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【JW雑感 第1回】2024年の「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会年次総会」雑感

これは元エホバの証人による、極めて内輪向け(or 事情が分かる人)の雑感シリーズです。昔のものも含めて「徒然なるままに」に書きとめたものが混在しております。体系的な論考(本論)はこちら▼のシリーズをご覧ください


今年の年次総会は特別目立ったことはなかったが・・・

とりあえず、「JW雑感」の第1回はJWの時事問題で始めたいと思う。今年はストリーミング配信を生で見たが、私のヒアリング能力が極めてお粗末だったため、雰囲気だけという感じ。(ストリーミングの中継は字幕がないので)。正確な内容は、直接米国のSNSや掲示板類をご覧いただくか、日本の英語に堪能な元JWにまとめに期待したい。(おそらく公式にも早い時期にアップされるだろう)。

結論から言うと、特に変わったことはなかった。これは末期的な症状なのか、もう何もする気がないのか。節約か、ひっそり嵐を過ぎ去らせようとしているのか・・。

ビデオや音楽はもう要らないだろう。(元JWの私が言うことではないが)。本を作らないならもう「聖書冊子協会」の名を改めた方がいい。数十年前は、「地域大会」で毎年複数冊の書籍が発表されていた。その時期と比べれば信者教育の質は(是非は別にしても)極めて低下している。「読んで考える」ことを勧めていたのは過去のこと。音や映像――つまり感情を刺激することに主眼が置かれている。このことに現役信者は気づいているだろうか。(楽になったと言っている現役信者は多いようだが)。

今回唯一「新しい見解」だったのは、大患難の発生過程(大いなるバビロンへの攻撃について)であるが、これも結局国連の関与の強弱ぐらいであまり新味はない。新しい見解は以前よりもあり得ないことと思われるので、「終わりの先送り」で延命を図っているのか。あるいは現状の世界情勢が大患難の発生を思わせるため、特に信者向けにそれを否定するためのものなのか。(信者に危機感を持たせたいのだという意見もあるが私はそうは感じなかった)。いずれにしても「見解の調整」は迷走を深めている気がする。

統治体のメンバー増員について

統治体のメンバーが二人増えた。これはリアルタイムで公式にも発表された。(以下敬称略)

ジョディー・ジェドリー。数年前に奉仕委員会の援助者となった。以前ギレアデの卒業式でも話をしており、ビデオ番組にも登場済み。早くにベテル入りしているが経歴は複雑そう。とある動画ではCCIM(全米認定不動産投資顧問協会)資格保持者として紹介されているので、不動産関係のスペシャリストではないかとも言われる。

ジェイコブ・ラムフ。ごく最近奉仕委員会の援助者となったことが知られている。年次総会結びの祈りを行った人。ギレアデの132期(2012年)卒業生で宣教者だった。

いずれも、JW.ORGの「エホバの証人の統治体とは何ですか」掲載の「援助者一覧表」に掲載されていた人たち。(随時更新されている)。

もちろん私は彼らを直接知らないわけなので、その人格をここで云々するつもりは全くない。(彼らを古くから知る人たちの評判は悪くないようだが)。ただ、統治体という指導組織内に「取り込まれた」後、彼らがどう行動するかは注視すべきだろう。

気になったこと

ただ、ちょっと気になるのは二人とも若い白人男性だということ。(もちろん若いと言っても中年だが)。もう少し世界の潮流やコンプライアンスを学んだ方がいい。おそらく近い将来黒人がいない(現在唯一の黒人メンバーはサミュエル・F・ハードだが、近年体調を崩しているという話)白人だけの統治体になるだろう。日本人やアジア人がいてもいいと思うのだが。(ローマ教皇候補の枢機卿に日本人任命のニュースがあったのとは対照的・・)。

本来なら(そして国際的な組織だと標榜するなら)、各国支部事務所の支部委員(宣教者ではない地元出身)の「残りの者」から統治体メンバー候補を選抜するのが自然(健全)であろう。もっとも、支部委員会に「残りの者」がいるケースすら少ないのも現実。結局これは、近年の度重なる「見解の変更」と、「残りの者」の不可思議な増加によって、「残りの者」の相対的地位が低下してきたことも大きく関係している。

統治体メンバーの選抜基準は依然透明性に欠けるが、統治体自身による推薦であることは知られている。最近は、今回の二人もそうだが、「援助委員会」(1992年設置の統治体補佐メンバー)に入れてから統治体へという流れになってきている。そうなると必然的に本部職員なのであり、アメリカ人や欧米圏内での抜擢ということになりやすい。現時点で援助委員会にすらアジア人はいない。(黒人は複数在籍)。エホバの証人は結局どこまでも米国中心の宗教なのだろう。

また特に注目されているのは、ここ暫く「援助委員会」内の「奉仕委員会」からの選抜が多い点である。(レッシュ、ハード、モリス、サンダーソン、フリーグルら)。今回の二人もそうである。「奉仕委員会」は宣教活動を監督する部門だが、とても力のある委員会であり、おそらく「調整者委員会」と同じく法務関係にも力を持っている。

結局、現任の統治体メンバーが、自らの「部下」(公的には上下関係はないが)を推薦――つまり非常に狭い範囲で「知り合い」から選抜される――ということになっている。統治体は絶対的な権限を有しているので、その統治体メンバーを支部や会衆、巡回監督らの推薦には任せられないのだろう。必然的に、広く人材を募るということにはなりえない。

しかし、これは統治体の限界をも示すものであり、(人種問題も含めて)大きな問題を秘めている。

まとめ

今回の年次総会における統治体増員は、直接的には現行メンバーが高齢になり、健康問題も浮上しているからだ。

しかし、同時に当たり前のことではあるが若い統治体メンバーの増員は、終わりが来ないこと(来なかったこと)を示してもいる。その結果、「終わりが近い」といいつつ、将来を見据えての計画が必要になっている。

元々、「残りの者」が高齢で減少の一途を辿ることが終わりが近い証拠であると言い続けてきたわけだが、「残りの者」(と宣言する人たち)の不可解な増加に遭遇した結果、これまでの見解を一転変更し、「天への召し」は終わっていないし誰が天に行くかは把握する必要もない、とした時点でいろいろと矛盾や問題の火種が発生していた。これは「若い統治体メンバー」という可能性を開く一方で、「誰が天にゆくのか確定できない」のなら統治体メンバーも天に行くかどうかわからない(自称かもしれない)というブーメランにもなる。

結局こういった問題が発生する元凶は、「天的・地的」と信者のクラスを分けてしまった教義にあるだろう。(信条は自由だが、運用に無理がある)。なぜか減るはずの「残りの者」が、もはや「残り」どころか増え続けているという異常事態となった理由は私にもよくわからない。ただ、(新約)聖書をそのまま読めば天的な希望を持つ人にダイレクトに語りかけていることや、地的希望を持つ「他の羊」(彼らは新しい契約には入っていないとする)では得られない満足感や魅力が天的希望にはあり、信心深い人ほど「自分は天に行く」(行きたい)と感じるのかもしれない。この問題はまた別の雑感で書いてみたいと思う。

今回の年次総会は、まったく新味はないものではあったが、いろいろなことを考えさせられるものだった。

ちなみに話は飛ぶが、現在のペンシルバニア法人の協会会長は執筆委員会のロバート・シランコである。まったく目立たないこの人は、日々の聖句のビデオでたまに拝見する程度。F.W.フランズ会長の頃は集団指導体制へ移行したとはいえ、良かれ悪しかれ強力な「カリスマ性」を持った「会長」だったが、その後数代を経て法人は「統治体」と明確に分離され、会長職は単なる事務職となった。

これは所謂「聖俗の分離」という意味では正しいのかもしれないが、一方でそれは責任逃れとも言えるわけなので国が変われば違法となるケースもあり、今後の在り方も問われるだろう。

あと・・髭もなんとかしてほしい。自由というのは素晴らしいとは思うが、サンタなの?という人や怪しい教祖に見える人もいる。似合えばいいのだろうけれども。新メンバーは別にして、構成員の半分近くが急にひげ面になるとは一体どういう宗教なのか。ひどく違和感を感じた。彼らを見る度に、むかし髭で入信を断られた誠実なある男性を思い出し、悲しくなる。

以上、考察も不十分な殴り書きだが、雑感まで。

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