり、こと経済というものの中で見ても、経済成長の陰の部分としての経済格差の問題が最近クローズアップされていることとも平仄の合うことです。ともすると己の利益だけを追求する本性を持つ、資本主義経済のあり方についての見直しを求めているようにも感じられます。


 私の専門領域は、本コラムで筆を進めている「人財育成」以外にも、「スポーツビジネス」があります(2005年の千葉ロッテマリーンズ改革では経営企画室長として参加、2014年に日本バスケットボール協会が国際バスケットボール連盟から受けた資格停止処分のときは協会のアドバイザーとして2つのプロリーグの統合委員会の司会役、2016年からは自分が育った武蔵野市の横河電機ラグビーチームが市民クラブという要素を加え企業スポーツの新たな姿に生まれ変わるための運営団体のアドバイザーを勤めています)。

 もちろん、現在のコロナ禍においては、全てと言っていい多くの産業が何らかの影響を受け、社会的にも大きな不利益を被っていると言えましょうが、東京オリンピック開催延期を始めとして、生身の選手たちのフィジカルな競争、そして観客の集客というものが全くできなくなっている「スポーツ界」こそは、影響を大きく受けているものの一つの象徴のようにも思えます。

 試合、競技が全面禁止となっているスポーツ界は、今後一体どうなるのか?そして、目先の禁止や自粛の行方だけではなく、いつか必ず下火となるこのコロナ禍の後に来るもの、つまりアフターコロナ、あるいは今後何度も襲ってくることが明確になったウイルスの脅威下でのウイズコロナのスポーツ界のあり方について、関係者は考えざるを得ない状況になっています。

スタジアム

 私としても、どう考えたら良いのか、考えあぐねていたところなのですが、先週スポーツビジネス界(スポーツマネジメント界とも言います)の識者4人による、東京―をロンドンーニューヨークを結んだウエビナーによるシンポジウムを視聴し、何だか少し考えるヒントをもらえたような気がしました。

 そこで出ていたキーワードは、「ソーシャル・グッド」という言葉です。

 ソーシャル・グッドとは、社会を良くするような行いのことを言います。まあ、言葉は違えど、SDGsやESG投資とかいった言葉と同列の内容だと思って差し支えないでしょう。
 スポーツ産業は、産業の特徴としてステークホルダーが多岐にわたると考えられています。観客だけでなく、協賛してくれる企業、スタジアムやアリーナの保有者だったり何かと応援してくれる自治体、国、取引先、競技における協会、リーグ、メディア、そして選手や、コーチ、監督、チームスタッフ・・・・大変な数の人々がスポーツというものを支えており、よって公共性が高いと考えられているわけです。

 企業が「公器」と言われるように、一般企業は全て、プライベートであるだけでなくパブリックな存在でもあるわけですが、スポーツ産業の場合は、この公共性が、一般企業とは比べられないくらいに大きいのです。
 そうでなければ、オリンピックに公の莫大な資金を使って開催するようなことをとても正当化出来ません。企業が自社の商品やサービスによって、何らかの形で社会に貢献することによって、個人や法人に支持され、利益を出して、税金を払い、従業員を雇用し社会に貢献するのに加え、スポーツの場合は、注目され、応援し、大概は公共のスタジアムやアリーナを使わせてもらい試合は競技を行うことによって、夢を人々に与えたり、人々の絆を強めたり、感動というものなどによって生きる力を与えたりして、社会に貢献する極めて公共的な面のある産業なのです。

 さて、話をキーワードである「ソーシャル・グッド」に戻しましょう。

 試合が出来ないお手上げの状況の中で、選手、チーム、リーグ、協会は、それぞれ必死に考え、どうやったらファンに喜んでもらい、世の中に貢献できるのか、を実施する動きを始めています。有名選手が、ウイルスとの闘いに対して、寄付を行うと言ったニュースは沢山あるわけですが、それ以外にも、例えばJリーグが選手も加わった形でeスポーツのチーム対抗戦をやって、ファンたちに楽しんでもらうというようなことも行われています。

 直近の緊急事態宣言においては、影響力のある有名選手たちが「お家にいようキャンペーン」をネット上で展開していることも新鮮なニュースとして社会に受け入れられました。

 上記のシンポジウムで出てきたこの「ソーシャル・グッド」は正にそういうことを指します。単に競技面で勝つとか負けるだけでなく、影響力があり、万人に好感されるスポーツ産業自体が、「社会に貢献できることは何か」、とりわけ他の産業界とは違う己の特徴を生かした社会貢献、ソーシャル・グッドを行っていく、そんな要素がスポーツの「価値」(ブランドと言ってもいいかもしれません)を高め、場合によっては、そういうソーシャル・グッドな行いに対して、社会が支持し、企業が協賛し、企業自体の価値(ブランド)を上げていく・・・そんなスポーツのあり方を、スポーツ界全体が今後意識的に行っていかなければならない、集客も出来ない、本当に四面楚歌の状態だからこそ、スポーツ産業界も必死に今出来ることを模索し、アフターコロナ、ウイズコロナの時代にも通用する「新しいビジネスモデル」を構築していかなければならないのです。

 企業も程度の差こそあれ、状況は一緒です。
 SDGsでも、ソーシャル・グッドでも、言葉は何でも良いのです。社会の中で、どのように貢献できるのか、経済だけでなく、人間、社会、環境に配慮し、社会が少しでも良い方向に向かえるよう、ビジネスのやり方、会社のあり方を変化させていかなければならない、アフターコロナはそんな時代なのではないでしょうか。

 福岡伸一先生が、ウイルスというものは細胞を持たず、宿主(細胞の集合体、つまり生物)の中に元々いて、何かの具合で生物の対外に出て、そこで変異し、宿主に「里帰り」して、宿主の進化に寄与するものだと書いていました。

 もちろん、このコロナ禍は本当に悩ましく、大迷惑を社会に与える好ましくないものであることは間違いありません。しかし、そうしたものが引き起こしている今の状況が、様々な形で社会に好影響を与える一つのきっかけになること、そうした知恵が今我々、そして企業にも問われているのではないでしょうか。


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/  小寺昇二>

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