<第31回>「番外篇」追悼:ロッテ創業者重光武雄氏  ~ その凄みとロマン(2)

オーナー写真

     (写真出典:時事ドットコム)

※前回<第30回>「番外篇」追悼:ロッテ創業者重光武雄氏
 ~ その凄みとロマン(1)を未読の方はコチラ(https://note.com/turnaroundlabsk/n/n487f61bdaddd)

 前回に続いて、今回も「番外篇」、ロッテ創業者重光武雄さんについてです。

 前回、「マリーンズ改革が始まった2005年1月から、翌年の3月位まではほとんど全てのマリーンズ起案の投資計画が連戦連勝、つまり「オーナー」の了承を得た」ということを書きました。

 私は、球団改革の「ステークホルダー対応」、つまり親会社であるロッテ、そして千葉市・千葉県との関係構築・改善が主な役割であったため、上記の期間中は、週に2回程度は初台のロッテ本社に行っていました。
 隔月の御前会議で、提案した計画の全てがオーナーに承認されてしまうことはロッテ本社でも当然話題だったようでしたが、当事者である我々にとっては、球団の巨額の赤字を減少させるための合理的かつ抜本的な計画を策定し、達成させようと知恵を絞っているのですから、認められて当然という風に思っていました。

 但し、(9回転職している私でも)オーナー企業というものがどんな会社であるかは良く知らなかったので、「オーナー」はどんな反応をするのか、投資が伴う案件ばかりなので、本当にディシジョンできるのか?といった疑問があったのは事実です。

 オーナー企業というものについては読者の皆さん、実際にオーナー企業に勤めている方以外は多分良くわからないと思うので、多少解説しておきましょう。これはやはりロッテという会社にとってオーナー企業であるということが、この会社のDNAを決定づける最も大きな要素だからです。矢印(⇨)以降はマリーンズ改革に関しての注釈です。

 ①「オーナーの一存で全てが決まる。したがって、オーナーの考えに沿うものであれば、ディシジョンは極めて速い。」
⇨ マリーンズ改革の初期のスピード感はすさまじいものがありました。マリーンズがその後3年間で売上高を4倍にし、万年ビリの最悪球団から時には優勝を争い千葉の誇りと考えられる球団になるベースとなるフレームワーク~スタジアムの運営権・裁量拡大による球場・球団の一体経営を核とし、スタジアムへの設備投資、ゲーム運営改善、MD・飲食改革によるスタジアムエクスペリアンスの向上、IT・WEBを最大限活用したCRMによる営業改革~が、スポーツビジネスの日本での先駆者であった故広瀬一郎さん(私の大学サッカー部からの友人でありスポーツビジネスにおいては師匠)がマリーンズとコンサルティング契約を結び、前述の荒木重雄さん(当時事業部長~実質的なマリーンズ改革の中心。現在「スポーツマーケティングラボラトリー」の社長として、日本のスポーツビジネス界の第一人者。「サムライ・ジャパン」の発案、実行者としても知られる)を改革の中心としてマリーンズに入社させた2005年1月から、たった1年半程度の期間で作り上げ、決定されたのは、オーナー企業ならではのものでした。

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       (写真出典:千葉ロッテマリーンズHP)

②したがって「オーナーの琴線に触れる計画であれば、計画以上に突っ込んで支援してくれる。」
  ⇨ 2005年1月に荒木さんが着任して最初に着手したことは、「4月のホーム開幕戦で、観客数を前年の2倍にする」という目的を掲げることでした。そのためにスタッフを増強、チアリーディング、インターネット、広報の強化によって見事にその目的を達成したのです。その達成を手土産に、御前会議で更なるスタッフの増強、投資を訴えたときに「オーナー」はマリーンズからのさらなる投資計画を承認してくれたのですが(私が大学で教えている「経営」の中では、「改革の最初には『プチ成功』で意思決定者の信用を得よ」というのがあるのですが、正にそういうこと)、驚くことにチアリーダーの増強については、当方の希望人数(数字は忘れました)について、「思いっきりやったらいい、その2倍でやったらどうか」と背中を強く押してくれたのでした。

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(写真出典:千葉ロッテマリーンズHP)

③上記と裏腹の関係ですが、「時として合理性とは無関係なオーナーの感情や気分で物事が決められる。」
  ⇨ マリーンズ改革の当初凄まじいスピードも、2006年の半ば頃や2009年には、良く言えば「中だるみ」、悪く言えば、改革の中身が面白くないと考える勢力(まあ、世間的には反動派とか言いますが、マリーンズの場合はプロティクスでした・・・敢えて、ここではそうしたことには触れないことにします)の逆噴射で、改革が頓挫しかけるという危機がありました。「オーナー」の腹一つで全てが決まるのですから、「オーナー」に支持されるよう上手く取り入れば、それまでの組織的な一貫性が危機に陥るわけです(残念ながら、最近繰り広げられたロッテの後継者争いも似たような話です)。

④「オーナー企業では、オーナー一族は、会社を「自分の持ち物」と考える。」
  ⇨ ロッテグループのような大企業であれば、上場前であっても「公器」としての社会的存在であるというのが、一般通念であるかと思います。しかしオーナー企業である上に、韓国系財閥企業でもある同族支配がロッテグループの特徴でもあります。会社の資金は「俺の財布」なわけで、基本的には「ムダなところにはお金は出さない」ことが徹底され、御前会議でのディシジョンに関しても、基本的にはシブい、但し一方「これは行けそう」とオーナー自身が惚れ込んだ場合は、ドカーンと巨額の資金を投入するのです。韓国での石化事業への進出なども他の財閥の危機乗じて安値で買えたということはあったと記憶していますが、思い切ったディシジョンが出来たわけです。


 上記「①」の球場・球団の一体運営については「オーナー」の果断なゴーサインがマリーンズ改革を大きく進捗させたわけですが、正直そのゴーサインに関しては、マリーンズの改革チームとしては「ビジネスモデルが複雑なので、わかってくれるかな?」という危惧も持っていました。

 球場・球団の一体化経営は、民間企業が公の施設の運営を「指定管理者」という制度を使って利用者の利便性の向上、運営費用の削減を図る制度です。スタジアムについては2006年4月から日本で最初に我々マリーンズが受託するという構想であり日本に前例もなく、この制度を使った改革の全貌(ビジネスモデル)を理解しなければ出来ない御前会議でのOKのディシジョンだったのです。
 御前会議では私が説明をしたのですが、実際には、こちらの危惧も杞憂にしか過ぎず、途中で「もうわかった」という感じで話を遮られました。上記「②」のチアリーダーの倍増逆提案もそうですが、説明した側には「オーナー」の呑み込みの良い反応は心底驚きだったのです。

 しかし、これには実はバックグランドとも言うべき経緯があったのです。
それを私は、前回少し書いたスタジアムへの大きな投資着工の承認を得ようという韓国出張のときに気づいたことです。

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       (写真出典:大韓航空HP)

 出張申請作成時に懇意にしていた役員秘書に、出張日程を相談したら、「ロッテでは出張時は、移動は出来るだけ休日にするなど、仕事以外のことは一切無しなんですよ」と言われ、「まあ、そういう会社も多いよな」と思い(上記「④」にも関連、そして前回書いた接待費の伝票1枚1枚チェックしていたという話を想起)、許容範囲である娯楽を兼ねて「ロッテワールド」を「視察」に行ったわけです。
その時に、納得しました。
「そうか、『オーナー』は既に知っていたんだ」と。

 ロッテワールドと言えば、周りにはショッピングセンター、劇場なども敷設された一大アミューズメントパークです(ディズニーランドと同じです)。キャラクターのぬいぐるみ同様チアリーダーもいるわけですね。
コンテンツ(マリーンズで言えば野球)は、遊園地などの施設(野球で言えばスタジアム)の一体運営はあたり前なのですから、「指定管理者、理解してもらえるだろうか」などと御前会議の前に心配したことは全くの杞憂であったわけです。施設の所有権あってのコンテンツ活用ということは、やってる人にとっては自明のことだったのです。

 「オーナー」は球団社長(ロッテ本体の副社長である元国税庁長官の浜本英輔氏。マリーンズ改革の責任者)に常々「マリーンズの連中は面白い。とにかく説明がわかりやすいんだ」といつもニコニコしていたそうです。
商売人の厳しさによってロッテ本社で開催される御前会議ではダメだしの嵐・・・、しかし物事の本質を一瞬にして見抜くような会議での振る舞いによって社員に恐れられていた「オーナー」が、マリーンズの改革計画に対しては、いつもニコニコ聞いていて、全部承認してくれたということなのです。

御前会議 時事どっとこむn

       (写真出典:時事ドットコム)

 確かに、2005年当時、ロッテ本社の他の部門が作った御前会議の資料をチラッと見せてもらったことがあります。一応パワーポイントも入っていたのですが、何とそのパワーポイント部分は、大手広告会社が作成したもので、当時(と言っても2005年ですよ・・・)パワーポイントで論理的に説明するような部門はあまりなかったということを聞いて、驚いたものです(驚くことは一杯ありました・・・)。「オーナー」の顔色を伺いながら、重要なディシジョンは自分たちはしない、出来ない、という文化だったのでしょう。

方や、マリーンズの改革チームのメンバーは皆、ビジネスについてはプロフェッショナルの精鋭ぞろい、しかも、欧米に後れを取っている日本のスポーツ業界の振興を何とかしたい、そのためのベンチマークをマリーンズで作ってやるという志を持って、それぞれが前職高給だったり、組織のトップだったといった職を投げうって馳せ参じた面々なので、会議資料一つ取っても魂の入り方が違ったのだと思うのです。

 さて、そんなマリーンズの御前会議での計画(企画案)ですが、一度だけ却下されたことがある、それが今日のトピックでした。

 それは、具体的な、スタジアムの設備投資計画でした。
 既にマリンスタジアムの「指定管理者」になることを所有者である千葉市に要請するというディディジョンを下していて、さらには千葉市とのハードな折衝により、どうやら指定管理者に選任されそうという2015年9月頃の時点です。指定管理者の受託により、その裁量権を活用して、スタジアムに設備投資を行って、スタジアムエクスペリエンスを向上させ、スポンサー協賛が獲れる仕掛けのレベルアップ(VIPルーム改造など)を飛躍的にアップさせる、という内容です。

 計画策定にあたっては、どれくらいの金額であれば「オーナー」は承認してくれるのだろうか?ということを改革チームで検討しました。
初台の本社に顔を出してばかりいる私に、仲良くなった「葛西のロッテワールド建設プロジェクト」の面々が言いました。
「小寺さん、オーナーにはびっくりするようなデッカイ金額で承認を求めた方がいい。きっと認めてくれるよ」

 私は半信半疑ながらも、彼らが基本的に建築屋やエンタメの専門家といった技術屋集団だったので、いつも却下ばかりされているやっかみからワザと粉砕されるようにデッカイ案を出させようとしているわけでもなさそうと考え、改革チームで「とりあえず(生来のドリーマーである)荒木さんの好きなようにデッカイ構想をぶちかましてみましょう」と決め、その方向で御前会議を迎えることになりました。

 ただ、パワポの資料作りにおいては(それだけではなく経営全てにおいて)天才的な才能を発揮する荒木さんの最終資料を見ながら私は言いました。
 「荒木さん、これはこれでいいけど、もし却下されたときに、『これだけはやらしてもらえないか』とねじ込むプラン(今風に言えば「プラン」B」)は何ですか?と尋ね、そちらも提示できるように、設備ごとに金額がブレークダウンされた手元資料を用意して御前会議に臨みました。

 却下されたただ一つの案件と言うのは、もう読者の方はお気づきだと思いますが、最初に作った大風呂敷を拡げたデッカイ案のことです。今考えれば、楽天イーグルスがプロ野球参入に当たって宮城球場に投じた資金から考えれば妥当な金額、内容ではありましたが、当時の日本のロッテの利益水準から考えればありえないほどの金額でした。(しかし巨額な韓国ロッテの金額も併せれば、それほど無茶な金額ではありません。ロッテは日本で稼いだお金は韓国に投資をしてきたのですが、韓国で稼いだお金は日本へは投資しない方針であることは、最近知りました)。

 御前会議では、いつものように緑色のカーディガンを羽織り、マリーンズの報告を好々爺のニコニコした表情で聞いていた「オーナー」が、このデッカイ設備投資案の話になったときに、表情が急変したのです。

 そして言いました(もう15年も前の話なので、言葉遣いの一つひとつは正確ではないと思いますが、概ね下記のような話でした)。

 「今日は、君たちに一つだけ言っておきたいことがある」
厳しい表情、背筋を伸ばしての口調、全てはいつもとは全く違う感じでした。

 そして、
「会社のお金と言うのは、キャラメル一つ、チョコレート一つをコツコツを売って稼いだお金何だよ・・・・」

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       (写真出典:ロッテHP)

 一同、体が硬直するような感覚だったのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。

 しかし、こちらも過去にいくつもの修羅場を潜り抜けてきた強者たちです。もちろん恐縮ばかりはしていられません。悪びれず、「わかりました。それでは、これだけはお認めいただけないでしょうか?」直ぐにプランBで切り返しました。


 「オーナー」は認めてくれました。
私の記憶では、少し表情を緩めながら、珍しく笑うようにして」
「まあ、これくらいならいいか」と仰ったのです。

 今回のタイトルである「その凄みとロマン」にこの時の姿が凝縮されています。

 お金にシブいだけの経営者ではなく、元々文学者を志して社名を「シャルロッテ」から採り、夢のあるお菓子を食べて子供たちの喜ぶ姿に幸せを感じ、日韓の架け橋となって一大企業グループを成してなお、日本にも「ロッテワールド」を構想する、ロマンチックで夢を追い求める夢想家であり・・・・そして、その実、実行段階においては、採算性には極めてシビアで、決して妥協を許さない経営者としての顔も併せ持つ・・・・そんな立志伝中の偉大な経営者。

 私は、この御前会議で「オーナー」がプランBを承認してくれたときに、「凄み」(シビアさ)よりも「ロマン」の方をより強く感じました。

 80代半ばの功遂げ名を挙げた名経営者が、「ここまで頑張ってきたんだから、この面白い若者たちの言うことも(採算の不透明さなどは少々度外視しても)認めてやってもいいんじゃないかな」と言う心の声を聴いたような気がしたのです。
「自分も今の君たちのような若いときがあったんだよ・・・」と。


 マリンスタジアムの改修工事は、指定管理者が正式に認可された2006年4月を待たず、2005年の12月頃から始まりました(このあたり、異例続きのスピード感で、順番が通常の形とは違うので記憶が曖昧です)。
プランBに盛られた、①VIPルームの大改修、②チケッティングシステムを含むCRMシステムの構築あは、奇蹟と言ってもよいような関係者一同の信じられないような頑張りに支えられて、ギリギリで見事2006年シーズン開幕に間に合いました。

 同じタイミングでスタジアムを改修した楽天イーグルス(2006年シーズンより参入)と比較すると圧倒的に安い費用で改革のドライバーだったスタジアム改修を実行することが出来ました。

 その背後には、あの御前会議での、「たった1回の却下」があり、そしてそれは「オーナー」に続く年下の私たちに与えてくれた「宝物」だったのです。
「経営というものは、こういうものなんだよ」と。

 紙幅は尽きまくっていますし、ここで終われば、コラムとしては大団円なのですが、少しだけ蛇足を書くことをお許し下さい。
尊敬する経営者である重光武雄さんではありますが、韓国の財閥にお決まりの「後継者問題」=「同族経営の弊害」から自由にはなれなかったようです。経営者としての氏を語るときに、それも書いておかなければなりますまい。

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 2005―2006年当時から、「長男には日本のロッテ(規模では小さいが資本関係では韓国の親会社)を継がせ、次男には韓国ロッテを継がせる」という考えであると聞いていましたが、この二人兄弟は正確も真反対(兄は学究肌、弟は野心家で派手好きと言われている。因みに奥さんも地味vs.派手)ということで、「オーナーが亡くなったら跡目争いで、グループは瓦解する」という声を聞いていました。
 そして亡くなる数年前から、人々の予想通り、兄弟間の後継者争いはメディアの格好の餌食となり、実質的に勝利した次男も韓国で賄賂の疑いで収監され、一応両国にまたがるロッテグループのトップに就いてはいるものの、まだ後継者争いの火種は燻っている状況です。

 「オーナー」自身も、2005年当時、兄弟共に50代にもなっていたときにさえ、経営者仲間などのVIPとの夜の宴席には絶対に兄弟を連れていかなかった、つまり後継者にはまだ早い、あるいは両者とも、ゼロから大財閥を作り上げた経営者の後継者の器ではないと考えていたのではないかとも思えるのです。
 しかし、実際の行動としては、結局韓国人に根強い「血」が、氏の経営者としての合理性を上回ってしまったのでした。


 15年前のこととは言え、今の自分を考える上で多大な影響を受けたマリーンズ時代のことなので、長尺の文章になってしまいました。

 私は、今大学に到着すると、気楽に動けるカーディガンに着替えることにしています。いくつかの色のものがあるのですが、最も多く着るのが「緑のカーディガン」です。

 袖を通すたびに、「オーナー」のことを思い出しながら、「経営」の授業を行っているわけです。

カーディガン

        (写真出典:アマゾン)

 それにしても、タイムマシンがあるならば、韓国から1941年に関釜連絡船で日本に渡り、青雲の志を胸に抱きながら、リアカーでチューインガムを手売りしていた「オーナー」の若き日に、是非会いに行ってみたいと、今さらながらに思うのです。


<ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/  小寺昇二>


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