5.エホバの証人の教理の考察⑭「固有の歴史観が生み出した統治体とその組織」後編
このnoteでは、エホバの証人の中央機構である「統治体」の根拠となる、1世紀のクリスチャンの歴史と、現在の「統治体」の問題点を前後編に分けて考えています。感情的な論争ではなく節度ある批判と冷静な議論を目指しております。
前編では、新約聖書時代においては、現在の「統治体」に相当するような組織(機関)は存在しなかったということを考えました。つまり、当初から多様性に満ちた宗教運動であったということです。(これはもちろん歴史的な意味です)。
後編では現代の「統治体」の沿革を振り返った上で、この「統治体」という制度にどのような問題があるのかを指摘したいと思います。
では最初に、現代のエホバの証人の指導体制の沿革を振り返ってみましょう。
現代の指導体制(統治体制度)の沿革
初代ラッセル以降始まるエホバの証人の現代の歴史は、基本的にはアメリカ的な「聖書主義」から始まりました。しかし、ラッセルが考えていた「組織」と現在の「組織」の間にはかなりの相違があり、以下ではその沿革を振り返ってみます。
元統治体のメンバーだったレイモンド・フランズ(四代会長F.フランズの甥)は、現代のエホバの証人の歴史を総括してこのように述べています。
実際には1944年10月15日号のものみの塔が「統治体」という語の初出のようで、理事会の7人が「統治体」(Governing body)であるとされました。ただ、ここには日本語訳の問題もあり、"Governing body"と言えば、「理事会」「運営機構」などいろいろな訳し方があります。当然「統治体」という訳し方は基本的に日本のエホバの証人特有ですが、"Governing"という言葉に含まれる意味を「適切」に表現する翻訳とも言えます。また、この言葉の使用は本来かなり曖昧なものでもありました。
しかし、当時の彼らは協会の運営にはほとんど携わりませんでした。例えば新世界訳のプロジェクトを当時の理事会(つまり当時の統治体)が知らされたのは、ギリシャ語部分の翻訳が終了してからでした。このことは、1954年のウォルシュ裁判でフランズ副会長(当時)が、「理事(統治体)には決定権はない」とさえ証言していることからわかります。(「良心の危機」R.フランズ p89)。当時決定権を持っていたのは、会長のノア、副会長フランズ、執筆部門のカール・アダムスの3人だったと言われ、この状態が1975年まで続くのです。
また、ここで重要な点として、上記のカール・アダムスが「天的なクラス」(油そそがれたもの)ではなかったということです。執筆部門のトップが「ほかの羊」(地的希望を持つ人)でも問題なかったわけです。また、二代会長ラザフォードの遺託を受けたのは、ノア、F.フランズ、カビントンの3人でしたが、このうちカビントンは「ほかの羊」でした。さらには、ノアは会長就任時に、このカビントンに副会長就任を要請しています。(「良心の危機」p115)。この時期は、天的・地的といった区別がまだ曖昧だったことがわかります。(ただし、カビントンは後に「ほかの羊」であることを理由に副会長を辞任し、F.フランズが副会長になった)。
いずれにしてもこの頃までの特徴は、「会長独裁」と「協会主導」というものです。これはラッセル以来の伝統であり、それが当たり前でした。ちなみに彼ら歴代の会長たちは、自らが神の経路として選ばれているという強力な確信がありました。特に後の四代会長になるフレデリック・フランズは、前述のように、ラザフォードの死の床で遺託を受けた3人の一人でしたが、その場面を、旧約聖書で言う「預言者エリヤから(後継)預言者エリシャにマントが受け渡された」ことにあたると述べています。(「み名が神聖なものとされますように」ものみの塔聖書冊子協会。英文。p335)。つまり、自分が神に導かれているという強力な信念があったことがわかります。このことを覚えておくと、後に会長ノアと副会長フランズが終始「改革」に反対してた理由がわかります。
このような状況に変化が生じたのは、60年代から聖書辞典である「聖書理解の助け」の調査執筆が始まってからです。これには段階的な事態の推移があるのですが、まず最初に再考されたのが「年長者」という言葉についてです。
項目「年長者」の執筆の際に、聖書時代と現在の会衆の指導体制の違いが指摘されたのです。その当時各会衆はラザフォード時代に始まった「奉仕の主事」(後に「会衆の僕」あるいは「会衆の監督」)による単独指導体制でした。(その「奉仕の主事」を地元の「奉仕委員会」が補佐)。これは協会が直接任命するもので、ラザフォードが「中央集権」(教義の統一)の目的で設置したものでした。そのため、新世界訳聖書は改訂版(日本語2019年)まで、本来「長老」と訳すべきところを「年長者」と翻訳するなどの影響が残りました。
しかし、「聖書理解の助け」の編集者たちから、聖書時代は「長老」達による集団指導体制だったのではという疑問が提起されることになったのです。この「年長者」の項目の原稿を読んだ当時の会長ノアやフランズは直ぐに拒否反応を示しますが、最終的に合意し、結局72年には「各会衆が」集団指導体制に移行します。(ものみの塔1972年2月15日号)。これがまず最初の段階です。
この点を以下の図にまとめて見ます。
ラザフォードが「長老」職を敬遠したのは、ラッセル時代の各会衆が独立色が強く、その理由が選出長老だと分析したからでした。したがって「選出長老の廃止」は、「選出」の廃止が目的ではなく、「長老職」そのものの廃止であった点に注意が必要です。(しかし、当時のものみの塔では、「民主的」ではなく「神権的」にという点が強調された)。
公平を期すために申しあげれば、この「選出長老制度」には、過剰な選挙運動や、不純な動機で立候補する者が出るなど問題もありました。(ものみの塔聖書冊子協会「ふれ告げる」p165)。ただ私が指摘しておきたいのは、この「選出長老」廃止後に、長老「団」による長老制度も企図されなかったということです。
さて、話を「統治体」に戻します。この70年代前半は、かなりの混乱が見られます。主に当時の教義についての主要な決定権を持っていた副会長フランズが、迷走を見せます。
1971年に、副会長フランズは、俗に「下剋上講演」と言われる講演を行います。(つまり、「協会」と「統治体」の逆転の話)。これは後にものみの塔72年3月15日号に記載された「新しい見解」です。(p180「法人団体と異なる統治体」)。それまで協会改革を常に拒否してきた副会長が、「協会は統治体の用いている管理機構に過ぎない」という話をしたのです。これは、前述の「長老」制度と同じように、エホバの証人の指導構造も「聖書的なものに変更すべきである」という側近たちの提言(改革要求)によるものでした。そのような中での「下剋上講演」でしたから、これから改革が始まると多くの人は予感したかもしれません。しかし、そう簡単にはいかず、迷走するのです。
1975年5月の会議でのグラント・スーターの発言を見ると、事態はあまり変化していなかったことがわかります。彼は会議の際に会長への鬱憤をこうぶつけています。
このような中、この件を調査する為に任命されていた委員会は、「統治体」が実質的に協会を監督する、集団指導体制としての「統治体」への移行を勧告します。(これまでは、会長=協会が実質「統治体」の上にあった)。
とはいえ、会長と副会長は(既に72年のものみの塔で方向が示されていたにもかかわらず)この改革案に不服だったようで、1975年9月7日の「ギレアデ聖書学校」卒業式でフランズ副会長が、これまでとは逆の主張をして聴衆を動揺させます。
1世紀のパウロの宣教旅行についての下りですが、要約するとこういうものです。
これまでの方向性(72年のものみの塔)とはまったく逆の話になっているため、多くの出席者が困惑することになりました。もっとも、このフランズの説明は、「前編」で考えた初期クリスチャンの様子を(皮肉にも)正しく説明しています。確かにパウロはエルサレムの「統治体」になど拘束されてはいませんでしたから。
ただ、実はこの講話については、ほとんどそのままものみの塔に要約が掲載されています。
記事自体は、神による任命を強調する体裁になっていますが、上記太字にした部分は明らかに72年の記事との齟齬があります。このような記事がそのまま出るのは、内部でも混乱があったのかもしれません。
このような迷走があるなか、1975年12月の最終会議で決着を見ます。その際もノアとフランズは反対を表明しました。しかし、その際「統治体」メンバーのロイド・バリー(元日本支部監督)が、「もう全員一致にしてください」と頼み込んでようやく「改革案」が可決されました。この出来事を後日フランズは「脅迫された」と述べるほど不服だったといいます。(「良心の危機」R.フランズ p122)。
しかし、この12月の会議について、エホバの証人の公式記録である「ふれ告げる」の本にはこうあります。
この言葉の背後には上記のような事情があり、「全員一致」という部分は非常に微妙だったのです。
ただ、この改革(反乱?)が成功したのは、反対していたノア会長が人格者だったからだと思われます。(R.フランズも「良心の危機」で証言している)。彼は会長の権威にこだわってはいましたが、それはあくまで神に託された立場というこだわりがあったからのようです。そのような信念は時として独善的になったり、頑迷な態度に表れることもあったでしょう。しかし、結局多数派の意見に彼がまず折れることによって、一番強硬だった副会長のフランズが(渋々)賛成に回って統治体の「改革案」が通りました。ラッセル、ラザフォード、ノアと会長を中心に協会が運営され、神が会長を通して導いているという強固な信念を大きく変化させるのは確かになかなか難しいことだったでしょう。
この「改革」の原動力となったのは、「現体制が聖書的ではないのでは?」という本部幹部達の「聖書主義」的な使命感からだと言えます。当時の「新・統治体」のメンバーの多くは会長独裁ではなく「聖書的」な組織形態にすべきだと考えていたのです。
これは確かに「改革」とは言えますし、「独裁」より「集団指導」の方がイメージは良いと思います。とはいえ、諸会衆の運営が「長老団」によってなされていたことは聖書から推察できますが、「統治体」という組織の実態は聖書からは読み取れないのも(前編で考えたように)事実です。結局「改革派」の人達の主張も、一つの保守的解釈に過ぎないのです。皮肉なことですが、彼ら改革派こそ今のエホバの証人の基本姿勢である「聖書絶対主義者」であり、その「改革」の結果が今の「統治体」の姿につながってしまっているのです。
現在の「統治体」の問題点
以上、現代のエホバの証人の「統治体」の沿革を簡単に振り返りましたが、自らを(独裁か集団かは別にして)神の唯一の経路と見なすという点は、「改革」後も変わっていない点は重要です。この点は、これからの議論において重要なポイントにもなります。
もちろん、前編で考えたように、新約聖書に「統治体」のような存在は見いだされなかったという時点で、この「唯一の」という主張自体は破綻しています。ただ、この「神の唯一の経路である」という考えは、エホバの証人の「強固な信条」であり、前編で考えたような歴史的経緯を否定するのであれば、それ以上議論は進みません。
従って、後半で考えるのは、実践面での問題であり、「組織」の体質の問題です。つまり教義の問題ではなく、それ以前の倫理的な問題や、道義的な問題です。例えば、「言行不一致」や「矛盾」といった問題が含まれています。もちろん、多くのエホバの証人の生活は敬虔であり、社会との軋轢は多いものの「言行一致」の生活をしている方も多くおられます。しかし、特に組織の運営つまり「統治体」の行動には時に問題と思えることもあります。これは特定の教義以前の問題ですから、常識ある人であれば、信者であろうとなかろうと共通の認識で議論できるはずです。(もっとも感情論になると難しいですが)。
1.自己責任論
「統治体」の一番の問題点は、責任を取らない体質です。もちろん、「モンスター信者」(?)になって何でも「責任取れ!」と言いたいわけではありません。
過去のnoteで繰り返し申しあげてきたのは、「強い中央集権的体質」で「指導部が絶対的権威を持つ」場合は、それにともなった責任を果たさねばならないということです。これは、自由には責任が伴うという原則の応用です。つまり、指導部が自由を最大限に尊重するというのなら、責任の所在の多くは信者自身になりますが、その逆なら、指導部の責任が大きくなるということです。
エホバの証人のこれまでの公式なスタンスは以下のようなものです。
つまり、あくまで信者の「自己責任」という考え方です。しかし、実際はどうでしょうか。実質「統治体」の「提案」(エホバの証人が使う表現)は「神の声」になってしまっています。信者が所属する各会衆自体、緩やかな連合なのではなく、「統治体」のマニュアルにしたがってしっかりと「管理」されています。入信については確かに(宗教二世は微妙ですが)各人の自由意志であり、強制されるわけではありません。しかし、信者となってからは「統治体を信頼する」とか、「従う」「忠実である」と言った言い方で指導されるわけであり、従わない場合はペナルティがあります。
もし「自分の意思で決定している」というなら、統治体の立ち位置はあくまでオブザーバーであるべきなのであり、本当の意味での「同労者」であるべきです。(その場合は本当の意味での自己責任論で良いことになる)。しかし、現在の統治体はもはや「指導者」なのです。
近年、特に統治体が神の経路であることや、「聖霊に導かれている」ことが以前にも増して強調されます。2023年の「年次総会」では「今回忠実で思慮深い奴隷は聖書のより深い考えやエホバの気持ちをつかむことができました。エホバが統治体を導き、助けてくれました」とまで述べました。
しかし、一方で自分たちは「神の霊感(Inspiration)」は受けていないと言い、間違いも犯すと言います。しかし、「聖霊に導かれている」ことと「霊感を受けていること」の違いがもはや不明確になっています。(言葉の細かい定義は別にして)。「神の霊感」を受けていないなら、もう神に導かれていないのと同じなのではないかとすら思います。つまり、「霊感」を受けていないのなら「統治体は神に用いられています」などと自分から言えないはずなのです。言うとすれば、「神のご意志にかなうよう努力し、組織を運営します」ということなのではないかと思います。
最近、このように「エホバの経路」であることを強調する発言と同時に、「責任逃れ」と思われる発言も多くなっており、憂慮すべき状態だと思います。特に次に挙げる「児童虐待問題」では顕著になっています。
2.「児童虐待問題」での責任逃れ
2016年に児童虐待問題でオーストラリアの王立委員会に召喚された統治体のメンバー、ジェフリー・ジャクソンの証言は非常に典型的な例です。(この委員会質疑は、映像も残っており、本人のサイン入りの公的な議事録も公開されています)。
この解答は、もちろん公的な証言においての戦術もあり、ある程度理解できるものではあります。しかし、全体的に「願っている」「果たそうとしている」「おこがましい」など、直接的な解答を避けています。ただ、最後の神の代弁者かという問いへの答えは、むしろ否定に近い内容になっており、非常に驚かされます。このような発言は日頃ブロードキャスティングや出版物で語っていることと大きく矛盾します。日頃「統治体」こそ唯一の神の経路であると繰り返しているからです。ジャクソンの返答で特に「私たちだけ"only"」という質問にない言葉を追加したこともさらに驚きです。(神の経路は自分たち「だけ」ではないと言う意味になるので)。
しかし、ごく最近エホバの証人の公式サイトで公開された、デニス・フリーデンの朝の崇拝のビデオ(「イエスと共に働くのは心地よいこと」)では
このように述べて、明確に統治体が神の経路であり、指導者であることが強調されており、前述の証言とも矛盾します。
また、最近イギリスの”Charity Commission for England and Wales”(慈善団体を管理する政府組織)から、2023年8月4日付けの報告書が出ていますが、登録されているエホバの証人の慈善団体としてのあり方に懸念が表明されています。(以下は英国政府のサイト)。
英語力の問題もあり、詳しく解説する能力はありませんが、要するにエホバの証人が慈善団体としての資格を十分満たしてないという指摘です。主に問題視されているのは、児童虐待問題に対する姿勢であり、子どもを保護する責任はないと表明している点についてです。エホバの証人の姿勢は自己責任を強調し、できるだけ法人が多くの責任を負わないというものです。学校の場合のように、子どもへの監督責任を持つことまではできないということなのでしょう。しかし実際には、子供も集会や伝道への参加が強く奨励されている以上、一定の責任は回避できないと思われます。もちろん、何でもかんでも「協会の責任」というのは無茶な話ですが、少なくとも宗教活動に携わっている間は、子ども達の安全をしっかりと守る義務があると思います。その部分をのらりくらりと逃げてしまうので、問題になっているのです。エホバの証人は時代と教義に見合った組織運営を求められているということです。
このように多くの国の政府機関から指摘がなされる中、2019年にものみの塔の記事でようやく「児童虐待問題」が扱われることになりました。しかし、私は冒頭のこの言葉でがっかりしてしまいました。
なんという他人事なのでしょうか。「会衆の一員だと言う人」とありますが、会衆の一員だったはずなのです。児童虐待の多くのケースでは長老や奉仕の僕(旧)など立場のある人でしたから、彼らはれっきとしたメンバーなはずです。エホバの証人はバプテスマという入会儀式があり、長老たちは協会が任命するのです。「言う人」という部分がなんとも不誠実な感じがします。率直に、「私たちの中にも残念ながらそのような問題を起こす人が居ました」と述べて、少なくとも遺憾の意を表明すべきなのです。
上記で私は「メンバー」という言葉を使いました。既に「コラム2」でも書きましたが、最近では、メンバー(成員)という言葉すら避けるようになりました。(上記でも「一員"a part of "」となっている)。2015年の「エホバのご意志を行う組織」では「会衆の成員(英:member)という言葉が使われていましたが、2021年の改訂された「エホバの喜ばれることを行う組織」(英題はどちらも同じで「ご意志」”Will”の訳語が変更)では、「会衆の人たち」(those in the congregation)と変更されています。「メンバー」だと、正式な会員・構成員というニュアンスが強く、責任を負う可能性があるからでしょう。
しかし、明らかに信者は会衆のメンバーであり、各自伝道者カードで管理されています。信者になるためには長老が資格を審査するのであり、その時点で「入会」審査と言えます。また排斥などの懲罰規定があることを考えても、信者はメンバーなはずです。何か問題がおこると急に「個人の問題」とか「メンバーではない」などと言い訳するのは大きな問題です。
私は何か会衆で児童虐待問題が発生したらそれは組織や長老達のせいだなどと言いたいわけではないのです。それはあくまで犯人の責任であり、悪いのは犯人です。しかし重要なのは、問題が起きた後の対応です。(もちろん事前の児童保護などは言うまでもないが)。問題を隠蔽したり、過小評価したりするでしょうか。(これは最近の芸能界の問題にも似ている)。そのような問題を「醜聞」と考えて、組織防衛に入るのか、それとも素早く「遺憾の意」を表明し、被害者のケアに努めると述べるのかは重要な点です。同時に、過去の事件についての総括も重要でしょう。見て見ぬ振りは問題です。
以上、ここでは児童虐待の問題を例にして、エホバの証人の統治体の問題点を考えました。「責任逃れ」という問題は、今当局を含めた世間から注目されています。
3.「見解の調整」についての態度
また、コラム2でも書きましたが、見解を変更した場合の態度についても、近年聞くに堪えないものが多くなりました。2023年の年次総会での発言を見てみます。なお、以下の情報は2023年11月のもので、まだ日本語情報が総会の後半部分しか出ていないことをお断りしておきます。(肝心の前半部分を24年1月に後出しするのは何か意図があるのでしょうか・・)。
総会の最初の話は、統治体の新メンバー(統治体については「メンバー」はOK)ジェフリー・ウィンダー(Jeffrey Winder)によるものでしたが、非常記重要な発言がありました。彼は見解の調整に関係して以下のように述べました。(若干聞き取れない部分あり。24年1月に日本語動画が公開されるものと思いますのでそちらをご参照ください)。
これはあまりにひどいと感じます。彼らにそのつもりはないと思いますが、これでは自らを神と同一視して一体化していることになります。しかもその結果、神が間違ったという結論にもなってしまうのです。
ちなみにちょっと脱線しますが、よく聞く「新しい光」(New Light)という言葉の本来の意味について、興味深い昔のものみの塔(旧版)の記事がありました。ちなみに、この言葉は、箴言(格言)4章18節の「義なる者たちの道筋は、日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ」(新世界訳聖書2019年改訂版)などの聖句に基づく表現です。
この点について、1881年の 「Zion’s Watch Tower」(最初の機関誌) 2月号には次のように書かれています。
非常に興味深い資料です。この記事の趣旨は「新しい光」という言い方によって発生する誤解をただすことにあるようです。たしかに「新しい光」はまさに箴言がいうとおり、徐々に「同じ対象物が」明るくなって識別できるようになることであるはずです。近年のエホバの証人の頻繁な見解調整は、悪い意味での「新しい光」、つまりあっちこっちで点いては消えるような光です。
実は近年この「新しい光」という表現は出版物で使用されなくなっています。(使われるのは「見解の調整」「調整された見解」。英語ではadjust our beliefs 等)。使われなくなった理由はわかりませんが、このあたりの問題を意識しているのでしょうか・・。
補論:2023年年次総会での見解の調整
(関係する講話についての正確な日本語訳は2024年1月の公式日本語動画をご参照ください)。
例えば、デビット・スプレーンの話の中では、ノアの活動と、洪水で死んだ人の復活の問題について言及されました。彼の話を要約するとこういうことです。
まず、一つ目の調整は、ノアの洪水で神によって滅ぼされた人は将来の復活があるのかについてです。今回は「わからない」に変更されました。これは聖書をそのまま読めば至極全うな結論なわけですが、問題は、これまであまりに変転を繰り返して来たことです。過去100年にわたって「する」「しない」を繰り返しました。まさに、あちこちで点灯しては消える「光」のようです。
二つ目の調整は、ノアの伝道の意義についてです。エホバの証人は、ペテロ第二2章5節でノアが「義の伝道者」(新世界訳)とされていることや、イエスがマタイ24章39節で「そして、洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした」(新世界訳)と述べたことを根拠に、ノアの伝道が彼らの裁きに深く関わっていたと理解してきました。詳しい調整は、将来のものみの塔の説明などを待ちたいとは思いますが、今回の見解の調整がこれまでの多くの教義に微妙な影響を与えることは確かです。
影響という点で一つだけ例を挙げると、上記マタイ24章39節のイエスの言葉は、エホバの証人の信条に沿って「注意しなかった」と訳されてきました。つまり、「警告を受けたけれどもそれを無視した」という意味が付されていたのです。しかし、今回の調整からすると、この翻訳は矛盾することになります。本来この聖句は、「気がつかなかった」(聖書協会共同訳、口語訳)、「知らなかった」(田川訳)が原文の意味なので、原文の意味をそのまま解釈するようになったということはいいのですが、新世界訳の翻訳の修正は必要になりそうです。今後、どのように説明してゆくのか注目したいと思います。
また今回、非常に驚いたのは、わずか数日前の10月のJWブロードキャスティングにおいて、ケニス・クックが「新しい見解」と異なる従来の説明でノアを警告の音信を伝えた人として取り上げていたことです。その中で、エホバの証人はノアの日と同じように、警告の音信を現在伝えており、それが裁きの根拠にもなると述べてしまっていました。これはビデオ制作時の監修不足であるのかわかりませんが、わずか数日で見解が変わるというのも違和感がありました。
ここまでで、「見解の調整」という問題を考えました。分からなかったことが明確になるのならまだ良いのですが、実際は「点いたり消えたり」の迷走を繰り返しています。これは「統治体」の大きな問題です。さらに、「謝罪の必要はない」という態度も大きな問題でした。進路変更するなら、しっかりとした過去の総括が必要なはずです。
4.「聖職者はいない、統治体も聖職者ではない」という主張
これも以前触れたことと若干重複しますが、統治体を始め本部や支部の職員は結局「有給」の職員であり、とりわけ統治体は明らかに「聖職者」です。(多くの国では長老も聖職者とみなされる)。しかし、エホバの証人は以下のように主張してきました。
何を持って(いくらなら)無給というのか、何をもって聖職者とするのかもありますが、統治体を含めた本部や支部の職員、旅行する監督たちや宣教者は、やはり「有給」の奉仕者です。また、「統治体」を含む長老たちは「聖職者」と考えるのが普通です。
しかし問題なのは、場合によってはまったく逆のことが主張されることです。
この例は、いずれも徴兵免除の根拠として、「聖職者である」という論理が使われています。このように使い分けてよいものでしょうか。
彼らが皆、通常の仕事を持ちながら、協会の仕事をしているというのであればわかります。交通費の払い戻しや経費の払い戻しもいいでしょう。しかし、彼らは「全時間」奉仕者だとされる上に、「払い戻し金」が支払われるのですから実質的には給与です。(住み込みに近いとも言える)。
もちろん、彼らの払い戻し金は平均的な賃金以下であり、多くの人達は慎ましい生活をしています。「坊主○○け」的なことも当たらないと思います。しかし、貧富の問題というより、実態を正直に認めることが重要ではないかと思います。上記のようなダブルスタンダードはよくありません。
私は、彼らが有給であるとしても、そのこと自体が問題だとは思いません。統治体にも「給与」をしっかり払った上で、自分たちは「有給」の「聖職者」ですと正直に言えばよいのです。
たとえば、日本のカトリック修道会の多くは、本人の自由はかなり制限されますし、私有財産も認めない場合があります。しかし、その人の生活は保障しますし、年金は修道会が負担します。(受け取りも修道会)。エホバの証人の本部や支部もそうすればよいのです。しかし、結局日本支部では国民年金の「免除申請」を使うことになりますし、欧州などでは政府の社会保険負担要求を逃れるために支部を閉鎖したところもあります。(2009年4月1日付け「すべての会衆へ」スペイン語)。
税金面での優遇措置の重要性や、権利を擁護する必要性は理解します。しかし、それはあくまで、資金の透明性が確保されていたり、「職員」が搾取されるような環境でないことが重要です。いずれにしても、実態に即した正直な説明が求められるでしょう。
まとめ
以上、前後編を通して、エホバの証人の固有の歴史観が生み出した組織形態について考えて見ました。
前編では、「統治体」という組織については、聖書的根拠はないという蓋然性のある結論に達しました。後編では、当初ほとんど権限をもたなかった「統治体」が、70年代の「改革」によって、全権を握ることになる過程を考慮しました。そして、現在では中央集権化を一層強化しているように見えます。
最後に考えたいのは、「聖書的な」という方向を目指したはずが、どうしてこうなってしまったのかです。
カリスマ性のある指導者の不在
現代の歴史を分析すると明らかなのは、(是非は別にして)皮肉なことですが、カリスマ性のある指導者がいなくなったことが大きな影響を与えています。初代ラッセルの時から四代フランズの時まで、良かれ悪しかれそれぞれの強烈な個性とカリスマ性で組織は牽引されてきました。
92年に四代会長のF.フランズが亡くなって以降、「統治体」は求心力を失っていきます。もちろん、それ以降も組織は拡大します。92年に400万人台だった伝道者数は、今では800万人にまで増加しています。しかし、それは組織が円熟期に入ったことの余勢なのです。
フランズはギリシャ語も修めた人物で、50年にわたって主要な教理の構築や、文書の出版に関わっていました。多くの出版物を著し、聴衆を引きつける話も出来る人でした。フランズ亡き後20年ほどは、引き続き聖書預言に関係した本が出版されますが(ダニエル、イザヤなど)、古参の統治体メンバーがいなくなるにつれて、出版も低調になります。
以後、出版物の量も質も低下し続け、電子出版をふくめても昔と比べようもないほど縮小しています。その反面、マルチメディアに力を入れるようになりました。
「守成」の難しさと焦り
集団指導体制の強化という「民主化」は常識的には良いことですが、その良い面が発揮されているようには思えません。創業の時代は終わり、守成の時代になっているわけですが、「守成」こそ難しいと言われます。今の「統治体」は、この「守成」の部分が、単なる「守り」になっているのではと感じます。つまり、終わりの遅延に対応し、見解を調整しつつ、団体を守ることに終始しているのです。
彼らが信仰が篤くエホバの証人としては「誠実」な人達であることは否定しません。しかし、最近なんとなく思うのは、もしかして彼らも焦っているのではないかということです。(これはあくまで私見です)。終わりが来るということすら疑問を持ち始めている人が「統治体」内にいるのかもしれないとさえ思います。所謂「緊急感」があるのなら、立派で新しい本部の建設はしないでしょうし、マルチメディアの為の設備を各地に建設したりもしないでしょう。
その焦りが、迷走する見解の調整につながっているのではとも思います。メディアの使用や、「親しみやすさ」の演出、昔のような極端さを戒めることなどは、その表れなのかもしれません。
しかし一方で、その焦りや不安は、より一層「統治体」を強調し、「中央集権」を目指す方向にも向かわせていると思うのです。主要な教義である「終わり」や「1914年」などは死守せざるをえない一方で、児童虐待問題や人権問題等がネットを通じて世界へとあっという間に広がるので、対応を迫られることになります。
「不安」や「焦り」と言いましたが、これはなにも「統治体」だけの問題ではなく、一般の信者も同じだと思います。エホバの証人の場合、「統治体」は「熱心な信者の筆頭」であるわけなので、思考のパターンは実はそう変わらないのです。(これは自覚していない場合も多い)。
ちょうど「良心の危機」の著者で、元統治体のメンバーであったR.フランズ(F.フランズ会長の甥)がうまくこの点をまとめていたので、少し長文ですが引用してみます。
何かおかしいと認識しても、「それでもこれは神の組織なのだから」という思考で解決してしまうのです。「統治体」メンバーであれば、「自分たちは神の経路なのだから」ということになります。その結果、何はともあれ「組織に忠実であれ」ということになるわけですが、今はそれを脅かす情報が氾濫しています。その結果、情報にあふれた先進国ほど、信者の減少が顕著になっています。そうなると、信者をより強く拘束し、できる限り情報を統制する方向に進みます。そして、問題が起きてもそれをスルーする習慣が染みついてしまうのです。大々的に使用しているネットやウェブサイトも、一方的な情報ばかりであり、その主要な機能である広報は組織にとっての「福音」しか知らせないものになっています。問題が起きたら、速やかに謝罪したり、詳細を知らせることこそ、今の時代の危機管理だと思うのですが。
現在の統治体に関する分析が本当に当たっているかはわかりません。ただ、長年エホバの証人として経験したことや、肌で感じたことを元にした分析です。このnoteで申しあげたかったのは、「神が用いている組織だから」という「大前提」を一度保留して、自分が所属している組織を見つめてみるのはどうかということでした。
以上、その一助となればと思い、1世紀のクリスチャンの歴史や、現代の「統治体」の歴史を考えました。
ご訪問くださった方が現役信者の方の場合、このようなnoteを読むことはかなり抵抗があったことと思います。私が述べたことが絶対ではないので、あくまで考える糧の「ほんの一つ」になれば幸いです。是非いろいろな方の意見と比較なさるようにもお勧めいたします。
GoogleのYMYL対策もあって、昨今なかなかこの手の重要な話題が検索されにくくなっていますが、今後もできる限りの情報を残したいと思います。
大変冗長な文章を辛抱してお読みくださった皆様に感謝いたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?